★1951年ビュイック ルセーバー ドリームカー 米澤玩具 ~ 自動車カタログ棚から 354 | ポルシェ356Aカレラ

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もう7月ですね~!まだ梅雨明け前ですが、東京では連日、最高33度という真夏の暑さが続いていますよー!
しかし、大雨警報ではなく大雨特別警報という「特別」が付く警報は数十年に一度といった甚大な被害が予想される大雨のことだそうで、この度、九州北部を襲った大雨で、その特別警報と言うものを初めて見た気がするのですが、まだ行方不明者の捜索も続いており、道路や鉄道の寸断箇所もあり捜索活動に重機が使えないといった極めて深刻な状況が続いているようです。大分や北九州の私の知人には幸い被害はなかったのですが、大地震や大雨といった自然災害というのは、いつどこに襲ってくるか判らないので本当に怖いですね。

さて、今回は「自動車カタログ棚から」シリーズ第354回記事として1950年代初頭のGMドリームカー/コンセプトカーのカタログをサクっとご紹介しますNE!


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★ロサンゼルスの1コーチビルダーだったハーリー・アール(Harley J. Earl :1893年11月22日-1969年4月10日)がGMのデザイン担当責任者に抜擢されたのは1926年(大正15/昭和元年)のことであった。
時にアール33歳のことであった。アールは後にGMのデザイン担当副社長という要職に就き、1958年(昭和33年)、65歳でGMを退職するまで幾多の名作を世に送り出した。20世紀のカーデザイナーとしてはピニンファリーナやジウジアーロとも比肩する、あるいは世界的な影響力という面ではイタリアの錚々たるデザイナー達以上の功績を後世に遺したとも言える。

★ハーリー・アールのGMでの仕事は1927年(昭和2年)のラ・サールから始まったが、1939年(昭和14年)のコンセプトカー「ビュイックY‐ジョブ」、今回ご紹介する1951年(昭和26年)のコンセプトカー「ビュイック・ルセーバー」(Buick LeSabre)、1954年(昭和29年)から1959年(昭和34年)にかけてのコンセプトカー「ファイアーバード」Ⅰ世・Ⅱ世・Ⅲ世といった市販車へのフィードバックを視野に入れて製作された著名なドリームカー/ショーモデル群も多数手掛けた。戦後のコンセプトカーの発表の場は、1949年(昭和24年)から1961年(昭和36年)にかけてGMが新車紹介を目的に米国内6都市を巡回(ニューヨーク→マイアミ→ロスアンゼルス→サンフランシスコ→ダラス→カンサスシティーの順)する形で開催していたGM独自のモーターショー「GMモトラマ」であった。


【主要スペック】 1951年ビュイック・ルセーバー(1951 Buick LeSabre concept Car)
全長5105㎜・全幅1951㎜・全高1270㎜・ホイールベース2921㎜・車重1728kg・FR・水冷V型8気筒スーパーチャージャー付3535cc・圧縮比10:1・ 最高出力335馬力・乗車定員2名・製作台数1台


●1951年ビュイック・ルセーバー最初期試作車と当時58歳のハーリー・アール
ハーリーアール


●1951年ビュイック・ルセーバー 専用カタログ (縦15×横20.3cm・白黒印刷・英文12頁)
恐らくGMモトラマの会場で配布されたカタログ。市販車ではないコンセプトカーのカタログは制作されること自体が世界的には稀である中でGMではモトラマでの配布用にコンセプトカーのカタログを多数制作している。ルセーバーと同時に製作された市販型ビュイックのイメージに近い「XP-300」や1954年の「ファイアーバードⅠ世XP-21」などモトラマで発表する際にはカタログを配布することが慣例であったようだ。このルセーバーは1953年にはフロントバンパー上にエアインテークの付いた後期型となるが、その際にもこれとは別の専用カタログが制作されている。
日本のコンセプトカーでは、トミカやマッチボックスの題材ともなったマツダRX500やダイヤペットの題材となったいすゞベレットMX1600、マッチボックスの題材となったニッサン126Xなどが著名であるが、何れも発表された年のモーターショー配布用メーカー総合カタログに写真が出ている程度であり専用カタログは制作されていない。
自動車カタログの国内市場では日本車の人気がダントツで高く、この7月に入っても前後の意匠がサルーンと同一の半年だけ生産された極めてレアな最初期のいすゞベレット1600GTの簡素な2つ折カタログがヤフオクで10万円を超えていたのに対して、このようなGMコンセプトカーのカタログは日本国内ではレアではあっても一般に知名度も低く人気がないため市場に出ても安価である。
このルセーバーのデザインは現在の目で見ても十分に美しい。戦闘機のジェット噴射口をイメージしてフロントノーズ中央に付けられた楕円形のパーツは何とヘッドライトで回転して2灯のヘッドライトが出現する。後のリトラクタブル・ヘッドライトの先駆け的な機構といえる。大きく湾曲したラップラウンド・フロントウインドは1955年までにはGMの殆ど全ての生産車に採用された(日本では1960年の初代ニッサンセドリックが最初)。テールフィンはすぐに生産型キャデラックに採用され、有名な1959年型キャディでその頂点に達するまで年々その高さを派手に引き上げることとなった。
(1)表紙

【中頁から】

概要解説
(2)解説

戦前のコンセプトカーY-ジョブのこと
(3)Yジョブのこと

長大なボディながら思い切った2人乗りレイアウト
(4)2人乗り

V8過給機付きエンジン
(5)V8エンジン

電動開閉式トップ
(6)電動トップ

ジャッキアップ
(7)ジャッキアップ

トランク床下にはスペア
(8)トランクにスペア

室内
(9)室内

室内画像アップ
(10)室内アップ

スペック
(11)スペック1

(12)スペック2

裏表紙: 運転席に座っているのはハーリー・アール
(13)裏表紙ハーリーアール






★オマケ(その1): 1951年ビュイック・ルセーバー&XP300 オフィシャル動画
1951年(昭和26年)の日本ではまだダットサンが20馬力、トヨペットが28馬力だった時代であり、この巨大なGMのコンセプトカーというものは日本人には遥か彼方の遠い夢の世界のモノであったろう。




★オマケ(その2): 米澤玩具1/25スケール 1951年ビュイック・ルセーバー
全長20cm、全幅8cm。ブリキ製。当時定価:不明(当時のブリキ玩具は輸出向けが大半であったため国内販売分は全生産数の精々1割程度と思われる)。小ぶりながらも実車のムードを的確に縮小・再現した、凝縮感が半端ではない傑作モデル。室内意匠まで実車をかなり正確にスケールダウンしている。カラーバリエーションは黒の他に赤、黄緑など。米澤玩具では、このルセーバー以外にリンカーンXL-500など当時の日本人にとっては正に夢の世界の自動車と云えたであろう1950年代のアメリカン・ドリームカーの傑作スケールモデルをリアルタイムに製作・販売している。
米澤(1)

米澤(2)

米澤(3)

米澤(4)フロント

米澤(5)リア

室内意匠も正確に再現
米澤(6)運転席

全長8センチの2013年製ホットウィールの1951年ルセーバーとの並び
米澤(7)HWと

米澤(8)サイド箱

箱横右下にはお馴染みの桜に「Y」文字の米澤玩具の商標
米澤(9)右下に米澤商標



★オマケ(その3): 1950年代のGMコンセプトカー・カタログ
手元の自動車カタログ棚には今回のルセーバー以外にもまだ1950年代のGMコンセプトカーのカタログが沢山ありますので、追々ご紹介したいと思います☆
ドリームカーカタログ沢山