★1956年 日産バスE590キャブスターCOE 野村トーイ ~ 自動車カタログ棚から339 | ポルシェ356Aカレラ

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本来なら今が1年で一番寒い時期ですが、このところの東京は朝晩は0度前後まで下がっても昼間は最高気温が10度を超える日が多く週明けの月曜日は何と最高21度の予報になっています。カラカラに乾燥した晴天の日が続いています。一度もまとまった雪が降らないまま春になるのは少し寂しい気もします。しかし、そんな風に思うのは雪国の生活の苦労を知らない者の暴言だとお叱りを受けそうですね。
明日1月29日はお台場で国内最大の旧車イベント「ニューイヤーミーティング」もあり、異様に寒くもなく、雪もない中での開催は愛車を持込むエントラントにとってもギャラリーにとってもありがたいことです。


1月31日は語呂合わせで愛妻の日だそうですね。日本愛妻家協会なる組織まであるとは恥ずかしながら全く知りませんでした。しかし、恋女房であれば、何も努力しなくても1年中、いや、死ぬまで奥さんを愛し続けるのが普通な訳で何もわざわざ愛妻の日なんていうのを作る意味があるのかなという疑問も湧きますが、まあ、長年連れ添って夫婦がお互いに空気のような存在になっている場合や離婚も考えないでもないといった冷え切った関係である場合などに、あえて1年に1日だけでも愛妻の日として愛情を意識してみるというのも良いのかもしれませんね。・・・なんて、独り者のワタシが偉そうなことは言えないのですが(汗)。

閑話休題
さて、今回は「自動車カタログ棚から」シリーズ第339回記事として日産のキャブオーバー型バスを駆け足でご紹介することとします。自動車カタログではなくブリキ自動車カテゴリーの単独の記事としてアップする予定にしていた野村トーイの傑作「日産E590型キャブオーバーバス」も今回のオマケとして載せることとしますNE。
 



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★現在の日本のトラックやワンボックス車の大半はエンジンの上にキャビンが載るレイアウトを採る所謂キャブオーバーである。キャブオーバーとは、「Cab over the Engine」に由来し、これを略してCOEとも呼ばれる。
バスに於いてもエンジン部分が突き出た所謂ボンネットバスよりも客室スペースが広く取れる利点から、終戦後の日本ではトラックシャシーや進駐軍払い下げのGMC等のシャシーに箱型ボディを載せたキャブオーバーバスが多数生まれた。
戦後の国産キャブオーバーバスは、いすゞ、日産、トヨタ、民生デイゼルのホイールベース4m程度までの中型以下のトラック/バスシャシーをベースに製作されたが、キャブオーバー専用として設計された最初のバスシャシーは1949年(昭和24年)のいすゞBX92であった(BX92については別項でご紹介予定)。

★日産自動車のキャブオーバーバスは終戦後の1948年(昭和23年)、180トラック・シャシーに載せたN180型から始まり、1949年(昭和24年)には290型としてカタログに載った後、1955年のC492型を経て1956年(昭和31年)にはWB4300㎜シャシーのE590型となり翌1957年(昭和32年)には「キャブスター」の愛称が付けられた。
キャブスターはE591型、E592型と改良を経た後、1961年(昭和36年)に横4灯のE690型にモデルチェンジ。その後、エンジン出力の向上等の改良を経て1960年代後半まで生き延びた。カタログでは宣伝車、レントゲン車、移動図書館車等の特装ボディに大きく頁を割かれており、特殊用途での納入が多かったことを窺わせる。ボディは標準の新日国(現・日産車体)製が大多数を占める。キャブスターは中型で価格が低廉であったこと、ガソリン車がメインであったことなどから、路線等のバス営業事業者よりも法人が従業員送迎等に使用する自家用としての納車比率が高かったことが特徴であった。
なお、厳密には日産のキャブオーバーバスの系譜は戦前1937年(昭和12年)のセミキャブオーバー90型バスに始まり(戦前の日産のカタログに早くもCOEの文字がみられる)、既に90型の時代にエンジンを前部に引出して整備出来る構造を有していた。日産がセミキャブオーバー及びフルキャブオーバーバスを生産したのは、1930年代後半~1960年代後半ということになり、振り返りみれば僅か30年程度のことである。30年という時間は、平成の初めから2017年現在までと同じ位の時間に当り、平成の初めはついこの前のように感じる現代の時間感覚からすれば、決して30年は長い時間ではないとも思える。しかし、日産のキャブオーバーバスの30年は先の大戦を挟み高度経済成長期に至るまでの時代であったためか、現代の30年よりずっと長い時間であったようにも感じる。



●有楽町・日劇前を走るニッサン90型バス「東京市営バス」 
ニッサングラフ1938年第3号より。90型バスは80型トラックと同様のセミキャブオーバー車で6気筒3670cc85馬力エンジンを前部に搭載し、WB2641㎜・全長4699㎜の12BS型とWB3251㎜・全長5512㎜の12BL型の2種類のシャシーが用意されていた。
90型(1)日劇


●1938年8月17日 明治神宮前のニッサン90型バス
ニッサングラフ1938年第3号より。ヒットラーユーゲント(ナチス青年団的組織)が来日した際の貴重な写真。
90型(2)明治神宮


●1938年8月17日 靖国神社前のニッサン90型バス
ニッサングラフ1938年第3号より。これもヒットラーユーゲント来日時の貴重な写真で日産90型バスが2台写りこんでいるほか、幌を上げたダットサンフェートンの姿も見える。
90型(3)靖国


●ニッサン90型バス「名古屋市電気局」
ニッサングラフ1938年第2号より。
90型(4)名古屋市


●ニッサン90型バス「徳島市営バス」
ニッサングラフ1938年第2号より。
90型(5)徳島市営


●1958年ニッサンE590型キャブスター「浜松市営バス」
目も覚めるような美しいバスの写真が満載された書籍、「発掘カラー写真 昭和30年代バス黄金時代」(JTBパブリッシング・2006年1月1日初版発行・定価税抜7000円)より。満田新一郎氏(1921~2003)がコダクロームで撮影したカラー写真に三好好三氏(1937~)と福川博英氏(1955~)が詳細かつ秀逸な解説を施した名著。この本が出たあとに類書も出ているが、写真の鮮やかさという点では遠く及ばない。昭和30年代バスの続編と昭和40年代バス編も出ており、古いバスが好きな向きは必携のシリーズといえる。
浜松市営


●1950年?ニッサン190改「富山観光バス」 呉羽ボディ
これも上掲と同じ名著「発掘カラー写真 昭和30年代バス黄金時代」(JTBパブリッシング・2006年1月1日初版発行・定価税抜7000円)に掲載された1枚。撮影は1960年(昭和35年)。日本のCOEバス研究(及びいすゞバス研究)の第一人者といえる福川博英氏による秀逸なキャプションは以下の通り。このような秀逸な解説文を鮮明なカラー写真を見ながら読むことは古いバスファンにとっては堪らない愉悦の瞬間といえるだろう。
日産のヘッドマークとCabsterのエンブレムはあるが、見るからに怪しいCOEバス。想像するに、①スタイルやアコモデーションが見劣りするようになった昭和20年代中頃の小型バスを延命することになり、②ボデイー載せ替えではなく柱を残して外板を張り替え、立ち席窓を設けた、③併せて定員増を図りCOE化したが、どうせならとフロントパネルは新型車キャブスター風に拵えた、といったところか。リアガラス形状だけはオリジナルのままのようだ。側窓後端の形状から、犯人は呉羽ではないかとにらんでいる。

富山観光



【主要スペック】 1956年 ニッサンE590型キャブオーバーバス  ロマンスシート (1956 Nissan Cab over Bus Type.E590 Romance sheet version)
全長8260㎜・全幅2470㎜・全高2940mm・ホイールベース4300㎜・車重5160kg・FR・水冷4サイクル直列6気筒SV3960cc・最高出力105馬力/3400rpm・最大トルク27kgm/1600rpm・変速機4速MT・ガソリンタンク容量105ℓ・電装系6V・乗車定員:座席33名+立席20名+乗務員1名=54名・最小回転半径8500㎜・初速50km/h制動距離15.9m・タイヤ7.50-20-12P・最高速度83km/h



●1949年ニッサン フルキャブオーバーバス180型
180型トラックのカタログに190型ボンネットバスや宣伝車と共に掲載されたイラスト。3670cc85馬力エンジン搭載。
49年180型


●1949年ニッサン フルキャブオーバーバス290型「東京都交通局」
1949年日産自動車総合カタログに掲載された写真。
49年290都営



●1951年ニッサン フルキャブオーバーバス290型
1951年日産自動車輸出向け英文総合カタログに掲載されたイラスト。
51年290型イラスト



●1956年5月 ニッサン フルキャブオーバーバスE590型
自動車史/自動車文化史研究の第一人者であった五十嵐平達氏(1924年~2000年)が描いた雨に濡れる夜のバスの表紙画で有名なカタログより。このカタログの時点ではキャブスターの愛称はみられない。3960cc105馬力エンジン搭載。
590(1)サイド

運転席
590(2)運転席

室内前方。運転席左横にはエンジンの釜。
590(3)室内前方釜

室内後方。最後列中央は非常口のためシートなし。
590(4)室内後方非常口有

スペック
590(5)スペック

図面 (ロマンスシート車)
590(6)図面その1

590(7)図面その2ロマンスシート



●1957年7月 ニッサン フルキャブオーバーバスE590型キャブスター
日産自動車工場見学記念パンフレット1957年版より。キャブスターの愛称が付いたE590型。
57年総合キャブスター名



●1958年? ニッサン/新日国 キャブスターE590型キャブオーバーバス 専用カタログ (縦30×横21.1cm・2つ折4面)
日産自動車とボディメーカーの新日国工業のダブルネームで発行されたカタログ。発行時期の印字なし。3960cc105馬力エンジン搭載。
ニッコク(1)表紙

【中面から】

ニッコク(2)前

ニッコク(3)後ろ

シャシー
ニッコク(4)シャシー

運転席
ニッコク(5)運転席

図面
ニッコク(6)図面



●1958年6月 ニッサンキャブスターE592型キャブオーバーバス リーフレット (縦20×横29cm・表裏1枚)
1950年代後半に日産が車種毎に発行した1枚物カタログの一つ。4気筒ディーゼル5812cc110馬力エンジン搭載。
592(1)表面

解説文
592(2)解説文アップ

室内前方は一段床面が高い。
592(3)室内前方1段高い



●1961年 ニッサン キャブスターE690型キャブオーバーバス 本カタログ (A4判・16頁+)
4灯となったE690型の最初のカタログ。同時期の初代セドリックや初代ブルーバードのカタログと同様に1960年に日産がデミング賞を受賞したことを記念した紙製メダル付。6気筒3956cc125馬力OHVガソリンエンジン搭載。最高速度97km/h。矢印型リアウインカー(矢印型後部灯火式方向指示器)装備。E690型のカタログでは「わが国初の運輸省許可キャブオーバー専用バスシャシー」である旨が謳われている。いすゞBX92は運輸省の許可がなかったということだろうか。
61年(1)表紙無地

【中頁から】

デミング賞受賞記念メダル付
61年(2)デミングメダル

リアウインカーはまだ矢印型。
61年(3)後ろ矢印

61年(4)白赤



●1963年?ニッサン キャブスターE690型キャブオーバーバス 本カタログ (A4判・16頁)
6気筒3956ccエンジンの出力が125から130馬力に、最高速度も100km/hに若干上がった。リアウインカーが橙色に変った。カタログに発行時期の印字はなし。
63年(1)表紙

【中頁から】

63年(2)前側

63年(3)リア側

お求めやすい量産価格!
63年(4)お求めやすい量産価格



●1965年?ニッサン キャブスターE690型キャブオーバーバス 本カタログ (縦30.3×横22.6cm・12頁)
6気筒3956ccエンジン130馬力のまま変わらず。外観上はフロント左右にウインカーが付けられた。カタログに発行時期の印字なし。
65年(1)表紙

【中頁から】

65年(2)サイドビュー

シャシー
65年(3)シャシー

室内後方
65年(4)室内後方

エンジン整備は戦前の90型バス以来変わらない前方引出し式
65年(5)エンジン引き出し式





★オマケ(その1): 野村トーイ 1/29スケール 1956年ニッサンE590型「観光バス」
全長29cm、全幅9cm、ホイールベース15cm。ブリキ製。当時定価:不明。萬代屋(現バンダイ)の1/43スケール1957年民生デイゼル・リアエンジンバス「コンドル号」6RF100型と概ね同時期(1957~58年)に市場に出たと思われる、1950年代の国産ブリキバスの傑作。萬代屋の民生コンドルはスケールが小さ過ぎるのに比べて、この野村製ニッサンE590型は程よい大きさがあり迫力で遥かに勝り、この野村製が日本製ブリキバスの最高傑作といえるのではないか。この時期の野村トーイは脂が乗りきった印象があり、1/19スケール ダイハツ三輪ダンプRKO10D型「日本通運」等、ブリキモデルの傑作が多い。「急行」の文字が入った小さな紙片が付属しユーザーが自分で差し込む形となっている。カラーバリエーションは白/水色以外に白/オレンジなど。箱付ミントは殆ど現存しない。但し当時輸出もされた模様で、時たまeBay Inc.(イーベイ)など海外のオークションに出品されることがある。2017年現在の評価額をあえて付けるとすれば、国内専用日本語表記の箱付ミントは70~100万円程度。
野村急行(1)

野村急行(2)

野村急行(3)

箱、タグ、差し込み式行先紙片、ビニール袋と全てが揃ったタイムマシーン・コンディション
野村急行(4)全て揃い



★オマケ(その2): 野村トーイ 1/29スケール 1956年ニッサンE590型「はとバス」
オマケ1のバリエーション。全長29cm、全幅9cm、ホイールベース15cm。1958年初夏発売。はとバスのブリキ玩具は五十嵐平達氏がデザインした1963年スーパーデラックスはとバスAタイプのように実車を模して各社競作となった例もあるが、大半は子供向きに適当に作られた実車とはかけ離れた玩具であった。そんな中で、この野村トーイのニッサンCOEはとバスは、はとバス玩具の最高傑作と言えるのではないだろうか。但し、新日本観光(現はとバス)でニッサンCOEの実車を使用した形跡はない。このはとバスはジャンクでさえ現存する数は少なく、箱付ミントは殆ど現存しない。箱絵は残念ながら中味のニッサンCOEとは異なるバスが描かれている。このモデルは、はとバスということから恐らく輸出はされていない。例えば投機目的で所有する人もいるトミカ30-1のギャランGTOのようにお金さえあればいつでも買えるといったシロモノではなくオマケ1と同様に一期一会的な逸品。2017年現在の評価額をあえて付けるとすれば、はとバスは人気が高いため箱付の未使用ミントでオマケ1よりも高い80~120万円程度。
はとバス(1)

はとバス(2)

はとバス(3)サイド箱

・東京玩具商報1958年7月号(国立国会図書館蔵)に掲載された野村トーイの広告
東京玩具商報58年7月


●オマケ1と2の並び
並び(1)

並び(2)

並び(3)正面

並び(4)リア

並び(5)サイド



★オマケ(その3): 新刊「日本 懐かしプラモデル大全」 (A5判・127頁)
岸川靖著。辰巳出版発行。ガチャガチャ、カセットテープ、オーディオ、即席めん、アイスなど多数出ているタツミムック「日本懐かし大全シリーズ」の2017年新刊。定価:税抜1300円。懐かしプラモをジャンルを問わず掻き集めてボックスアートを中心に掲載。更に宮崎駿監督の師匠でありジープマニアでありプラモマニアでもある大塚康生氏(1931~)、童友社・内田守社長(1951~)、マクロスなど数々のボックスアートを手掛けたことで有名な髙荷義之氏(1935~)のインタビューやプラモを4万個以上所有し何れはプラモ博物館を作りたいという海洋堂社長・宮脇修一氏との対談など興味深い記事も多い。掲載されたプラモには珍しいモノも多い上、全て手に入れるにはウン千万あっても足りないかもしれないことを思えば、この本の1300円(+税)は安いかも。
プラモ本(1)表紙

自動車・バイクの頁
プラモ本(2)自動車・バイク頁



●オマケのオマケ
有名なマニア物ショップ「まん〇らけ」の買取リストでは今井科学のプラモデル「ロボット サンダーボーイ」は未組立美品の買取値が250万円(@_@)とあります。
まんだらけ250万買取り

基本的には「まん〇らけ」の買取値は売値の半額程度と聞きますので、店頭での売値は500万円位なのでしょうか。それとも、サンダーボーイはまず出ないのでギリギリ儲けの出る赤字にならない程度の値段で買うということなのでしょうか。私は今井科学と言えばサンダーバードやマッハ号の世代でサンダーボーイはリアルタイムでは知らなかったのですが、20年位前に行きつけのショップでこれが200万円で売られているのを見て驚いたことがあります。現在、ヤフオクにこのサンダーボーイの再販品「ビッグサンダー」が出品されています。箱の文字は異なりますが基本的には初版の250万円買取のサンダーボーイと同じキットのようです。ヤフーIDをお持ちの方はこれを買わなくともウォッチリストに入れて落札価格をチェックしておくのも面白いかもしれません。(→ 10万円でオークションスタート、1月29日夜201万1000円でオークション終了。初版のサンダーボーイならやはり300万円オーバーというところでしょうか。)