★1935年マツダ號 戦前500cc三輪トラック トミカ新製品 ~ 自動車カタログ棚から338 | ポルシェ356Aカレラ

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みなさんは1日どのくらいカロリーを採られてますか??
ワタシの場合、1日の平均的な食事は以下のような感じです。

(1) 朝食: 菓子パン2個 600カロリー
(2) 間食: グリコアーモンドチョコ&ピーナッツ 500カロリー
(3) 昼食: カツサンド、シャキシャキレタスサンド 600カロリー
(4) 間食: クッキー・さきいか・ベビーラーメン等 300カロリー
(5) 夕食: カツカレー 1000カロリー

 合計 3000カロリー/1日!

これでは太る訳ですよね。ちなみに間食(2)は午前中、間食(4)は午後なのですが、更にワタシの勤め先では10時と3時に大抵毎日オヤツが出されるので仕事のある平日はそれも食べます。更に就寝前にポテトチップなど食べてしまうこともあります(大汗)。それでも幸いまだBMIが25を超えてはいないのですが、20代の頃に比べると10kg位増えてしまっています。肥満は健康の敵とも言いますが、少し体重を減らしたいことを知合いの医者に話すと、「ポルシェさん、まずは1日2000カロリー前後まで減らせば恐らくそんなに辛い思いもしないまま痩せられますよ」などと言われます。実際、休みの日はお昼までグウタラ寝ていて夕方に1食だけ食べてオシマイなんて日もあり、そんな週末は土日2日で2kg位減って、また月曜日になると一気に元に戻ってしまうようなパターンです。

みなさんは嫌いな食べ物がありますか??
シソの匂いがどうにも耐えられないなんてブロ友さんもいますが、ワタシの場合は絶対無理なのはバナナです。バナナ味のアイスまでは無理すれば何とか食べれるのですが。あとはイナゴだとか見た目で食べられないものは勿論あります。無理すれば食べられるけれども好きではない食べ物というのは結構沢山あり、馬刺しなどは宴会で出されると思わずゾッとします。あと、ワタシの場合、基本、お魚は食べません。というか、食べられません(大汗)。箸の使い方が下手で骨が上手く取れないのがその理由です。無理に食べても、すぐに喉に骨を詰まらせてしまうのです(大汗)。勤め先の近くの定食屋さんではヘルシーなサンマなどの魚定食が一番人気なのですが、ワタシの場合は魚自体の味は嫌いではないのに何しろ骨が上手く取れないので注文することは絶対にありません。というか、基本的にはお魚よりトンカツやエビフライや串カツなどを食べた方が100倍位美味しく感じます。これは中高生位からこの歳になるまで全く変わらないワタシの食べ物の嗜好で、それは洋菓子は大抵好きなのにアンコの入った和菓子や羊羹などが嫌いなのも大人になってからも全く変っていません。勤め先のオヤツで藤村の羊羹だとか三原堂の和菓子だとかはよく出されますが、和菓子というだけでゾッとしてしまい手を付けられません。出されても、「どうぞ他の方に召し上がって貰って下さい」と言ってパスします。でも、ワタシが好きなポテトチップだとかアーモンドチョコだとかベビーラーメンだとかっていうものは勤め先のオヤツで出されることは皆無だったりもします(なので自分で持参します)。どうもそういう類のお菓子を出すのは失礼だと思われているようなフシがあるのですが、実は三原堂の和菓子などより子供の頃から食べ慣れている添加物山盛りとの批判もあるベビーラーメンの方がワタシは100倍くらい美味しかったりもするのです☆☆

閑話休題
今日はトミカ新製品プリウスの発売日ということで、またトミカ絡みで記事をとも一瞬思ったのですが、現行の新車をピックアップした方が喜ぶ人が多いことは判ってはいても、やはりどう考えても現行プリウスではワタシの芸風から大きく外れてしまいますので、トミカのプリウスはオマケに載せることにして、今回は「自動車カタログ棚から」シリーズ第338回記事として、戦前から戦後にかけてのマツダの三輪トラックをピックアップしますNE☆☆

 



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★戦前から1950年代にかけての日本の三輪トラック(オート三輪)の隆盛は世界的に稀なものであった。
四輪トラックに比べると簡便かつ安価で製作できるメリットにより、日本の津々浦々で三輪トラックは使用されたのである。軽便であることを特徴とした三輪トラックが戦後は全長6mに及ぶものが現われるなど次第に巨大化が進み、安全性の面からしても限界に達していた。1950年代半ば、トヨタのトヨエースSKB型に代表される安価な四輪トラックの出現により急激に三輪トラックの市場は萎み、やがて駆逐されたことは自然の流れと言えた。その一方でダイハツミゼットやマツダK360に代表される軽三輪の時代もスバルサンバーやダイハツハイゼットといった軽四輪の台頭により同様にけっして長くは続かなかった。

★それでは、戦前の日本における三輪トラックの嚆矢は何であったのか。
1920年(大正9年)6月より大阪市大正区の実用自動車製造が生産したゴルハム式三輪トラック、同じく1920年に在阪の川内松之助が製作したウェルビー號あたりが最も初期の車両であったようである。1920年代には東京・秀工社のニューエラ號(1937年以降は「くろがね」に改名)、東京神田・モーター商会のMSA號、同じく東京神田・西浦製作所のアラビア號、更に同じく東京神田の山城商会のKRS號、神戸・横山商会のコンビンシブル號、大阪西区・中島商会のヤマータ號といった夥しい種類の三輪トラックが製造されたが、その多くには共通した特徴があり、それはエンジンの自製が技術的に困難であったため、戦前における世界最大のエンジン供給メーカー英国「JAP社」製のエンジンが搭載されていたことである。
一方で当時輸入され始めたモーターサイクル「ハーレーダビッドソン」(米国)、「インディアン」(同)、「DKW」(ドイツ)などに日本市場向けに日本で荷箱を付けて三輪化した車両も多数登場した。二輪の後ろに単にリアカーを括り付けただけのものから、国産三輪を真似て本格的に後輪を左右二輪とした本格的な三輪車両も多数誕生した。

★然らばエンジンも含めた全国産の三輪は果たしていつ登場したのか。
国産エンジンを搭載した三輪トラックの最初は1930年(昭和5年)12月のダイハツHA-1型、次いで翌1931年(昭和6年)10月のマツダDA型、同1931年に登場した愛知・名古屋のヂャイアント號といったあたりがその初期の車両であったようである。


マツダ三輪トラックの登場
マツダの歴史は1920年(大正9年)1月の東洋コルク工業株式会社が広島市中島新町に設立されたことに始まる。設立から7年後の1927年(昭和2年)9月に東洋工業株式会社に社名変更し、コルク製造のみならず機械製品の製造にも事業を拡げた。この東洋工業時代が57年間続き、1984年(昭和59年)に至り現在のマツダ株式会社に社名変更した。
「マツダ」の名称は1931年(昭和6年)10月、三輪トラックDA型のデビューに当り命名されたもので、東洋コルク工業の2代目社長・松田重次郎氏と光の神「アウラ・マツダ(MAZDA)」に由来するものである。自動車に限らず工業製品の販売には、その販売拠点の整備が必須であるにも関わらず1930年代までのマツダは独自の販売網を持たず、製品を作るだけで販売は三菱商事一社に完全委託という形を採った。そのため、初期のマツダ三輪のタンクサイドには三菱のスリーポインテッドスターが輝いていたのである。


●1935年マツダ三輪トラック TCS型
2013年5月、広島マツダミュージアムにて撮影。マツダミュージアムには残念ながら最初のDA型はなく、これはDA型のデビューから5年を経たTCS型。空冷単気筒654cc・13.2ps・400kg積。このTCS型からエンジンとミッションが一体化された。ガソリンタンクのmazdaロゴに覆い被さるように赤い三菱マークが付いていることに注意。
広島(1)1935

広島(2)1935



●1950年マツダ三輪トラックGB型
2013年5月、広島マツダミュージアムにて撮影。戦前のGA型の改良型。空冷単気筒700cc・15.2ps・500kg積。まだ小杉二郎が関与する前のデザイン以前の時代ながら戦前型より骨太になったのが判る。
広島(3)1950



【主要スペック】 1935年マツダ三輪トラック 「マツダ號 500cc」 
全長2780㎜・全幅1196㎜・荷箱長1106mm・荷箱幅1100㎜・荷箱高460㎜・空冷単気筒4サイクルSV485.6cc・5ps・溝型硬鋼板製ダブルフレーム・チェーンドライブ・変速機3速MT・ディスクホイール・26×4.00バルーンタイヤ・塗装:ラッカー噴霧塗・応急修理工具類一式付・販売価格:不明



●1935年 マツダ三輪トラック 「マツダ號 500cc 新型車」 本カタログ (縦26.4×横18.8cm・8頁)
マツダミュージアムに展示されているTCS型と同年式でフレームなど全体のデザインは酷似しているが細部は微妙に異なり排気量も異なる。カタログのどこを見ても型式名称の記載がなく型式不詳。三菱商事が販売していた時代のため、表紙にも赤い三菱マーク。戦火を乗り越えてきた、貴重な戦前の日本語版カタログ。
戦前(1)表紙

フレームには片仮名で「マツダ号」と刻印されている。
戦前(2)表紙アップマツダ号平仮名

【中頁から】

「強力なエンヂン」 単気筒500cc
戦前(3)強力なエンヂン

「2つの専売特許」 (自動給油装置・トランスミッション)
戦前(4)2つの専売特許

「差動装置」
戦前(5)差動装置

「完全な制動装置」 自動調整装置付ブレーキ
戦前(6)完全な制動装置

スペック
戦前(7)スペック


・製造元 東洋工業株式会社に就て
マツダ號の製造元東洋工業株式会社は山陽線向洋驛(廣島市外府中村)に接して敷地約20000坪、建物約5000坪を有し近代的な工場施設を誇る大工場であります。殊に卓越せる技術は海軍指定工場として航空機用エンヂン、其の他精密兵器の部分品の製作に依って斯界の賞賛を得て居ります。東洋工業会社の全従業員は豊富な経験と真摯なる研究心と刻苦飽く事なき努力とをマツダ號の製作に傾注しております
堅牢な車体・強力なエンヂン・確実なブレーキ・爽快な乗心地・華麗な外観、マツダ號は卓越す
戦前(8)東洋工業について

戦前(9)文字アップ

・三菱商事販売店一覧
日本が統治していた旧満州の奉天あたりが含まれているのはよいとしても、カサブランカ、アレキサンドリア、テヘラン、ヨハネスブルグ、ベイルートなども一覧に出ている。マツダ三輪の輸出は1949年以降のはずなので、三菱商事が当時支店を置いていた世界の都市を取り敢えず全て掲載したのではないだろうか。
戦前(10)三菱商事販売店一覧



●1951年5月 マツダ三輪トラック 1屯積 CT/1200 専用カタログ (縦18.4×横13cm・2つ折4面)
原爆ドームを背景に映した戦後の日本を象徴するような秀逸な表紙。1950年(昭和25年)9月にデビューしたCT型は戦前設計のGB型に代わる戦後型で、後にマツダR360クーペ・マツダキャロル・マツダロンパー(~Dシリーズ)・マツダK360等をデザインしたことで有名な名インダストリアル・デザイナー小杉二郎によるフロント盾のデザインに加え、1909年(明治42年)に国産初の2輪車「NS號」(4サイクル400㏄エンジン搭載)を完成したことで有名な島津楢蔵(1888~1973年)による秀逸なフレーム、当時としては強力な32ps1157ccエンジン、セルモーターの採用などで三輪史に残る傑作車。この時代の三輪のマツダが、やがては乗用車R360クーペやキャロルやファミリアを作り、コスモスポーツに始まるロータリーエンジン車を多数生み出し、現在の前田育男氏(1959~)が牽引する、ワールド・カー・オブ・ザ・イヤーを獲得するような秀逸な一大デザインブランドにまで発展するとは誰もが予測し得なかったことだろう。CT型は現在一般には殆ど知られていない車両ながら、何と近年エブロが1/43でダイキャスト製スケールモデルを市販している(オマケ参照)。
51年(1)表紙ドーム

【中面から】
51年(2)中面

図面・住所
51年(3)図面・住所



●1952年1月 マツダ三輪トラック 1屯積 CT/1200 専用カタログ (縦18.4×横13cm・2つ折4面)
1952年型ではCT型に初めて雨露を防ぐ幌製屋根と運転席背面パネル、そして荷台には鳥居が付いた。しかし、屋根が付いても、まだドアは付かず強風や本降りの雨の日などはドライバーにとって過酷な状況はあまり変らなかったはず。
52年(1)表紙

【中面から】
52年(2)中面

スペック・図面
52年(3)スペック図面





★オマケ(その1): エブロ 1/43スケール 1950年マツダCT/1200型 三輪トラック
全長9.5cm。ダイキャスト製。エブロ品番44109。税抜4300円。国産ヒストリックカーではレーシングカーからバスや三輪トラックまで強いエブロの面目躍如たるCT型のまさかのモデル化。バリエーションとして幌付の1952年式と消防車仕様も市販されている。
エブロ(1)正面

エブロ(2)斜め前

エブロ(3)リア周り

運転席廻りがこのミニカーの最大の見せ場
エブロ(4)運転席廻りが見せ場

エブロ(5)箱



★オマケ(その2): 2017年1月 トミカ新製品
2017年1月21日(土)発売のトミカ新製品。新型プリウス2色とスズキエブリイ警視庁パトカー。新型プリウスの若草色が初回限定。個人的にはプリウスよりエブリイ・パトカーの方がそそられます♪Z32はトミカプレミアムの新製品。プレミアムではNSXタイプRも予告されていましたが、今日は何故か店頭にありませんでした。しかし、トミカプレミアムが税抜800円でこのレベルで造れることを考えれば、トミカリミテッドヴィンテージの乗用車が1台2000円~3000円というのは少々高過ぎると感じるのは私だけでしょうか。
トミカ(1)

トミカ(2)



★オマケ(その3): 「マツダの歴史」 ~広島に育まれた、今に続くマツダの挑戦の歴史~
マツダのオフィシャル・ヒストリー動画。かなり貴重な映像が含まれています。