★1976年タイレルP34フォード6輪 世を驚愕させたF-1マシン(Tyrrell P34) | ポルシェ356Aカレラ

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暑さ寒さも彼岸までの言葉通りに、このところの雨ですっかり東京も涼しくなっています。今年は何だか例年になく台風の上陸が多かった気がしますが、ワタシは気象には全く疎いので気のせいなのかもしれません?しかし、まだ9月ですから、天気予報ではこの先まだ30度近い最高気温の日が来ることもあるようです。
実はこのブログを始めてから来月で何と丸5年となるのですが、特にワタシのような悲惨な独り者の場合にはブログをアップしていて何より楽しみとなるのは、言うまでもなく人様から戴くコメントでしょう。芸能人・有名人であれば返信が不可能な程にコメントが入っても何の不思議もありませんが、一般人のブログでは人様からコメントが入って初めて記事の内容に共感してもらえたことなどを確認することも出来ます(アメブロでは「ペタ」や「いいね」もありますが、どちらかというと機械的にされているケースの方が多いでしょう)。謂わばブログはコメントが入ってナンボのものと言えるのではないでしょうか。尤もコメントが沢山入り過ぎて対応できない等の事情からコメントを受け入れない設定としているという方も比較的多くおられますが、ワタシからみればコメントが全く入らないブログは基本的には独り言になってしまいます。

そのコメントも5年近くブログを書いていても相変わらず数える程の人からしか戴けず、むしろ数年前より明らかに気軽にコメントを下さる方の人数は減ってきています(大汗)。
それは、ワタシが他の方にコメントをすればワタシに戴けるコメントも増えるというものでは決してなく、所謂ギブ&テイクではなくてコメントをしてもワタシにはコメントは殆どして下さらないという方も大勢おられて、それは取りも直さずワタシが嫌われ疎んじられていることの証左とも言えましょう(大汗)
それは一言で言えば、このブログが思わず気軽にコメントをしたくなるような人間的な魅力には決定的に欠けているためともいえるでしょう。また、ワタシのキャラは何かしら見えない壁のようなもの、何かしら敷居の高さを感じさせているのでは?とふと思ったりもします。ワタシにしてみれば、「今日は何だか涼しいね~!」とか「F1には興味ないから今回の記事は全然面白くなかったよ~」とか「今回の記事のタイレル6輪知ってる!ちょっと懐かしいと思ったよ~!」とか「6輪のF1なんて知らなかった!何だかオバケみたいだね~!」とか、例え一言だけであってもコメントを戴くと嬉しいものですが、それは、ワタシのように「同級生は孫もいる人もチラホラいるこの歳になってまだ愛妻弁当の夢も叶わず売れ残っている優しいだけが取り柄の世にも稀な超難物の独り者」という絵に描いたように悲惨な人生を送っている状況のままでは叶わぬ夢というものなのかもしれません(爆汗)


閑話休題
今日はこれからスタリハもあるので(実はこんなワタシでもバンドでギターを弾いたり歌ったりしている時は案外幸せを感じることもあるのです)、ウィキ君超多用で1976年(昭和51年)登場のF1カー「タイレル(ティレル)P34フォード6輪」の記事をサクッとアップしますね。実はワタシは中2でビートルズにハマる以前の夢はレーシングドライバーになることでした。スティーブ・マックイーンの映画「栄光のル・マン」などの影響も多分にあった気がします。ワタシが小6だった1971年(昭和46年)、その頃から月2回発行となった三栄書房の雑誌「オートスポーツ」(autosport)を欠かさず読んでいた程のモータースポーツ・ファンだったのです☆☆
 




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ティレル (タイレル:Tyrrell Racing Organization Ltd.)は、かつてF1に参戦していたイギリスを本拠地とするコンストラクターである。
ティレルは戦後、材木商を営む傍ら1951年(昭和26年)にレーシングドライバーとしてデビューした「ケン・ティレル」(Robert Kenneth "Ken" Tyrrell、1924年5月3日~2001年8月25日)が、1959年(昭和34年)にジュニア・フォーミュラチーム・ティレル(Tyrell Racing Organization Ltd.)を設立したことに始まる。1970年代までの日本ではタイレルと表記することが一般的で1976年の日本グランプリに出場した6輪マシンには「たいれる」と平仮名が書かれてもいたので、日本国内では今尚ティレルとは言わずタイレルと言う向きも多い。
タイレルはジャッキー・スチュワート(Sir John Young "Jackie" Stewart, OBE 1939年6月11日~;英スコットランド出身)により2度のタイトルを獲得し、F-1界の名門チームとして世界中に名を轟かせた。 若手ドライバーが所属するケースも多く、ジョディー・シェクター(Jody David Scheckter, 1950年1月29日~;南アフリカ出身)、ミケーレ・アルボレート(Michele Alboreto, 1956年12月23日~2001年4月25日;伊ミラノ出身)、ジャン・アレジ(Jean Alesi, 1964年6月11日~;仏アヴィニョン出身)等錚々たるドライバーが初期のF1キャリアをタイレルで過ごした。 また、中嶋悟(1953年2月23日~;愛知県岡崎市出身)、片山右京(1963年5月29日~;神奈川県相模原市出身)、高木虎之介(1974年2月12日~;静岡市出身)といった日本人ドライバーが在籍するなど、タイレルは日本とは縁の深いチームでもあった。


★タイレルと言うと、個人的には1971年(昭和46年)にジャッキー・スチュワートが11戦中6勝を挙げてワールド・チャンピオンとなった年のマシン「タイレル・フォード003」が、タミヤの1/12スケールのプラモデルが発売されてすぐに作ったという思い出もあって最も懐かしいのだが、それは何れまたの機会にご紹介することとして、今回は2016年でデビュー40周年となる、1976年(昭和51年)第4戦のスペインGPで実戦デビューしたタイレルP34フォード6輪をご紹介することとしたい。


★6輪タイレルP34の開発の経緯
ティレル(タイレル)P34(Tyrrell P34)は、ティレルが開発し1976年と1977年の2年間のみF1世界選手権参戦に使用した世にも珍しい6輪のフォーミュラ1カーである。
P34はF1チーム・ティレル(タイレル)の創設時の最初のマシン001からワールドチャンピオンとなった1971年の003等の数々の名マシンを生み出した天才的な英国人技術者デレック・ガードナー(Derek Gardner;1931年9月19日-2011年1月7日)が設計した。1976年の第4戦から、1977年の最終戦まで実戦投入された。
ティレル(タイレル)の6輪は、日本ではエリック・クラプトンが初来日し武道館で1958年製エクスプローラーでの伝説のほろ酔いライヴを行なった年、あの1974年(昭和49年)の夏(8月頃)に開発プロジェクトが始動し、翌1975年(昭和50年)8月1日に設計図面が完成、同月中旬から3週間をかけてプロトタイプが製作され、翌9月22日にプレス(報道関係者)向けに発表された。デザイナーであるデレック・ガードナーは、空気抵抗の減少を狙い、フロントに小径タイヤを履き、それをスポーツカーノーズの陰に収めるレイアウトを考案。タイヤ接地面積の減少は、フロントタイヤを4輪に増やすことで補った。この奇抜なアイデアにはチーム・オーナーであるケン・ティレルも当惑し、シャーシ名をそれまでの連番となる「00×」ではなく全くの別プロジェクト名「P34」としてとりあえず開発にゴーサインを出したのであった。
ロンドン・ヒースロー空港ホテルでのP34のプレス発表時には、事前に内容が明らかにされていなかったため、タイレルへの仏ルノーのエンジン供給の発表ではないか、との噂などが報道関係者の間で囁かれていた。会場に用意されたマシンを隠すシートがリア側から徐々に剥がされ、エンジンが見慣れたDFVであることがわかると会場はため息に包まれたが、フロントの4輪が見えると、人々は息を呑んだ。会場は一転してシーンと静まりかえり、そのあまりに奇抜なスタイルに完全なるジョークと勘違いしたある一人の記者が「ワッハッハッハッハ~なんじゃこりゃ~人を笑わせたいのか?ワッハッハッハッハッハ~」と大声で笑い出したのをきっかけに、発表会の終了まで会場は大きなどよめきに包まれたままであったという。
P34の開発ドライバーは、主にフランスのパトリック・デパイユ(Patrick André Eugène Joseph Depailler;1944年8月9日 - 1980年8月1日)が勤めた。最終的には後輪が通常の径のままのため、当初期待された前影投影面積の低減は殆ど得られなかったが、運転してみると6輪のためにブレーキ性能が明らかに向上し、コーナーの奥深くでブレーキングできるというメリットはドライバーにとっては大きかったと言われる。


★6輪タイレルP34 1976年(昭和51年)の戦績
P34のデビューは第4戦のスペイン・グランプリであった。プロトタイプP34を実戦投入のため燃料タンクの拡大を含めたモノコックの刷新とカウリングの変更、新レギュレーションに対応したインダクションポッドの小型化、フロントタイヤのコンディションを確認するためのサイドミラー下の横長楕円形の小窓設置や、シフトノブの当たりを逃がすカウルのふくらみの追加等を行い、P34/2として1台のみデパイユのドライブで登場。次の第5戦ベルギーGPからシェクターもドライブし、第6戦モナコでは2・3位、続くスウェーデンGPにおいてデビュー4戦目にしてワンツーフィニッシュで何と優勝。このシーズンにチームはコンストラクターズ3位を獲得した。最終戦の富士スピードウェイで行われた伝説の日本グランプリでは、雨の中デパイユが一時トップを走行し最終的には2位でフィニッシュした。


★6輪タイレルP34  1977年(昭和52年)の戦績
ティレル(タイレル)チームはシーズンオフ中にエンジンまで覆うフルカウルを開発し、テスト並びにシーズン序盤の予選時には好成績を収めていたが、あくまで前年のモノコックの流用であること、フルカウルによる重量増加などにより次第に成績が低迷。また、グッドイヤーが新たにF1界に参入してきたミシュランとの競争に力を入れるため、タイレル用の特注の小径タイヤの開発に難色を示し、開発規模を縮小した。フロントタイヤが小径のためコンパウンドを通常より硬くしなければならないが、硬すぎると温まりにくくなるというようにP34のフロントタイヤの開発には通常のマシン以上にタイヤメーカーとの連携が不可欠でもあった。よって開発の進むリアタイヤと開発されないフロントタイヤとのグリップバランスに非常に苦しんだ。第5戦スペインGPでは前年型のカウルを装着したP34が持ち込まれたがあまり状況は改善されなかった。この頃、デザイナーのガードナーのティレルからの離脱が発表されるなど、チーム体制の不安定な状況も手伝ってチームのモチベーションも著しく低下していた。第9戦フランスGPからは、前輪のグリップを改善させるために前輪をワイドトレッド化、更にデパイユの車ではオイルクーラーをリヤからフロントノーズ先端に移動しフロント加重の増加によるハンドリングの改善を狙ったマシンを投入(ピーターソン車は第12戦オーストリアGPより同様の措置が採られた)。フロントタイヤをノーズの外側に広げたことで開発当初の空気抵抗の減少という利点を減少させ、オイルクーラーの移動や度重なる改造による車重の増加がマシンの俊敏性を損ねてしまっていた。シーズン後半は成績も多少好転したものの1977年の終了とともにP34は実戦から離脱することとなった。6輪タイレルは僅か2シーズン弱という短命に終わった。しかし、その個性的なスタイルから世の中に与えたインパクトは大きく、当時からミニカー等の関連グッズも大量に作られ、40年を経た現在でもファンの多いマシンの1台となっている。



●三栄書房「オートスポーツ」1976年7月1日号 表紙
タイレルP34がスペインGPにデビューした時の号。A4判。当時定価300円。この本を買った時の私は高2の1学期で16歳だったが、つい昨日のことのようでもある。ジャンプでこち亀の連載が始まったのも丁度この頃だった。当時、自動車雑誌はカーグラ、ドライバー、オートスポーツあたりを割合読んでいた。同時並行で鉄道ファンや鉄道模型趣味(TMS)、とれいんといった鉄道関係の雑誌やミュージックライフや音楽専科といった音楽関係の雑誌も読み耽るという変な高校生だった。そして、そのまま大人になって今があるという感じ(大汗)
オートスポーツ



●ジョー・ホンダ写真集 No.06 「 タイレル P34 1976 」
モデルファクトリーヒロ(MFH)、2011年6月21日発売。1976年のP34の179点の写真を収載した豪華写真集。A4変形判。80頁。定価税抜3143円。1939年(昭和14年)12月8日生まれのモータースポーツ・カメラマン「ジョー・ホンダ」(本名:定塚信行氏)の写真をモデルファクトリー ヒロの代表・廣 美佐男氏の情熱により書籍化したシリーズの第6弾。編集はネコ・パブリッシング「モデル・カーズ」編集部に在籍していた山田剛久氏。ディテール写真も多くモデラー向けの資料としても使える。表紙は日本グランプリのデパイユのドライブで2位となったP34でドライバー下に「たいれる」の文字が見える。
ジョーホンダ



●1976年10月 24日 悪天候の日本グランプリを中心としたタイレル P34画像集
日本グランプリ

(1)写真雨4番

(2)雨3番

(3)雨3番

(4)サイド

ピットイン
(5)ピットイン

ピットアウト
(6)ピットアウト

(7)前輪

(8)前輪

(9)サイドビュー





★オマケ(その1): トミカF32-1番 1/52スケール1976年タイレルP34フォード
全長7.7cm。ダイキャスト製。1977年10月発売。当時定価240円。ギフト専用を含めバリエーションは多数。6輪タイレルはミニチャンプス、トゥルースケール、京商の1/64等、現行品や近年の出来の良いミニカーも多数出ていますが、ここでは実車と同時代の空気を吸っている当時モノに絞ってご紹介することとします。
トミカ(1)

トミカ(2)

トミカ(3)



★オマケ(その2): 「そんな本日のホットウィール」1/50スケール程度 LICKETY SIX
全長7cm。ダイキャスト製。裏板に「MATEL INC.1977 HONG KONG」の刻印があることから、TYRRELLの刻印はないものの時代的に明らかにタイレル6輪にインスパイアされたモデル。傷有ながらフリマで50円。
ホットウィール(1)

ホットウィール(2)

裏板の刻印
ホットウィール(3)



★オマケ(その3): 永大グリップテクニカ10番 1/20スケール 1976年タイレルP34フォード
全長20.5cm。ダイキャスト製。1977年発売。当時定価1600円。日本製P34の傑作モデル。
永大(1)

永大(2)



★オマケ(その4): メーカー不明 1/22スケール程度 1976年タイレルP34/2フォード
全長19cm。プラスチック製。当時定価:不明。製造国:香港。フリクション駆動。この手のプラトイはまるで人気がないのか、リサ店で100円均一コーナーに転がっていることがあります。
プラ(1)

プラ(2)



★オマケ(その5): ニッコー 1/16スケール 1976年タイレルP34フォード
全長27cm。プラスチック製。当時定価:不明。前2輪がステアするちょっと感動的なラジコン。6輪タイレルファンなら見逃せないアイテムながら、この手の70年代あたりのプラ製ラジコンもまるで人気がないらしく、リサ店では当時定価よりも明らかに安い500円~1000円以下で売られていることが多いようです。
ラジコン(1)

ラジコン(2)

ラジコン(3)


●オマケ1~5の並び
ラジコン(4)1~5並び



★オマケ(その6): 1976年10月24日 F1 第16戦 日本グランプリ (毎日ニュース)
日本で初めて行われた富士スピードウェイでのF1サーカス。1:45位で傘をさして走行する6輪タイレルが登場。駐車場に集まった70年代の日本車達にも注目。