★1957年 新明和/川西タンクローリー トミカダンディ52番日野~自動車カタログ棚から312 | ポルシェ356Aカレラ

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早くも5月、ゴールデンウィークもたけなわですNE!
GWも関係なく勉学やお仕事という人はお疲れ様です!
今日は憲法記念日。日本が世界で初めて憲法において戰爭放棄ということを宣言した重要な日なのですYO!


この連休の前半は遠出をしたりなどバタバタしていて、すっかり更新が遅くなりましたが、東日本大震災の311にちなみ第311回でストップしていた「自動車カタログ棚から」シリーズの第312回として、今回は現在も特装車の製造を行なっている新明和興業(現・新明和工業)が1957年(昭和32年)に発行したと思われる製品カタログの中から各種タンクローリーをご紹介します。   



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★1935年(昭和10年)生まれの叔父は、私より丁度二回り上で今年2016年で81歳になるのだが、とにかく自動車から船舶まで運転に纏わる免許を沢山持っている。自動車関係では普通自動車は勿論、大型、牽引、どんな種類のタンクローリーも運転出来るようにと危険物甲種、1960年代までは普通自動車免許を採ると自動的に付いてきた大型二輪も勿論持っており、昭和30年代にはメグロの大型でカミナリ族をやっていた(らしい)。


★日本の法規上(消防法上)では、ガソリン、LPガス等の危険物を輸送するタンクローリーのことを「移動タンク貯蔵所」という。
一般的に石油系のタンクローリーを運転するには、GSから灯油を小口配達する小型トラックや軽トラでもない限りは、まず大型免許と危険物乙4類、単車でなくトレーラー車の場合には更に牽引免許が必要となる。
タンクローリーの運転業務は荷の積み降ろしをホースのみで行うことが可能で重労働ではないため、普通のトラックの運転業務よりも従事する人の年齢層が高い(らしい)。GSの数が減少している昨今では石油系タンクローリーの未来は危ういと見る向きもあるが、ガソリン自動車の生産が続く限りタンクローリーの需要がなくなりはしないだろう。ガソリン等の石油系ではなく化学薬品等のケミカル系のタンクローリーの運転業務の場合は特定の工場等への納品がメインのため長距離とはなっても走行ルートが一定しており工場が休業となる盆暮れには基本的に休める上に一般的に給与水準が高い(らしい)。運転技術が確かで自動車を運転すること自体が好きな人であるならば、還暦を過ぎても比較的楽に続けられる(らしい)。但し、長距離ルートが多い場合には腰を痛めるケースが比較的多いという。

※(註) 以上はネット上で閲覧し得た情報であり、筆者は業界人ではないため真偽の程は不明です。



★新明和工業の歴史
新明和工業株式会社は兵庫県宝塚市新明和町1-1に本社を置く輸送用機器製造会社である。
新明和工業の前身は川西航空機であり、川西航空機は戦前、九七式飛行艇や二式大型飛行艇等の飛行艇、局地戦闘機・紫電/紫電改等の名機を生み出した関西の名門航空機メーカーであった。戦後、新明和興業(1960年5月に新明和工業に改称)として再建され、民需転換のため2輪、オート3輪、特装車架装等の様々な事業に進出した。航空機については1962年(昭和37年)のYS-11の生産分担に始まり、1966年(昭和41年)には海上自衛隊向けの飛行艇で完成機メーカーとして念願の復活を遂げた。

・1918年(大正7年)5月・・・・・新明和工業の前身である「川西航空機株式会社」の創業者・川西清兵衛が、「中島飛行機」の創業者 中島知久平と共同で日本初の飛行機会社「日本飛行機製作所」を設立。

・1920年(大正9年)2月・・・・・日本飛行機製作所を2年足らずで解散。川西清兵衛は次男の川西龍三を経営者に置き、「川西機械製作所」を創設。若き技術者の「もう一度飛行機を作らせてほしい」という熱意に応え、後に同社内に「飛行機部」を設置、独自に飛行機の設計と製作を開始。

・1923年(大正12年)6月・・・・・国内三番目となる商業航空事業会社「日本航空株式会社」を設立し、国策の「日本航空輸送株式会社」へと営業路線を譲渡するまでの6年間、民間航空輸送事業の発展に貢献。

・1928年(昭和3年)11月・・・・・航空機事業に魅せられた川西龍三が川西製作所・飛行機部の事業を継承した「川西航空機株式会社」を設立。同社は、第二次世界大戦終了まで日本の航空史に残る数々の名機を創出。

・1945年(昭和20年)12月・・・・・終戦に伴い航空機製造の全面禁止を受けるも川西は希望を捨てず、1946年(昭和21年)2月には転換事業の目標を明確にするための新組織を発足。オート三輪「アキツ号」を生産開始。航空機製造で培った技術と技能を生かしてモノ不足・食糧難であった時代のニーズに応えるべく生活用品などの製造も開始。

・1949年(昭和24年)11月・・・・・「新明和興業株式会社」設立。相前後して1949年9月にダンプトラック架装第1号完成。新規事業の立ち上げに成功。


・1952年(昭和27年)4月・・・・・戦後7年を経て航空機製造が解禁となり、航空機専業メーカーから社会インフラ整備に事業領域を広げ、日本の高度成長と共に特装車、産業機器、航空機という3つの事業柱を確立。2輪車ポインター発売。阪神地区ではポインターがモーターサイクルの代名詞となる。

・1960年(昭和35年)5月・・・・・「新明和工業株式会社」に社名変更。航空機事業への本格参入を目標に、揺ぎない経営基盤を築くため株式会社日立製作所の傘下となる。

・1966年(昭和41年)1月・・・・・PX-S飛行艇試作第一号機を防衛庁から正式に受注し、翌1967年に試作機が初飛行する。


★1957年 川西の製品カタログ (A4判・厚紙シート104枚+カバー)
表紙には「川西の製品」「川西モーターサービス」「新明和興業株式会社」の順で大きな文字サイズの印字があり、殊更に「川西」が強調されているのは戦前の川西航空機の知名度を強力な後ろ盾としたものであろう。「川西モーターサービス」は「新明和興業」の一部門だったものと思われる。このカタログには計49枚のシートに原則として1枚に2車ずつ架装完成時の貴重なオフィシャル写真が掲載され、別紙に架装年月や架装の概要・諸元が記載されているが、「あくまで架装例であって他車種にも同様の架装が出来る」という意味合いからかシャシーメーカーの記載は一切されていない。大きく分けて「ダンプの部」、「タンクローリーの部」(バキュームカーを含む)、「特殊車の部」(ミキサー車、架線塔車、救援車等)の3部構成となっており、今回は「タンクローリーの部」の車両写真をご紹介することとしたい。
タンクローリーにはB-1からB-26まで任意に割り振られたと思われるナンバーを持つ計26車が掲載されている。カタログの「まえがき」末尾に「今後生産される特殊車の中で各位の御関心を頂きたいものについては、その都度印刷の上配布申し上げますから本書に御追録下さい。」との記載があり、随時シートを追加するという珍しい形式を採ったカタログである。記載されている架装年月はシャシーの生産年月とは必ずしも合致せず、新車から5年落ち程度で架装されたと思われる車両も含まれている。1950年代に高いシェアを誇った新明和の2輪車「ポインター」は比較的現存するのに対して、このカタログに掲載された新明和の架装した働くクルマ達は恐らく1台も現存はしないと思われる。
表紙

まえがき
まえがき



※凡例: 〈新明和興業独自のカタログ付番〉・架装年月・シャシーメーカー・架装種別・「事業者名」 


〈B-1〉 1954年8月 いすゞ重力式散水車「京都市建設局」
(1)いすゞ


〈B-2〉 1955年11月 トヨタ自給式重力散水車「大阪市土木局」
(2)トヨタ


〈B-3〉 1955年4月 ニッサン洗浄散水車
(3)ニッサン


〈B-4〉 1952年12月 日野 独立エンジン付洗浄散水車
(4)日野


〈B-5〉 1953年3月 トヨタダブルキャブ式 吸水車
(5)トヨタ


〈B-6〉 1957年4月 トヨペット排水車「日本電信電話公社」
(6)トヨペット


〈B-7〉 1957年10月 プリンス ガソリンローリー「日本石油」
(7)プリンス


〈B-8〉 1956年10月 トヨタ ガソリンローリー「丸善石油」
(8)トヨタ


〈B-9〉 1956年12月 ニッサン重油ローリー「出光興産」
(9)ニッサン


〈B-10〉 1956年11月 三菱ふそう ガソリンローリー「日本石油」
(10)ふそう


〈B-11〉 1955年9月 シャシー不詳 航空機燃料給油車「日米商会(ESSO)」
(11)不詳


〈B-12〉 1956年6月 いすゞ 航空機燃料給油車「琉球石油」
(12)いすゞ


〈B-13〉 1957年3月 三菱ふそう 航空機燃料給油車「新三菱重工業 名古屋航空機製作所」・・・・・シャシーは1952年から1953年あたりの三菱ふそうに見えるので4~5年落ちでの架装?
(13)ふそう


〈B-14〉 1955年1月 いすゞ 印刷用インクローリー「阪田の印刷インキ」
(14)いすゞ


〈B-15〉 1957年10月 トヨタ ホルマリン ローリー「東洋高圧」
(15)トヨタ


〈B-16〉 1956年10月 いすゞ メタノール ローリー「住友化学」
(16)いすゞ


〈B-17〉 1953年8月 日野 ナイロン液トレーラーローリー「東洋レーヨン」
(17)日野トレーラー


〈B-18〉 1953年3月 日野 濃硫酸ローリー「不二越鉱業」
(18)日野


〈B-19〉 1956年9月 トヨタ 二硫化炭素ローリー
(19)トヨタ


〈B-20〉 1957年8月 三菱ふそう ラテックス ローリー
(20)ふそう


〈B-21〉 1955年7月 ミンセイ 動植物油ローリー「不二製油」
(21)ミンセイ


〈B-22〉 1956年3月 いすゞ牛乳ローリー「明治乳業」
(22)いすゞ


〈B-23〉 1956年12月 三菱3輪バキュームカー
(23)三菱3輪


〈B-24〉 1956年3月 オリエント3輪バキュームカー
(24)オリエント


〈B-25〉 1957年5月 トヨペット バキュームカー「神戸市清掃局」
(25)ダイナ


〈B-26〉 1956年8月 ニッサン バキュームカー「四日市市役所」
(26)ニッサン





★オマケ(その1): トミカダンディ52番 1/60スケール 1975年日野HE355トラクタ牽引セミトレーラータンクローリー各種
全長22cm。1976年10月発売。当時定価1350円~1500円。ダイキャスト/タンク部プラ製。最初にSHELLが市場に出たあと、日石、ESSO、キグナス、TEXACOと怒涛のようなバリエーションがリリースされた。日石は最初に白/空色が出たあと、白/紺のニューデザインに替わった。グリル左右のパーツにメッキと塗装のバリエーションあり。並んで写っている白黄のシェルカラーと似たカラーリングの乗用車は同じ1/60スケールのトミカ26-1番セリカ1600GT「1972年日本グランプリ優勝車」(2001年エアクール特注品)。
ダンディ(1)

ダンディ(2)

ダンディ(3)

ダンディ(4)



★オマケ(その2): 仏CIJ 3/72番 1/55スケール? 1958年ルノー タンクローリー「SHELL」
全長20cm。国内輸入価格:不明。ズッシリと重いオールダイキャスト製。キャブ後部のスペアタイヤ取り外しアクション付。変顔ながら愛嬌のあるキャブです。並んで写っているのはプラスチック時代の独siku品番76 シトロエンDS19。
CIJ(1)

CIJ(2)

オマケ1との並び。
CIJ(3)並び



★オマケ(その3): そんな本日のホットウィール

①ポルシェ356Aアウトロー
最初の黒に続いて出た2ndカラーのシルバー。356なので同じものを3台♪
HWポルシェ356銀

②トヨタ2000GTタイムトライアルカー
日本ヒストリックスは発売即完売の大ショート(市場在庫が需要に比べて大幅に不足している状況)のようですが、トヨタ2000GTだけは外せないので定価+αで入手♪本当はケンメリパトも1台欲しいところ。でも今回出た5台の中では510ワゴンが一番と言う人が意外に多いようです。
HWトヨタ2000GT




※日本のタンクローリーの歴史については本シリーズ第261回記事をご参照ください。



【過去記事 カタログ画像 追加情報】
本シリーズ第240回記事「いすゞBUオバQ」に以下の1966年10月発行カタログを追加しました。

●1966年10月 いすゞディーゼルバス タイプBU 総合カタログ (A4判・10頁)
いすゞカタログNo.LB-2005。何とも魅力的な山中湖ホテル前のオバQの表紙写真。収載型式はBU05・BU10・BU20・BU15・BU20・空気ばね付BU05P・同BU10P・同BU15P・同BU30Pの9車種。
いすゞBU66年