★1966年 スバル1000 革新的なFF小型車デビュー ~ 自動車カタログ棚から 299  | ポルシェ356Aカレラ

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東京も年の瀬らしく寒くなってきました。今回の記事をアップしようとしたところ、何と「記事内容は半角4万字以内で作成してください」という表示が出てアップ不能でしたので大幅に内容を削った上でアップすることとします。 

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★スバルのルーツである中島飛行機は、1917年(大正6年)、中島知久平(なかじまちくへい:1884年1月1日-1949年10月29日)により群馬県尾島町に「飛行機研究所」の名称で設立された(相前後して東京帝国大学に同名の研究機関が出来たため、1918年に「中島飛行機研究所」と改名)。
研究所設立時に33歳だった中島知久平は、「航空機こそが日本の未来を拓く」と予見していた。その後、中島は1930年(昭和5年)には政治家に転じ、鉄道大臣、商工大臣等を務めた。中島は豊富な欧米視察の経験がありアメリカの国力をよく知っていたことから、日本の力ではアメリカには太刀打ちできないと当初は太平洋戦争には消極的だったが、開戦後は「米軍の大型爆撃機が量産に入れば日本は焼け野原になる」と連戦連勝で浮く日本軍部を批判し、ガダルカナルの争奪戦では日本の敗戦を予想して、敗勢挽回策としてZ飛行機(いわゆる超大型爆撃機「富嶽」)の製造を提言するも終戦前年の1944年まで政府に無視された後、計画は破棄された。何と中島和久平は65歳で亡くなるまで独身を通し、妻を娶らなかった(但し、和久平の身の回りの世話をしていた女性との間に生まれた子供2人を長女・長男として自分の籍に入れた)。

★戦後、中島飛行機は富士産業と社名を変更したが、民需転換は文字通りゼロからのスタートとなった。
ギリシャ神話に登場するイカロスの如く航空機製造という翼を失った中島の技術者達は暗中模索の中で自転車、リヤカー、小型モーター、製粉機といった様々なモノ造りを始めた。
1950年(昭和25年)8月、旧中島飛行機の富士産業は財閥解体の対象となり12の会社に分割されたが、1953年(昭和28年)7月にはそのうちの5 社が合併して富士重工業が誕生した。その前年の1952年(昭和28年)に「航空機製造法」が成立し、航空機工業再開への見通しも僅かながら開けてきた。そこで中島飛行機時代の旧友達が集まり、一緒に自動車を作りつつ、やがては再び飛行機を開発しようという機運が生まれ、東京富士産業、富士工業、富士自動車工業、大宮冨士工業、宇都宮車両の5社の共同出資により「富士重工業」が設立されたのである。現在のスバルのマークである「六連星」(むつらぼし)は6つの会社が統合したのではなく、5つの会社を統合して富士重工業という更にひとつの大きな会社が生れたことを意味している。マークの星がひとつだけ大きいのはそのためである(プレアデス星団=すばる星団の中で最も明るく輝くアルキオネに当る)。富士重工創業50周年記念の2003年7月15日を期に従来の丸にフの字のマークより認知度の高くなったこの六連星が新たなコーポレートマークとして使用されることとなった。

★スバルの名称が初めて使われたのは1954年(昭和29年)2月から1955年(昭和30年)にかけて計20台が試作された初の乗用車「スバル1500」(開発コード:P-1)である。
20台のうち6台は太田、伊勢崎市内のタクシー会社に特別に販売されタクシーとして実用に供され乗心地の良さが好評であった。しかしスバル1500(P-1)は量産化されることはなかった。トヨタのクラウンと肩を並べるモデルを量産するには、当時の富士重工では生産能力も販売力も弱く時期尚早、余りにもリスクが高いと判断されたからである。
正式な市販車として最初にスバルの車名が使用されたのは1958年(昭和33年)5月発売の名車「スバル360」(本シリーズ第54回記事参照)であった。そして、スバルの名称はスバル450、軽商用車スバルサンバーと相次いで使用された後、1966年(昭和41年)5月14日にFFの革新的な小型車が「スバル1000」(開発コード:63A)の名称で発売された。

★スバル1000は、RR(リアエンジン・リアドライブ)のスバル360とは一転してFF(フロントエンジン・フロントドライブ)となり、その技術力の高さは専門家達を唸らせた。
ボディ前端に縦置きされた軽量かつ低重心の水平対向4気筒エンジンで前輪を駆動する極めて合理的なレイアウトは後年アルファスッドにより忠実に模倣され、戦前より日本車は欧米車のコピーとも言われてきた歴史の中で反対に海外に技術をコピーされる日本車が生まれたのである。スバル1000の開発統括責任者はスバル360と同じ名技術者・百瀬晋六(ももせしんろく:1919年2月20日-1997年1月21日)であった。百瀬が心酔していたと言われるシトロエンDSの存在がスバル1000の開発に影響を与えたとも言われるが、「等速ジョイント」の完成形の一つと言えるダブル・オフセット・ジョイント(D.O.J)を世界で初めて実用市販化しFF(FWD)の欠点を克服したスバル1000を完成させた百瀬の功績は大きい。

★スバル1000の発売により富士重工は、それまでの軽自動車メーカーの枠を超えて小型車市場へのエントリーを果たし、本格的な自動車メーカーとしての第一歩を踏み出した。
確実に時代の数歩先をいくスバル1000であったが、普通・凡庸であることを美徳とする日本人には敬遠される結果ともなり当初の販売は苦戦した。しかし、伊藤忠商事との販売連携やスバル360からの乗り換え需要が増えたこと、市場での高評価が浸透した1969年(昭和44年)3月には月4000台以上を売る存在となった。市場に出た数はけっして少なくはなかったスバル1000シリーズだが今日ではパーツの供給状況が絶望的に悪く旧車として維持することは難しいクルマの一つと言われる。
スバル1000の発売された1966年(昭和41年)はサニー、カローラのデビューした年でもあり、モーターリゼーションが爆発的に進展した「マイカー元年」とも言われる。サニー、カローラより技術的には遥かに先進的であったスバル1000はやがてスバリストというコアなファンをも生むこととなり、水平対向エンジンやFF(という語も元々はスバル社内で使われていたものという)といった技術は現在のスバル車にも受け継がれている。



【スバル1000/スバルff-1/スバル1300Gの変遷】

・1963年(昭和38年)9月: 社内開発コード「63-A」として小型車の開発スタート 

・1964年(昭和39年)11月: 第一次試作車4台完成

・1965年(昭和40年)10月21日: プレス発表(東京赤坂ヒルトンホテルにて)

・1965年(昭和40年)10月29日~~11月11日: 第12回東京モーターショーにて一般公開(東京・晴海)

・1966年(昭和41年)5月14日: 4ドアのみデラックス・スタンダード・スーパーデラックスの3グレードで発売

・1967年(昭和42年)2月25日: 2ドア発売

・1967年(昭和42年)
9月: バン発売

・1967年(昭和42年)11月25日: ツインキャブ67psの「スポーツ」発売

・1968年(昭和43年)8月1日: デラックスのフロアシフト仕様追加

・1968年(昭和43年)11月1日: スーパーデラックスのフロアシフト仕様追加

・1969年(昭和44年)3月1日: 1088ccのff-1にマイナーチェンジ

・1969年(昭和44年)10月6日: 4ドアのスポーツグレード「スーパーツーリング」追加

・1970年(昭和45年)7月1
0日: 1267ccのff-1・1300Gにマイナーチェンジ

・1971年(昭和46年)4月22日: マイナーチェンジ

・1971年(昭和46年)10月15日: レオーネ1400クーペ発売に伴い、スポーツを生産中止

・1972年(昭和47年)2月19日: レオーネ4ドアセダン発売に伴い、1300Gおよびスーパーツーリングを生産中止

・1972年(昭和47年)4月22日: レオーネ2ドアセダン発売に伴い全車生産終了



【主要スペック】 1966年 スバル1000スーパーデラックス (1966 Subaru 1000 Super Deluxe)
全長3930㎜・全幅1480㎜・全高1390㎜・ホイールベース2400㎜・車重695kg・FF・EA52型水冷4サイクル水平対向4気筒OHV977cc・最高出力55ps/6000rpm・最大トルク7.8m・kg/3200rpm・圧縮比9.0:1・デュアルラジエター(冷却ファンなし)・変速機4速コラムMT・最小回転半径4800㎜・乗車定員5名・燃料タンク容量36L・時速40km定速燃費24km/L・電装系12V・青色熱線吸収ガラス・パワーウエイトレシオ:12.2kg/hp・最高速度130km/h・東京店頭渡価格58万円



●1965年10月 第12回東京モーターショーのスバル1000
二玄社「CARグラフィック」1965年12月号より。
カーグラ1965年モーターショー



●1966年 スバル1000 雑誌広告
二玄社「CARグラフィック」1966年12月号より。独特なルーフからリアにかけてのラインの良さとFFの特性を活かし雪道に強いことがアピールされている。
カーグラ1966年広告



●1965年10月 スバル1000 モーターショーカタログ (縦25.2×横36.8cm・2つ折4面)
第12回東京モーターショーで配布された巨大なカタログ。スペックの掲載はなし。白地のため汚れやすく、巨大なため折れやすいという良い状態での保存が難しいカタログ。
65ショー(1)表紙

中面: ホイールベースの長いプロポーションはダックスフントを思わせる。ホイールベース2400mmは当時の2代目50系スカイライン1500や2代目410系ブルーバードより長く、FFによりフロアがフルフラットであることもあり室内の広さは1.5リッタークラス以上であった。
65ショー(2)ダックスフント

裏表紙:リアビュー
65ショー(3)リアビュー



●1966年5月 スバル1000 簡易カタログ (縦28×横29.8cm・8頁)
66簡易(1)表紙

【中頁から】
66簡易(2)SDX

広い室内
66簡易(3)広い室内

コンパクトな水平対向4気筒1000ccエンジン
66簡易(4)1000cc水平対向エンジン

ダッシュボード
66簡易(6)ダッシュボード

スペック
66簡易(7)スペック



●1966年8月 スバル1000 本カタログ (縦26.3×横30.4cm・20頁)
上掲の簡易カタログと同じ写真の表紙だが上部の文字の色が異なり、カタログ自体の判型も異なる。このカタログの初版は恐らく1966年5月。
66本(1)表紙

【中頁から】
家族で洗車。お祖母さんが和装。
66本(2)家族で洗車和服

初期のボディカラーは4色のみ
66本(3)初期カラー4色のみ



●1967年2月 スバル1000 2ドアセダン専用 簡易カタログ (縦26.3×横30.4cm・3つ折6面)
2ドアが先に出たサニー、カローラとは反対にスバル1000は4ドアでデビューし2ドアが後から追加された。同時期に2ドアセダンのみの本カタログも出ている。
67年2ドア専用



●1967年6月 スバル1000 本カタログ (縦26.3×横30.4cm・24頁)
2ドア追加後の総合本カタログ。このカタログは表紙を開くと「時代をひらく世界のFF車」と題して、ミニやシトロエンを始めとする世界のFF車が描かれている。
67本(1)影



●1967年5月 スバル1000 簡易カタログ (縦26.3×横30.4cm・3つ折6面)
2ドア追加後の総合簡易カタログ。
67簡易1(1)表紙

【中面から】
ボディカラーはデラックス11色、スタンダード9色に増加
67簡易1(2)カラー大幅増



●1968年1月 スバル1000 簡易カタログ (縦26.3×横30.4cm・3つ折6面)
上掲の67年5月版簡易カタログの表紙左上にあった「新発売」の文字が消え、SUBARU1000の文字色が変わり、中面には67年11月に追加されたスポーツセダンも掲載された改訂版カタログ。
68簡易2改訂版



●1968年2月 スバル1000バン 専用本カタログ (縦26×横30.4cm・16頁)
初版は1967年9月と思われる、追加されたバン専用の本カタログ。バンは4ドアのみで2ドアの設定はなし。2名乗車時の最大積載量400kg。レガシィ・ツーリングワゴンや現在のレヴォーグの先祖に当るクルマ。
68バン本(1)表紙

【中頁から】リアビュー
68バン本(3)リア



●1968年5月 スバル1000バン 専用簡易カタログ (縦26.3×横30.4cm・4つ折8面)
初版は1967年9月と思われる、追加されたバン専用の簡易カタログ。
68バン簡易



●1968年5月 スバル1000スポーツセダン 専用簡易カタログ (縦26.3×横30.4cm・4つ折8面)
初版は1967年11月と思われる、ツインキャブ67psの追加されたスポーツ専用の簡易カタログ。EA53型977cc67psを搭載し、最高速度150km/h、ゼロヨン17.7秒(2名乗車時)。
68スポーツ簡易(1)表紙

【中面から】
スポーツのテールライトにはバックライトが組み込まれた。
68スポーツ簡易(2)バックライト組込み

丸型3連メーター
68スポーツ簡易(3)3連メーター



●1968年6月 スバル1000スポーツセダン 専用本カタログ (縦26.3×横30.4cm・22頁)
初版は1967年11月と思われる、スポーツ専用の本カタログ。
68スポーツ本1表紙(赤文字)



●1968年9月 スバル1000スポーツセダン 専用本カタログ (縦26.3×横30.4cm・12頁)
上掲の68年6月版カタログと一見同じ表紙だが、「Sports Sedan」の文字が赤から黄色に変わり、中の頁も一新された。このカタログ以前はライセンスナンバーが「品川5」だったものが、このカタログから「品川51」と二桁に変っている。
68スポーツ本2(1)表紙

【中頁から】
ベレG同様、ルーフアンテナがそそる。
68スポーツ本2(2)ルーフアンテナ



●1968年7月 スバル1000 フロアシフト 専用カタログ (縦26.3×横30.4cm・2つ折4面)
スポーツセダンと同じフロアシフト仕様がデラックス(4ドア/2ドア)に追加された際の専用カタログ。
68フロアシフト



●1968年11月 スバル1000 本カタログ (縦26.3×横30.4cm・24頁)
スポーツセダンと同じフロアシフト仕様をデラックスに続きスーパーデラックスにも追加した際の本カタログ。スポーツセダンを含むバン以外の全てのスバル1000が掲載され、60年代末のムードも現れた秀逸なカタログ。
68本(1)表紙漏れる光



●1969年3月 スバルff-1 本カタログ (縦33.5×横25.6cm・20頁)
EA61型1088ccを搭載したff-1にマイナーチェンジ。掲載グレードはスーパーデラックス、デラックス、スタンダード、スポーツ・セダン。
69白(1)表紙ff1

【中頁から】
69白(2)2人とフロント

69白(3)フロントビュー

69白(4)リアビュー



●1969年7月 スバルff-1バン 専用本カタログ (縦33.2×横25.5cm・12頁)
バンもEA61型1088ccを搭載したff-1に変り、従来の4ドアバンに加えて2ドアバンも追加された。
69バン(1)表紙

【中頁から】
69バン(2)フロント

2ドアバンを追加
69バン(3)2ドアバンを追加



●1969年12月 スバルff-1 本カタログ (縦33.5×横25.6cm・20頁)
上掲の69年3月版カタログと同じ白い表紙のまま、中頁にスポーツと同じエンジンを積んだ4ドア版スポーツの「スーパーツーリング」が追加されたカタログ。グレードはスーパーデラックス、デラックス、スタンダード、スーパーツーリング、スポーツセダンの5種となった。
【中頁から】スーパーツーリング(上)を追加
70白(2)スーパーツーリング追加



●1970年1月 スバルff-1スポーツ 専用本カタログ (縦33.2×横25.5cm・16頁)
EA61S型1088cc77psエンジンを搭載したff-1スポーツ(2ドア)の専用カタログ。最高速度160km/h、ゼロヨン17.2秒。同時期にスーパーツーリング(4ドア)の専用カタログも発行されている。
70スポーツ(1)表紙緑

【中頁から】
ボディカラーは白赤黄の3色
70スポーツ(2)カラー赤白黄

3連メーターが1つのフードに入れられた。
70スポーツ(3)3連メーターフード



●1970年6月 スバルff-1 1300G/1100 本カタログ (縦31.5×横24.5cm・24頁)
マイナーチェンジ。EA62型1267cc80psエンジン搭載した「ff-1 1300G」がメインとなり、1300GにはGL・カスタム・デラックス・スタンダードの4グレード。セダン系は他に93psエンジンのスポーツ(2ドア)、スーパーツーリング(4ドア)と従来のEA61型1088ccエンジンを搭載したff-1 1100デラックスとスタンダードの計8グレード体制となった。このカタログは総合本カタログでセダン系に加えて1300Gバン、1100バンまで掲載。内外装は良くも悪くも70年代的になり、オリジナルのシンプルな味わいは消えた。
70G(1)表紙

【中頁から】
70G(2)

超ミニの女性
70G(3)リア超ミニ女性

ダッシュボード一新
70G(4)ダッシュボード一新

バリエーション
70G(5)バリエーションGL他



●1970年6月 スバルff-1 1300Gスポーツセダン/スーパーツーリング 専用本カタログ (縦31.5×横24.5cm・12頁)
93psエンジン搭載のスポーツ(2ドア)、スーパーツーリング(4ドア)というスポーツ系2種のみの専用カタログ。
70Gスポーツ(1)表紙

【中頁から】
70Gスポーツ(2)スポーツ

フロントスポイラーやボンネットストラップがオプション
70Gスポーツ(3)ノーズフィン他オプション

スーパーツーリング
70Gスポーツ(4)スーパーツーリング縦

スーパーツーリングのリアと豪華な室内
70Gスポーツ(5)スーパーツーリングリア室内



●1970年6月 スバルff-1 1300Gバン/1100バン 専用本カタログ (縦31.5×横24.5cm・12頁)
バンもA62型1267cc80psエンジン搭載し、4ドアの「ff-1 1300Gバン・デラックス」がメインとなり、1100バン4ドア/2ドアも併売された。表紙及び中の全編に美女が登場するナイスなカタログ。
70バン美女(1)表紙

【中頁から】
70バン美女(2)斜め

2ドア1100バン スタンダード
70バン美女(3)1100std

ミニスカ美女
70バン美女(4)ミニスカ美女



●1971年6月 スバルff-1 1300G/1100 本カタログ (縦31.5×横24.5cm・24頁)
スバル1000のプラットホームを使用した車両の最後のマイナーチェンジ。この年の秋には新世代のレオーネ1400クーペがデビュー。最終年式では2本のクロームが左右に走るフロントグリルが基本となり、スポーツ系は左右に独立したクロームの囲いが付いた。2ドアのスポーツはキャップレスホイールとなった。変化のための変化といった様相を呈しており、オリジナルから比べると厚化粧が目立ちシンプルな美しさは影を潜めた。依然として1088cc62psを搭載したff-1 1100デラックスとスタンダードが残されセダン系は8グレード。このカタログは1300Gバン/1100バンも掲載された総合版。
71本(1)表紙

【中頁から】
GL
71本(2)GL

スーパーツーリング
71本(3)スーパーツーリング

スポーツはキャップレス・ホイールとなった。
71本(4)スポーツキャップレス

バンもセダンに準じた変更
71本(5)バンもセダンと同じ変更



●1970年 スバルff-1 スター・シリーズ カタログ (縦21.5×横28cm・英文2つ折4面)
SUBARU OF AMERICA発行の北米輸出向け車のカタログ。北米向けは「スター」(STAR)の車名で販売された。搭載エンジンはEA61型1100cc、ボディタイプは2ドア・4ドア・4ドアワゴンの3種。国内向けの69~70年型ff-1のグリルを付けた左ハンドル車。ドアミラー、サイドマーカーが大きいことなどが国内向けとは異なる。4ドアワゴンは国内向けバンの乗用仕様で国内では売られなかった。価格はワゴンが$1899と最も高く、次いで4ドアセダン$1799、2ドアセダン$1699と続く。表紙に「`71 make it with a star」の文字が追加された改訂版カタログあり。
70英文(1)表紙2ドア

【中面から】 ワゴン
70英文(3)ワゴン




★オマケ(その1): 米澤玩具 ダイヤペット148番 1/40スケール 1966年スバル1000
全長9.8cm。アンチモニー製。1966年10月発売。当時定価430円。ボンネット、トランク開閉。カラーバリエーションは緑金、茶、クリームなど。このモデルもホイールの白い部分が経年劣化で変形してきている。
ダイヤペット148番(1)

ダイヤペット148番(2)

ダイヤペット148番(3)



★オマケ(その2): 米澤玩具 ダイヤペット191番 1/40スケール 1969年スバルff-1
オマケ1のマイナーチェンジモデル。全長9.8cm。アンチモニー製。1969年10月発売。当時定価430円。ボンネット、トランク開閉。カラーバリエーションは緑金、赤、クリームなど。
ダイヤペット赤(1)

ダイヤペット赤(2)

ダイヤペット赤(3)

オマケ1との比較
ダイヤペット赤(4)前比較

ダイヤペット赤(5)リア比較



★オマケ(その3): 尾高模型 1/32スケール 1966年スバル1000スーパーデラックス プラモデル
全長11.7cm。当時定価200円。オリジナルは1960年代の三共でこのオダカ製は1970年代の再販品。スバル1000のプラモデルとしては、他に山田模型(ヤマダ)が1/24スケールでスバル1000スポーツ・セダンをリリースした。
尾高プラモデル



★オマケ(その4): 富士重工特注 1/19スケール 1966年スバル1000 シガレットケース
全長20.5cm。アンチモニー製。富士重工が上客等に配布した非売品。シガレットケースは車輪が回らず子供の玩具にはなりにくいことから、子供に遊び倒されることが宿命のブリキ玩具等に比べて年数を経ても現存率が高い中で富士重工のものはトヨタ、ニッサンあたりに比べると数が少ない。通常、シガレットケースはガラス・パーツが透明のプラ系素材が多い中でこのスバル1000はブルーで実車の青色熱線吸収ガラスを付けたスーパーデラックスを彷彿とさせる。
タバコ入れ(1)

タバコ入れ(2)

タバコ入れ(3)



★オマケ(その5): 1967年 スバル1000 TVコマーシャル
デビュー2年目のテレビ・コマーシャル。残念ながら画質劣悪ですが貴重なフィルムです。