★1953年スチュードベーカー レイモンド・ローウィの名作 ~ 自動車カタログ棚から 256 | ポルシェ356Aカレラ

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★ 「余寒お見舞い申し上げます。」
寒中見舞いを出しそびれて2月4日の立春を過ぎてしまった場合に2月末までに出すのが余寒見舞いとのこと。残暑見舞いの冬版みたいな感じですね。今日の東京は最高8度と割合寒かったですが、明日2月23日(月)は何と最高19度と4月中旬の気温となる予報です。明日の昼間はコートを着ていたら大汗を掻きそうです。早いもので気がつけば2月ももう残り1週間ですね。

怪我から2週間以上が経ち、まだ人前に出られる綺麗な顔ではないのですが、お蔭様で腫れはかなり引いてきました。病院では手術をするかどうかをよく検討してもらい、殴られまくったボクサーに見られるように少し目が窪むけれどリスクを考慮して手術は取りやめ保存療法/自然治癒を目指すことになりました。
この土日は、朝日新聞夕刊に連載され毎日出版文化賞と大佛次郎賞を受賞した吉田修一氏の小説を映画化した「悪人」(李相日監督/2010年)を観たいと思いつつ時間切れとなりました。


閑話休題
今回は自動車カタログ棚シリーズの第256回記事をアップします。久々に戦後のアメリカ車です。




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★1852年(嘉永4年)より1967年(昭和42年)まで115年間存続したアメリカの車両メーカー「スチュードベーカー」(Studebaker)はガソリン自動車の誕生以前は全米トップの馬車製造メーカーであった。
1897年(明治30年)から1967年(昭和42年)までの70年間は自動車の製造を行った。その間、1928年(昭和3年)にはピアスアロー、1954年(昭和29年)にはパッカードというアメリカを代表する高級車メーカーを吸収合併した。


★1852年2月、インディアナ州サウスベンドにヘンリーとクレメント・スチュードベーカー(Henry & Clement Studebaker)兄弟が資本金68ドルで鍛冶屋「H&Cスチュードベーカー」を開店し、馬車の製造および修理業務を始めたのが始まりであり、その時点で兄のヘンリー26歳、弟のクレメントは弱冠21歳であった。その後、更に弟3人が加わり5人兄弟で業務を開始し1868年(慶応3年)には社名をスチュードベーカー・ブラザース・マニュファクチャリング・カンパニー(Studebaker Brothers Mfg. Co.)に変更した。ダッジブラザース等、アメリカには同じように当初兄弟で起業したという自動車メーカーがあった。


レイモンド・ローウィ(Raymond Loewy;1893年11月5日-1986年7月14日)は、「口紅から機関車まで」と言われ、トースター、鉛筆削りといった日用品からペンシルヴァニア鉄道の大型蒸気機関車まで幅広く工業製品のデザインを手掛けた20世紀を代表するインダストリアル・デザイナー。
1940年(昭和15年)に煙草「ラッキーストライク」のパッケージデザイン、日本においては1952年(昭和27年)発売の煙草「ピース」、全国のガソリンスタンドで見られるシェル石油の黄色と赤の貝のデザイン、不二家のロゴマークやルック・チョコレートのパッケージデザイン、アサヒビールのラベルデザイン、コカコーラやファンタのボトルデザインなども手掛けており、誰もが一度は彼の作品を目にしたことがあるだろう。そして、ローウィはアメリカ車スチュードベーカーのデザインにも携わった。


★スチュードベーカーのデザインにレイモンド・ローウィ事務所が係わったのは戦前1930年代からで、1946年(昭和21年)6月には1947年型として斬新な戦後型をデビューさせた。
1947年型のデザイン責任者を任せられたのは1937年(昭和12年)にGMポンテイアックのデザイン部門からレイモンド・ローウィ事務所に移籍したヴァージル・エクスナー(Virgil M. Exner)であった。そして少々話が複雑になるがデザインの細かな実務はエクスナーに目をかけられてローウィ事務所に加わったロバート・ボーケ(Robert E.Bourke)が行ったと言われる。大胆なリアのラップラウンド・ウインドは当初ガラスメーカーでは製造不可能と言われたが試行錯誤の末、デザイン通りの生産にこぎつけた。フェンダーとボディが一体化した完全なフラッシュサイドの量産も有名な1949年型フォードより2年早くこの1947年型スチュードベーカーが初めてであった。
その後、ロバート・ボーケは1950年型および1951年型スチュードベーカーにおいて双発双胴の戦闘機「ロッキードP38ライトニング」のデザインイメージを取り入れた極めて印象的なフロントデザインを手掛けた。そのあまりに斬新で突飛なデザインが1952年型では凡庸なものに改められた後、1953年型では当時のアメリカ車としては類を見ない美しいボディデザインにフルモデルチェンジされた。この美しいデザインは1954年型では小変更に止まったもののローウィの手を離れた1955年型以降はオーバーデコレーションされ改悪の一途を辿ることとなった。
1950年代のアメリカ車の中で最も美しい1台は、ローウィのオリジナルデザインで生産された1953年と1954年のスチュードベーカーであったと言える。同時代のアメリカ車のトレンドであったクロームメッキの嵐、威風堂々とした体躯といったアメリカン・スタンダードとは異次元に位置する優美なクルマであった。カタログコピーでも欧州車的ルックスと謳われていた通り、アメ車としては異例にシンプルな美しさを持っていた。しかし、アメリカの一般大衆が求めた時代のトレンドとは乖離した異端児であったが故にセールス的には期待した程には伸びなかった。


【主要スペック】 1953 スチュードベーカー コマンダー クーペ (1953 Studebaker Commander Coupe)
全長5129mm・全幅1803mm・全高1433mm・WB3061mm・車重1692kg・FR・V型8気筒OHV3809cc・最高出力120ps/4000rpm・最大トルク26.3kgm/2000rpm・変速機3速コラムAT・乗車定員5名・最高速度150km/h(93mph)・米国内販売価格$1921



●1950年代 小学館のよいこ絵本「はしれじどうしゃ」 表紙
1957年小学館発行。当時定価50円。全14頁。表紙に描かれているのは、安井小弥太画伯の筆による1954年スチュードベーカー・クーペ。ネクタイを締めたお父さんが運転、助手席にはお母さんと男の子。スチュードベーカーが登場するのは表紙のみで中の頁は国産車ばかりが描かれている。当時、例えお金があっても普通の日本人が外車を新車で買うことは制限されていたので、日本人が乗る場合には米軍人流れの車両などを入手した。例え中古であっても年式の新しいスチュードベーカーを買える日本人は極く限られた富裕層であった。
絵本



●1953年 スチュードベーカー コマンダーV8スターライナー・ハードトップ 広告
三栄書房1953年10月15日発行 モーターファン臨時増刊「1953年自動車ダイジェスト」より。当時の輸入元・日新自動車の珍しい広告。港区芝公園の日新自動車は日産自動車がA40をノックダウン生産する以前よりオースチン各車の輸入も手掛けた。
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●1954年 スチュードベーカー チャンピオン・スターライナー・クーペ 実動写真
自動車史研究の第一人者であった五十嵐平達氏の著書より。五十嵐氏によれば撮影場所は九段坂で後方が靖国神社、ボディカラーはグリーンにルーフがクリームのツートンであったという。撮影年月は記載されていないが、外交官ナンバーを付けていることから新車からまだ間もない1950年代半ば頃と思われる。背景の円形の窓が並んだ印象的な建物は何だろうか。五十嵐氏がローアングルで闇夜に浮かび上がらせたスチュードベーカーのシルエットが美しい。五十嵐氏は「インダストリアル・デザインという言葉や概念を日本人に教えたのは1950年頃に来日したローウィであり、この非常に美しいスチュードベーカーはシトロエンDS19/ID19より3年早く世に出たスタイリングであったところにローウィの面目躍如たるものがあり歴史に残るスタイルであった」との旨を記されている。
写真(五十嵐氏)




●1953年 スチュードベーカー 本カタログ? (B4判・英文・米本国版12頁)
1953年2月発行。同じカタログで発行年月違いが多数あり、初版は1952年秋の発行と思われる。カタログNo.D-187。この時代のアメリカ車の本カタログにしてはグラフ誌のように紙が薄いので、もしかするとこれは簡易カタログかもしれない。表紙に描かれたクリームと鮮やかな赤のツートンのハードトップが美しい。表紙には「The American car with the European look」のコピー。シリーズ構成は3809cc/120馬力V8を積むコマンダー(Commander)とランドクルーザー(LandCruiser)、2781cc/85馬力6気筒を積むチャンピオン(Chmpion)の3種にボディタイプはハードトップ、クーペ、4ドアセダン、2ドアセダンの4種。ランドクルーザーの名称はトヨタが1954年6月より四輪駆動車の車名として使用したが、スチュードベーカーでは1940年代より伝統的にグレード名称として使用していた。
53表紙

【中頁より】
スチュードベーカー・コマンダーV-8スターライナー「ハードトップ」コンバーチブル(5人乗り)とオートマチック・トランスミッション等の解説。ルーフ付きながらコンバーチブルを名乗っているのは、伝統的にルーフなしコンバーチブルをバリエーションに持っていたスチュードベーカーとしてはルーフ付きながらハードトップがコンバーチブルに代わるムードのボディタイプであることを示しているようだ。
53(1)黄HT

右上:スチュードベーカー・V-8ランドクルーザー4ドアセダン(6人乗り)
左下:スチュードベーカー・コマンダーV-8リーガル・スターライト・クーペ(5人乗り)
53(2)緑4ドアとHT

右上:スチュードベーカー・コマンダーV-8リーガル4ドアセダン(6人乗り)
左下:スチュードベーカー・コマンダーV-8デラックス2ドアセダン(6人乗り)
53(3)赤4ドアと2ドア

右上:スチュードベーカー・チャンピオン・スターライト・クーペ(5人乗り)
左下:スチュードベーカー・チャンピオン・デラックス4ドアセダン(6人乗り)
53(4)赤クーペと灰4ドア

右上:スチュードベーカー・チャンピオン・リーガル4ドアセダン(6人乗り)
左下:スチュードベーカー・チャンピオン・カスタム2ドアセダン(6人乗り)
右下:スチュードベーカー・チャンピオン・スターライナー「ハードトップ」コンバーチブル(5人乗り)
53(5)青4ドアHT2ドア3台

1852年創業のスチュードベーカーは1953年をもって2世紀目を迎えた。
53(6)2世紀目を迎えた

裏面: シャシー&スペック
53(7)シャシー&スペック




●1954年 スチュードベーカー 本カタログ? (B4判・英文・米本国版12頁)
1953年11月発行。カタログNo.D-196。基本的には1953年と同じながら左右のフロントグリルに縦線が入れられ、ボディバリエーションに2ドアステーションワゴンが加えられている。
54年表紙イエローHT

【中頁から】
スチュードベーカー・コマンダーV-8スターライナー・ハードトップ(5人乗り)。1953年のハードトップ・コンバーチブルの名称から1954年はコンバーチブルが省かれ単にハードトップとされた。
54(1)緑HT

上:スチュードベーカー・コマンダーV-8リーガル4ドアセダン(6人乗り)
中:スチュードベーカー・コマンダーV-8デラックス2ドアセダン(6人乗り)
下:スチュードベーカー・コマンダーV-8リーガル・ステーションワゴン(6人乗り)
54(2)4ドア・2ドア・ワゴン

スチュードベーカー・チャンピオン・スターライナー・ハードトップ(5人乗り)
54(3)赤HT

上:スチュードベーカー・チャンピオン・デラックス・スターライト・クーペ(5人乗り)
中:スチュードベーカー・チャンピオン・カスタム4ドアセダン(6人乗り)
下:スチュードベーカー・チャンピオン・コネストーガ・ステーションワゴン(6人乗り)
54(4)クーペ4ドア・ワゴン



●1955年 スチュードベーカー 本カタログ? (B4判・英文・米本国版12頁)
1955年1月発行。カタログNo.F-736E。パッカードとの合併によりV8エンジンは4248cc/185馬力、6気筒は3031cc/101馬力まで引き上げられたが、フロントグリルはアヒルの口のようなゴテゴテとして醜悪なデザインに改悪された。
55表紙

【中頁から】
上:スチュードベーカー・プレジデントV-8ステート・クーペ(5人乗り)
中:スチュードベーカー・プレジデントV-8デラックス・ウルトラビスタ4ドアセダン(6人乗り)
下:スチュードベーカー・プレジデントV-8ステート・ハードトップ(5人乗り)
55(1)クーペ4ドアHT3台

上:スチュードベーカー・コマンダーV-8デラックス・ウルトラビスタ4ドアセダン(6人乗り)
中:スチュードベーカー・コマンダーV-8カスタム・ウルトラビスタ2ドアセダン(6人乗り)
下:スチュードベーカー・コマンダーV-8リーガル・クーペ(5人乗り)
55(2)4ドア2ドア・クーペ3台

上:スチュードベーカー・チャンピオン・リーガル・ハードトップ(5人乗り)
中:スチュードベーカー・チャンピオン・カスタム4ドアセダン(6人乗り)
下:スチュードベーカー・チャンピオン・デラックス・クーペ(5人乗り)
55(3)HT4ドア・クーペ3台

上:スチュードベーカー・コマンダーV-8リーガル・コネストーガ・ステーションワゴン(6人乗り)
下:スチュードベーカー・チャンピオン・デラックス・コネストーガ・ステーションワゴン(6人乗り)
55(4)ワゴン2台




★戦後初期のスチュードベーカー・カタログ
手元のカタログ棚から今回のテーマである1953年型が出る前の戦後間もない時期のスチュードベーカーのカタログの表紙をご紹介します。

(1)1947年スチュドベーカー (縦20.5×横22.2cm・仏語4つ折8面)
1946年6月発行。カタログNo.F-677。最初の戦後型。
1947年表紙

(2)1949年スチュードベーカー (A4近似サイズ・独語4つ折8面)
1949年1月発行。カタログNo.F695F。
1949年表紙

(3)1950年スチュードベーカー(A4近似サイズ・独語8つ折16面)
1949年8月発行。カタログNo.F-697。ロッキードP38ライトニングをイメージしたフロント周り。
1950年表紙

(4)1951年スチュードベーカー (縦23×横29cm・西語16頁)
1950年12月発行。カタログNo.F-712P。1950年型のマイナーチェンジ。
1951年表紙





★オマケ(その1): 吉屋 1/22スケール 1954年スチュードベーカー・クーペ
全長22.5cm。当時定価:不明。吉屋は台東区鳥越1丁目に本社を置いていた玩具メーカー(代表者:大久保恵司氏)。前輪が左右にステアするギミック付。赤いボディのものはフリクション駆動に連動してフロントワイパーが左右に動く。オーバーライダー有無のバリエーションも有り。少々太ったスチュードベーカーだが既に60年以上の時を経て味わいの出てきた日本製ブリキモデル。
吉屋(1)

吉屋(2)

吉屋(3)



★オマケ(その2): 1/25スケール 1953年スチュードベーカー・クーペ
全長20cm。硬質プラスチック製。戦後のアメリカ車によく見られたプラ製の実車プロモーション用モデル。実車以上にスリムな印象のモデル。
プロモ(1)

プロモ(2)

プロモ(3)



★オマケ(その3): マカオ Spark 1/43スケール 1953年スチュードベーカー・チャンピオン・ハードトップ
全長11.5cm。レジン製。スパーク製品番号S2955。人気の高いスパークの最近の製品。国内価格7000円前後。
スパーク(1)

スパーク(2)

スパーク(3)



★オマケ(その4): 独 Bos-Models 1/43スケール 1953年スチュードベーカー・コマンダー・スターライナー・クーペ
全長12cm。ボスモデル製品番号185889。これも最近のレジン製品。国内価格9000円前後と高額。
ボスモデル(1)

ボスモデル(2)

ボスモデル(3)



★オマケ(その5): 1953年スチュードベーカー テレビCM
ちょうど日本でテレビ放送が開始された頃のCM(国内テレビ初放送は1953年2月1日のNHK)。しかし、アメリカでは日本より12年早く戦前、真珠湾攻撃前の1941年3月よりテレビ放送が開始されていた。




★オマケ(その6): レイモンド・ローウィのデザイン作品集

(1)煙草ピース・パッケージ (1952年)
ピース煙草


(2)アサヒビール・ラベル (1957年)
アサヒビール


(3)不二家ロゴマーク (1961年)
不二家


(4)シェル石油マーク (1971年)
石油会社ではBP(British Petroleum)の旧ロゴもローウィ作だったようだ。
シェル






【追 悼】
前回2015年2月15日の『1966年~67年米澤玩具 ~玩具・模型カタログ棚から 022』の記事中でご紹介しました、「ダイヤペットのすべて」を執筆されたJMAC関西支部の中本 裕氏が、前回の記事をアップする前日の2015年2月14日に享年83歳にて御逝去されました。
私を含め多くのミニカー・コレクターに国産車ミニカーコレクションの楽しさを教えてくださった中本氏に感謝すると共に心より御冥福をお祈り申し上げます。