★1968年いすゞ117クーペ ハンドメイド時代の117 ~ 自動車カタログ棚から 238 | ポルシェ356Aカレラ

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8月も今日で終わり。私は電車通勤なので夏休み期間中はちょっと電車が空いていて嬉しかったりしますが、明日からは夏休みの終わった学生が加わって通勤電車も混雑するでしょうね。8月最後の1週間は異例に涼しくなりましたが、また9月の第1週は残暑が戻るようです。寒暖の変化で体調を崩さないようにしたいものです。
今、私はというと、平日は通勤の往復2時間を含めてどうしても1日12時間は仕事に時間を使い、休日などの余暇はライブに向けたバンドとピアノの練習の傍ら、このブログ記事をつくっているという感じです。
今日は自動車カタログ棚シリーズの238回目です。今回は名車いすゞ117クーペ初期型の記事です。この記事が無事アップ出来ればあと12回で本シリーズも250回の節目となります。もう今年も残り3分の1の4ヵ月ですから、1ヵ月3記事のペースで続けて年内250回目達成を目標にしたいと思います。
・・・・・なんて、言うとプレッシャーになるので、自動車カタログ棚シリーズの記事も出来る限りはアップするということにしておきます(>_<) 




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★いすゞ117クーペの原型となった「ギア・いすゞ117スポルト(GHIA ISUZU 117 SPORT)」が初めて世に公開されたのは、1966年(昭和41年)3月10日~20日にスイスの国際都市ジュネーブで開催された1966年ジュネーブ・ショーのカロッツェリア・ギアのブースに於いてであった。
この年のジュネーブ・ショーではランボルギーニ・ミウラとアルファロメオ1600スパイダーが初めてベールを脱いでいるが、117スポルトも同様にショーの大きな話題となった。
117スポルトのデザインは当時のギアのチーフデザイナーであったジョルジェット・ジウジアーロ(Giorgetto Giugiaro:1938年8月7日‐存命) によるもので、派手さはないが美しく纏められたファストバック・ボディは秀逸で同年7月のイタリア国際自動車エレガンス・コンクールでは名誉大賞を獲得した。この時点までの117スポルトのシャシーは欧州向けベレット左ハンドル車(ホイールベース2350㎜)をベースにしたものであり、その後の試作車および市販車とは全くベースが異なるほか、ボディラインやホイルキャップ等の細部も異なる。


●ギアいすゞ117スポルト (CARグラフィック1966年6月号通巻51号より)
ジュネーブ・ショー特集のこのCG誌は表紙も117スポルト
666表紙

666(1)全体斜め

フロントグリル中央には117市販車とは全く異なる当時のベレット等と共通の「いすゞ」の平仮名エンブレム
666(2)いすゞエンブレム

左ハンドル
666(3)左ハンドル室内

イメージスケッチ
666(4)イメージスケッチ



●ギアいすゞ117スポルト (1966年いすゞ総合カタログ表紙:B5判16頁)
66総合表紙




★1966年(昭和41年)10月26日~11月8日に東京・晴海で開催された第13回東京モーターショーに「いすゞ117スポーツ」として展示されたのが日本初公開であった。同年の東京ショーではスポーツと同時に117セダン(後にフローリアンとして市販)が展示され、スポーツのシャシーはベレットではなく117セダンをベースとしたものに変った。また右ハンドル化され、ジュネーブ・ショーでは塗装されていたリアピラーがステンレスとなり後の市販車に近いものとなった。


●1966年いすゞ117スポーツ (CARグラフィック1966年12月号通巻57号より)
第13回東京モーターショー特集のこのCG誌は表紙も117スポーツ。この年の東京モーターショーは117以外に市販前のトヨタ2000GTとマツダコスモスポーツも展示されるという夢のような内容だった。ジュネーブ・ショー展示車の左ハンドルが右ハンドルとなりリアピラーがステンレスとなったほか、フロントグリル中央のエンブレムが「いすゞ」の平仮名から市販車と同じ唐獅子に変った。サイドスカートに入れられた赤いラインはドア後方で日の丸となっている。
6612表紙

フロントエンブレムは市販車と同じ唐獅子となった。
6612唐獅子エンブレム

リアピラーはジュネーブでの塗装から市販車と同じステンレスとなった。
6612ステンレスのリアピラー

国内向け右ハンドル
6612右ハンドル




いすゞ117クーペと改称して漸く市販が開始されたのは、ジュネーブ・ショーでのギア117スポルトの展示から2年9ヵ月を経た1968年(昭和43年)12月1日のことであった(プレス発表は10月21日)。
リアシートの床面を3cm下げる等の改良により4人の大人がゆったり乗れる居住性が確保され、いすゞ初のツインカムエンジンG161W型を搭載することにより最高速度190~200km/h(ファイナルにより異なる)の高性能を秘めた豪華なスポーツサルーンとして登場した。サスペンションは前輪ウィッシュボーン/コイル、後輪リジット/リーフのオーソドックスなものであった。これはベレットでの後輪独立サスの設計の難しさを踏まえて後輪はあえて旧弊な固定とされた。前輪にはド・カルボンのアブソーバーとサーボ付ブレーキを採用した。また衝撃吸収式ステアリングの採用など安全装備が多数採用され、当時のアメリカ自動車安全基準21項目を全てクリアしたことは特筆に値する。
細いピラーを始めとする繊細なボディデザインのプレスでの大量生産は難しく、多くの工程を手作業とし丁寧かつ入念なカスタムメイド的な生産方法が採られ月産は30~50台とされた。所謂ハンドメイド117の誕生である。


【ハンドメイド117の変遷】
(1) 1968年(昭和43年)12月1日: 新発売
(2) 1969年(昭和44年)10月1日: 改良(内装各部・2系統式ヘッドランプ回路採用・間欠ワイパー採用・ヒーター強化・温風式リア・デフォッガーを熱線式に改良・ド カルボン アブソーバーを後輪にも採用等)
(3) 1970年(昭和45年)11月12日: 国産初の電子式燃料噴射装置(ECGI)を採用したG161WE型130psエンジンを搭載した「117クーペEC」(187万円)とベレット1800GTと同じG180S型ツインキャブ115psエンジン搭載した「117クーペ1800」(147万円)を追加。従来モデルは167万円に5万円値下げ。
(4) 1971年(昭和46年)10月21日: ベレット1800GTNと同じG180S型シングルキャブ100psエンジン搭載した最廉価グレード「117クーペ1800N」(136万円)を追加。 


★その後、117クーペは1973年(昭和48年)3月24日に大幅な改良によりボディをプレス成型として月産1000台の所謂「量産117」となり、1977年(昭和52年)11月11日には角4灯ヘッドライトとして内装も一新しディーゼル車も追加したのち、1981年(昭和56年)4月、初代ピアッツアにいすゞのフラッグシップ・モデルのポジションを譲り、足かけ15年に及ぶ長いモデルライフを終えた。総生産台数は86192台、デビュー10年目までは1台も廃車が出なかったという名誉ある記録を持つ。

※註)量産化後のモデルについては別項にてご紹介予定です。


【主要スペック】 1968年いすゞ117クーペ (PA90型)
全長4280㎜・全幅1600㎜・全高1320 mm・ホイールベース2500㎜・車重1050kg・FR・G161W型水冷直列4気筒DOHC1584cc・最高出力120ps/6400rpm・最大トルク14.5kgm/5000rpm・変速機4速MT・乗車定員4名・ゼロヨン16.8秒・最高速200㎞/h(ファイナル3.727の場合)・東京渡販売価格172万円



●1968年12月 いすゞ117クーペ 本カタログ (縦36.3×横34.5cm・ダブルジャケット・見開き4頁のカード5枚入り)
ハンドメイド時代の117クーペのカタログは篠山紀信氏(1940年12月3日-) の写真で構成されている。有名なこのジャケットカタログにはバリエーションが4~5種類程度あるようで最初期はダブルジャケット、すぐにシングルジャケットとなり1980年頃にもいすゞ自身が復刻しているようだ。
ジャケット表紙

ジャケットに封入されたカードから
ジャケ(1)文字のみ

篠山紀信氏の写真が秀逸
ジャケ(2)ドーム

ジャケ(3)いい写真

ジャケ(4)正面と女性

ジャケ(5)疾走ブレ写真

ジャケ(6)

ジャケ(7)文字のみ

ジャケ(8)緑の中

ジャケ(9)

ジャケ(10)縦2枚

ジャケ(11)コラージュ

ジャケ(12)縦土の中の美女

ジャケ(13)縦文字と写真

ジャケ(14)リアビュー

ジャケ(15)フロントアップ

初期のフェンダーエンブレム
ジャケ(16)フェンダーエンブレム

初期は熱線ガラスでなくリアトレイにヒーターから引き込んだダクト2本があり熱風を吹き出した。
ジャケ(17)最初期は熱線なし

小さく上品なテールライト
ジャケ(18)小さく上品なテールライト

台湾楠が奢られたダッシュボード、スピードメーターは220km/h表示。
ジャケ(19)台湾楠の室内

スペック&G161W型DOHCエンジン
ジャケ(20)スペック&エンジン



●1971年5月 いすゞ117クーペ 本カタログ (縦30×横24.3cm・24頁)
いすゞカタログNo.2028。ECと1800を追加。一般的なホチキス綴じのカタログに変更された。中面の写真は篠山紀信氏撮影だがジャケット時代と同じものもそのまま使われている。
715表紙

中頁から
715(1)中

715(2)真横と女性

715(3)空と117

715(4)2台砂利道

日本初の電子式燃料噴射装置を装備した「117クーペEC」(130ps)を追加
715(5)EC赤

715(6)美しいリアビュー

下位グレード「117クーペ1800」(115ps)を追加
715(7)1800追加

ボディカラーはスタンダードカラー白・銀・赤・黄・青の5色の他、オプションカラー9色の合計14色が選べた。
715(8)カラー3色オプション9色




●1971年12月 いすゞ117クーペ 本カタログ (縦30×横24.3cm・24頁)
いすゞカタログNo.2030。1800cc100psの廉価版1800Nを追加。これも普通のホチキス綴じのカタログで最廉価グレード1800Nが加わっただけで中面の写真は上掲の71年5月版と殆ど同じ構成。
7112表紙

最廉価グレード1800N(100ps)を追加
7112(1)1800N文字

1800Nは外観上、フェンダーミラーやホイルキャップが異なる。
7112(2)1800N写真





★オマケ(その1): ポリトーイ 1/43スケール 1966年 ギアいすゞ117スポルト
全長10cm。POLITOYS-E 品番544。ダイキャスト製。ジュネーブ・ショーに展示された最初の左ハンドル試作車「ギアいすゞ117スポルト」の唯一のミニチュアモデル。ドア開閉アクション付。カラーバリエーションは多数あり。
ポリトーイ(1)

ポリトーイ(2)

フロントエンブレムは唐獅子でなく「いすゞ」のジュネーブ・ショー展示車バージョン
ポリトーイ(3)いすゞ平仮名バッチ

ポリトーイ(4)前4台

ポリトーイ(5)後4台

ポリトーイ(6)箱入り



★オマケ(その2): ダイヤペット199番 1/40スケール 1968年いすゞ117クーペ
全長10.5cm。米澤玩具1971年6月発売。当時定価600円。ダイキャスト製。ダイヤペットでは量産型および最終の角目ライトモデルも発売されている。特にこの最初のハンドメイド117は傑作モデル。
ダイヤペット(1)

ダイヤペット(2)

ダイヤペット(3)前3台

ダイヤペット(4)後3台

199番に単にシールを貼ってラリーカーに仕立て上げられ品番260番となったモデル。当時のダイヤペットに多く見られた品番拡充用の安易なバリエーション。紙製のシールは経年で剥がれつつある。
ダイヤペット(5)ラリー箱入り



★オマケ(その3): フジミ模型 1/60スケール 1968年いすゞ117クーペ プラモデル
全長7cm。フジミ・ミニペットシリーズNo.7。当時定価50円(?)。内外の名車をモデル化したこのシリーズ、安いので小4位の頃に沢山買って作った個人的には思い出のスナップキット。バラ売りの他に4個入りのセットもあり。117だけで手元にミントグリーン、紺、カラシ色と3色あり、成形色違いは膨大にあるようだ。トミカ10-2は量産後のXEでありハンドメイド117の小スケールモデルはこのフジミのみ(近々、新製品としてTLVからリリースされる模様)。
フジミプラモ(1)

トヨタ2000GT、マツダファミリアロータリークーペ、トヨタ7と共に117が入った4台セット(当時定価200円程度?)
フジミセット



★オマケ(その4): ハンドメイド いすゞ117クーペ 試乗動画
CG誌2代目編集長 熊倉重春氏によるトヨタ博物館での試乗&解説動画。