★日本時間で2013年9月8日早朝に2020年のオリンピック開催都市が決まります。オリンピック開催のための莫大な税金投入の可否については議論があるにしても、現在の先が見えない日本の状況に56年ぶりの東京オリンピックの開催は日本人に明るい希望の光をもたらすものではないでしょうか。
1964年の東京オリンピックで聖火リレーの行われたギリシャから東京までの1万8000キロのコースを耐久性実証のために発売されたばかりのダイハツ・コンパーノ・ベルリーナが走破しています。今回はそのコンパーノのオープンスポーツをご紹介します。
1964年東京オリンピックの聖火コースを走るダイハツ・コンパーノ・ベルリーナ
★1907年3月1日(明治40年)に創業したダイハツ(大阪発動機製造が転じた社名:本社 大阪市池田市)は日本で最も長い歴史を誇るエンジンメーカーであり、1930年(昭和5年)に初めて自社製三輪トラック「ダイハツ号」で自動車業界に参入し、戦後1960年代にかけては、マツダと共にオート三輪シェアトップの座を争っていた。そのダイハツ初の市販乗用車は1951年(昭和26年)のダイハツ・ビー(2012年6月24日の本シリーズ12回目参照)であったが、ビーは僅か300台程度が製造販売された三輪乗用車であり、ダイハツの四輪乗用車の本格的な発売は更に12年の歳月を待たなければならなかった。
★ダイハツ・コンパーノ
マツダ・ファミリアと同様の手堅い手法を採って1963年(昭和38年)4月に最初はバン、同年6月にワゴンがデビューした後、同年10月26日~11月10日の第10回全日本自動車ショウの会場で展示された後、翌1964年(昭和39年)2月1日よりセダンのダイハツ・コンパーノ・ベルリーナ(800cc・2ドア・当初はDXのみ、Stdは4月より)がダイハツ初の本格的乗用車として発売された。
旧弊だが頑丈な梯子型フレームにイタリアのコーチビルダー・ヴィニャーレ(Vignale)による美しいボディを載せてデビューしたベルリーナは、マツダファミリアやトヨタパブリカといった1000cc以下の他車をライバルとしながらイタリアンルックの独自の個性を放ちつつ1960年代のモータリゼーション進展の波に乗って販売を伸ばした。
★1965年(昭和40年)4月、コンパーノ・ベルリーナのルーフを取り去り、1000cc65psエンジンを載せた2ドア4座オープンスポーツ「ダイハツ・コンパーノ・スパイダー」が発売された。
前年1964年(昭和39年)9月26日~10月9日に晴海で開催された第11回東京モーターショーに来春発売予定として出品されたクルマの市販化であった。フレームを持つベルリーナはオープン化が容易であり、779cc41psのベルリーナのエンジンのボアを拡げ958cc65psとしたエンジンに載せ替え、シャシー各部を強化して1000ccクラスとしては十分の性能を持つスパイダーが誕生した。ダブルマフラー、ダブルエキゾーストシステムによる迫力ある音もスポーツムードを盛り上げていた。室内はコンパーノ・ベルリーナのイタリア調をベースにタコメーターの追加等で更に魅力的なものとなった。トヨタパブリカ・コンバーチブル、トヨタスポーツ800、ホンダS600/S800といった同クラスのライバル達に比べて車体が大きかったため、ゆったりと4人が乗れるオープンスポーツということではコンパーノ・スパイダーにアドバンテージがあった。1967年(昭和42年)6月に黒いフロントマスクにライト類を大型化したマイナーチェンジ、1968年(昭和43年)4月に小変更の後、1969年(昭和44年)4月にカモシカパブリカとボディを共有したコンソルテのデビューと共に生産を終了した。1968年(昭和43年)10月の第15回東京モーターショーにはスパイダーに白い流麗なルーフを載せたコンパーノ スポーツ クーペが展示されたが市販されずに終わった。
【主要スペック】 1965年 ダイハツ コンパーノ スパイダー (F40K型)
全長3795㎜・全幅1445㎜・全高1350㎜・ホイールベース2220㎜・車重790kg・FR・4サイクル水冷直列4気筒OHV958cc・SUツインキャブ・最高出力65ps/6500rpm・最大トルク7.8kgm/4500rpm・変速機4速MTフルシンクロ・乗車定員4名・ゼロヨン18.5秒・最高速145km/h以上・販売価格69万5000円
●ダイハツ広報誌「月刊CAR」 1965年8月号 (B5版・30頁)
表紙は発売間もないスパイダー。ダイハツの広報車両は地元の大阪ナンバー。なかなかの美人も既に48年経っているので現在は70歳を超えているはず。
●1964年10月 ダイハツ コンパーノ スパイダー リーフレット (縦8×横18.5cm表裏1枚)
第11回東京モーターショーで配布された発売予告リーフレット。この時点では60馬力エンジン・最高速150km/h以上と発表されている。
●1965年4月 ダイハツ コンパーノ スパイダー リーフレット (A4判・表裏1枚)
コピーは「シューティングラインで飛ばそう」
●1965年4月 ダイハツ コンパーノ スパイダー 本カタログ (A4判・12頁)
中頁から
ゼロヨン18.5秒
魅力的なイタリアンスポーツ風のダッシュボード
裏面スペック
●1965年?月 ダイハツ コンパーノ スパイダー 本カタログ (A4判・12頁)
1965年4月版の表紙替えカタログ。中頁も一部文字の配色が異なる。
●1966年3月 ダイハツ コンパーノ スパイダー 本カタログ (A4判・8頁)
表紙には世界の9つの有名サーキット(ルマン・シルバーストーン等)が描かれている。
中頁から
ボディカラーは赤と水色の2色。左下には稀少なハードトップ仕様
●1967年3月 ダイハツ コンパーノ スパイダー 本カタログ (A4判・20頁)
前期型スパイダー末期に配布された力の入った名カタログ。このカタログが発行された1967年は丁度ダイハツ創立60周年(現在は創立106周年)に当たり右上に記念ステッカーが貼られている。
中頁から
ダッシュボードは非常に魅力的
幌の着脱は信号待ち中の30秒で完了と記載
65psエンジン
ダイハツ純正スポーツキット
●1967年7月 ダイハツ コンパーノ スポーツ 総合カタログ (A4判・12頁)
黒いグリルに大きなライト類の後期型にマイナーチェンジ。オープンのスパイダーと同じエンジンを積むセダンGTを併載したカタログとなった。
中頁から
●1968年6月 ダイハツ コンパーノ スポーツ 総合カタログ (A4判・24頁)
最後のマイナーチェンジ。外観上はフロントグリル中央の横一杯のメッキバーから縦線が消え、テールは丸型4連となりウインカーが独立して橙色となった。
中頁から
透視図。フレーム付であることが判る。
シートベルトが標準となりテールは丸4連に
●1968年10月 ダイハツ コンパーノ スポーツ クーペ 広報写真 (2Lサイズ)
第15回東京モーターショーでプレス関係者に配布された広報用写真。三角窓を取り去り、各部のデザインも変えた魅力的なモデルだが既にモデル末期でもあり市販されなかったモデル。
★オマケ (その1) : エブロ 1/43スケール 1965年 ダイハツ コンパーノ スパイダー
定価3570円。往年の名車として発売された近年の製品。ダイキャスト製。
★オマケ (その2) : 国産名車 1/43スケール 1968年 ダイハツ コンパーノ スパイダー
定価1790円。現在も続く書店売りの国産名車シリーズの一つ。ダイキャスト製。エブロにはない後期型を出してくれたのが嬉しい。台座等には1967年と印字されているが、テールが丸4連となった最終の1968年型をモデル化している。
★オマケ(その3) : ダイハツ特注 1/22スケール1965年 コンパーノ スパイダー ハードトップ 煙草入れ
全長17.3cm。唯一の当時モノの立体モデル。アンチモニー製。幌ではなくハードトップを付けたスパイダーをモデル化している。