★1958年 ミカサ ツーリング 岡村製作所の自動車たち ~ 自動車カタログ棚から 169 | ポルシェ356Aカレラ

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★家具メーカーとして有名な株式会社 岡村製作所は、終戦の年1945年(昭和20年)の10月に横浜市磯子区岡村町の日本飛行機株式会社岡村分工場の施設を借受け同社の従業員であった吉原謙二郎(=創業者)等10数名の有志により一般家庭用厨房品の製造を目的として創業した。
会社組織としては翌1946年(昭和21年)7月に有限会社岡村製作所として登記・発足し、1948年(昭和23年)8月には資本金100万円にて株式会社に改組して、金属加工技術を活かしたアメリカ軍向けのスチール家具納入で業績を高めた。社名は横浜市磯子区の創業した場所(町名=岡村町)から採られたものである。

★1952年(昭和27年)4月28日の日米講和条約発効により日本国内での航空機製造が解禁となった際、朝日新聞社が同新聞が主宰する日本学生航空機連盟に寄贈するための航空機の製造を岡村製作所に依頼した。岡村製作所には山名正夫氏(1905年12月25日-1976年1月27日)を始め日本を代表する航空機技術者が顔を揃えていたためであった。航空機の開発は岡村製作所と日本大学が共同で行うことなり、日本大学のイニシャル「N」と開発開始年度1952年の「52」とを組み合わせて、「N-52」と呼称された。設計は山名正夫氏と日大の木村秀政教授が中心となって進められたが、設備も材料も満足にない中を創意工夫により乗り越えた。エンジンは当時のパンナム極東支配人のダグラス・B・シャーマン氏が日大の木村教授に進呈した4気筒65馬力が搭載された。エンジンの出力不足を補うべく軽量化のためコクピットの屋根を省くなど設計変更や改良を繰り返した後、開発開始の翌年1953年(昭和28年)4月7日に「N-52」は浜松飛行場を飛び立った。当初200万円と見込んでいたN-52の製造原価は2倍の400万円まで膨らみ、結局、岡村製作所はコスト面から航空機製造業務の継続は不可能と判断し航空機事業からの撤退を余儀なくされた。

★しかし、岡村製作所の乗り物=動く製品への情熱は終わらなかった。航空機「N-52」製造に先立つ1949年(昭和24年)に岡村製作所横浜第二事業部で日本で初めて自動変速機トルクコンバーター(流体変速機)の開発を始め、1952年(昭和27年)には「N-52」と平行して自社製トルコン搭載の小型自動車の開発をスタートさせた。
岡村製作所製のトルコンは1952年(昭和27年)に製品化され、国鉄のディーゼル機関車や林野庁の材木集材用ウインチ等の産業建設機械に広く用いられた。
このトルコンを搭載する自社製小型自動車の開発に当たり、全く自動車製造の経験のない岡村製作所は模倣すべきサンプルとして、フランスの大衆車シトロエン2CVを購入して徹底的に研究した。その結果、開発開始から5年後の1957年(昭和32年)にミカサ・サービスカー・マークⅠ(バン)、同マークⅡ(パネルバントラック)という商用車の発売に至った。ミカサの設計はシトロエン2CVの影響が色濃いもので、空冷フラットツインOHV585cc17ps/3800rpmを梯子型フレームの先端にオーバーハングし自社製トルコン(岡村AE2型3要素1段2相トルク比3.2)と2段変速機を介して前輪を駆動する国産初のFFオートマ車であった。この変速機は基本的に後年のホンダマチック等と同じ構造だが、ローは緊急用で溝に落ちた時など以外は使えない。サスペンションは前輪は独立、後輪は固定でステアリングは先進的なラック&ピニオンが採用された。ライトバン「サービスカー・マークⅠ」の場合、車重610kgで4名+250kg積、70km/hの最高速と30%の登坂能力を持ち、市販価格48万5000円と発表された。ボディ製作には戦前の航空機の薄板加工技術が、シートや内装の製作には戦後始めた家具製造の技術がフルに活かされ、基本的に外注をせずに岡村製作所社内で造り上げたものだった。

★このミカサ・サービスカーⅠ・Ⅱのシャシーに軽快な2/4座オープンボディを載せたミニチュア・スポーツが「ミカサ・スポーツ」の名でまず1957年(昭和32年)5月9日~19日に日比谷公園で開催された第4回東京モーターショー(当時の名称は全日本自動車ショウ)に試作品として展示された後、翌1958年(昭和33年)より「ミカサ・ツーリング」と車名を改めて87万5000円で市販された。車名については、「スポーツ」を名乗るには性能的に憚られるということで「ツーリング」とされたようだ。オースチンヒーレー100-6を小さくしたようなスタイルは同時期に試作されたダットサンスポーツ(後の初代フェアレディ)とも近似した1950年代特有の滑らかな曲線を持つ美しいものであった。エンジンは商用車サービスカーの圧縮比を7.3に高めて19.5ps/4000rpmとなり、高められたギア比により最高速90km/hと発表された。しかし性能的にはゼロヨン29秒台とスポーツカーとしては取るに足らないものであり、むしろオープンボディの軽快なムードを楽しむという性格のクルマであった。
岡村製作所がミカサを世に出した当時の日本はマイカー以前の時代で庶民にとって自動車は文字通り高嶺の花であり、先進的な日本初のトルコン自動変速機やFFが一般に評価されることもなかった。事実上販売網がなかったこともありミカサは殆ど売れず、資金ばかりが膨らむ状況となっていた。会社の存続を憂い本来の家具製造に専念すべきとの声が岡村製作所社内からもあがり、1960年(昭和35年)春、岡村製小型自動車ミカサの生産は全面的に中止された。それまで約3年間の期間に生み出されたミカサは約250台と微々たる台数であった。
ミカサはFFトルコンオートマという日本初の機構を持つ先進的なクルマであったが、パイオニアの悲劇に終わり、商業的には全く失敗したのである。しかし、岡村製作所の「動く製品」への情熱は、その後、マツダR360クーペや愛知機械コニーグッピーを始めとする国産車に搭載された岡村製トルクコンバーターや物流システム機器の生産に受け継がれていった。


●岡村製作所いすの博物館(東京都千代田区永田町2-13-2:赤坂見附駅11番出口徒歩2分)に展示されている唯一現存する岡村製自動車 「ミカサツーリング・ハードトップ
カタログや広報写真に残るミカサ・ツーリングはオープンボディばかりで、1957年5月の第4回東京モーターショーに展示された車両のみリアサイドウインドを持たないハードトップだったが、この現存するリアサイドウインドの付いたハードトップは試作車の1台だろうか。ボンネットの切り込み位置からすると1958年以前の車両と思われる。
$ポルシェ356Aカレラ-実車(4)
$ポルシェ356Aカレラ-実車正面
$ポルシェ356Aカレラ-実車(1)
$ポルシェ356Aカレラ-実車(2)
$ポルシェ356Aカレラ-実車後面
$ポルシェ356Aカレラ-実車(3)
奇妙なドアノブは後付け?
$ポルシェ356Aカレラ-実車(5)ドアノブ
VWやポルシェ356のような丸いクロームメッキ無垢のホイルキャップ
$ポルシェ356Aカレラ-実車(6)ホイルキャップ
カタログでは丸型メーター1個のみだが、この車両には3つも付いている。またハンドルは通常の右ハンドルよりセンター寄り。
$ポルシェ356Aカレラ-実車(7)3連メーター
まるで新品のミニカーのようにガラスで密閉された状態で保管されている。
$ポルシェ356Aカレラ-実車(8)ガラス張り
外堀通りから通りがかりにも見える位置に展示されている。
$ポルシェ356Aカレラ-実車(9)看板


●1953年 岡村製作所 軽飛行機「N-52」
1953年4月7日、浜松飛行場にて
$ポルシェ356Aカレラ-飛行機(1)
$ポルシェ356Aカレラ-飛行機(2)


●1957年 岡村製作所 ミカサ・スポーツ ハードトップ 広報写真
第4回モーターショーに展示されたものと同じ試作車両。当時のフェラーリやマセラティなどのスーパースポーツに見られたサイドルーバーが付いているのは、この試作車のみ。この試作車のみドアノブが付いている。
$ポルシェ356Aカレラ-57年広報写真


●1957年5月 第4回東京モーターショーのミカサ・スポーツとサービスカー・マークⅠ
自動車歴史研究の第一人者だった五十嵐平達氏撮影。氏によれば展示されたミカサ・スポーツは黒ルーフに赤ボディだったという。
$ポルシェ356Aカレラ-57年モーターショー2台


●1958年 岡村製作所 ミカサ・ツーリング 広報写真
1957年の試作車とはグリルの形が変わっている。岡村製作所は横浜のため、往年の神奈川ナンバー「神」
$ポルシェ356Aカレラ-58年広報(1)
$ポルシェ356Aカレラ-58年広報(2)
$ポルシェ356Aカレラ-58年広報(3)


●1959年 岡村製作所 ミカサ・ツーリング 広報写真
クロームメッキのセンターホイルキャップとフロントノーズに「M」のエンブレムが付いた。これも神奈川の「神」ナンバー。
$ポルシェ356Aカレラ-59年広報写真


【主要スペック】 1958年 岡村製作所ミカサ・ツーリング (ミカサMT10型)
全長3810mm・全幅1400mm・全高1365mm・ホイールベース2100mm・車重610kg・FF・岡村AE2型強制空冷水平対向2気筒4サイクルOHV585cc・最高出力19.5ps/4000rpm・最大トルク3.8kgm/3000rpm・変速機:岡村AK-4型2速AT・乗車定員4名・電装系6V・最小回転半径4.9m・燃費18km/L・最高速90km/h・市販価格87万5000円



●1957年 岡村製作所 ミカサ・サービスカー マークⅠ カタログ (A4判・2つ折)
バンタイプのマークⅠ専用カタログ。マークⅡパネルトラックのカタログは未確認。
$ポルシェ356Aカレラ-57年マークⅠ表紙
中頁から
$ポルシェ356Aカレラ-57年マーク(1)中
$ポルシェ356Aカレラ-57年マーク(2)中
トルコン2ペダル
$ポルシェ356Aカレラ-57年マーク(3)中
強制空冷フラットツインエンジン
$ポルシェ356Aカレラ-57年マーク(4)中
裏面スペック
$ポルシェ356Aカレラ-57年マーク(5)スペック


●1958年 岡村製作所 ミカサ・ツーリング専用リーフレット(A4判・表裏1枚)
ホイルデザインは設計の参考としたシトロエン2CVにそっくり。広報写真同様、このカタログの車両も神奈川「神」ナンバー。ドアノブが付いていないので、ドアの開閉方法は不明。
$ポルシェ356Aカレラ-58年ツーリング(1)表紙
$ポルシェ356Aカレラ-58年ツーリング(2)裏面
メーターは丸型1個のみ
$ポルシェ356Aカレラ-58年ツーリング(3)ワンメーター
図面
$ポルシェ356Aカレラ-58年ツーリング(4)図面
スペック
$ポルシェ356Aカレラ-58年ツーリング(5)スペック


●1959年 岡村製作所 ミカサ・ツーリング/サービスカーミカサ 併載リーフレット(A4判・表裏1枚)
1959年のミカサツーリングはボンネットの開口部が1958年より遥かに狭くなった。フロントノーズ先端にミカサのイニシャル「M」のバッチが付き、クロームメッキのセンターホイルキャップが付いた。サービスカーにはドアノブがあるが、ツーリングは最後までドアノブ無しのまま。
$ポルシェ356Aカレラ-59年(1)表紙ツーリング
フロントノーズにエンブレムが付いた
$ポルシェ356Aカレラ-59年(2)表紙ツーリンクアップ
$ポルシェ356Aカレラ-59年(3)マークⅠエンブレム付
サービスカーもフロントにエンブレムを追加
$ポルシェ356Aカレラ-59年(4)マークⅠエンブレム付アップ




★オマケ: なし
残念ながら岡村製作所製ミカサのミニカー等モデルカーは現在に至るまで皆無(?)。