★英国オースチン社との技術提携契約により1953年3月よりオースチンA40サマーセットのノックダウン生産を始めた日産は、1954年(昭和29年)12月、英本国でA40サマーセットがA50ケンブリッジにモデルチェンジしたことに追随してノックダウン車両の切換えを行ない、日産オースチンA50ケンブリッジ サルーンを1955年(昭和30年)1月17日に発売した。日産としては1200ccのA40を継続生産するよりも、当時の小型車枠一杯の1500ccのA50を生産した方が、トヨタ・プリンスとの対抗上も得策だという判断があったようだ。A40の1年8ヶ月に亘る部品の国産化作業は水泡に帰し殆どゼロからの再スタートとなったが、A50の国産化は急ピッチで進められ、翌1956年(昭和31年)5月6日に全てに国産部品を使用したA50の完全国産化が達成された。しかし、当時の国産部品の品質は英国製に比べるとまだまだ粗悪で英国製部品をふんだんに使用して組み立てられた1955年式の初期のオースチンA50が後の中古市場で人気が高かったのは少々皮肉なことであった。
★オースチンA50ケンブリッジ はA40サマーセットと比べて全長が6cm、ホイールベースが16cmも伸びた一方、全高は8cmも一気に低くなり、A40のだるまのように丸味を帯びたボディラインが直線的で近代的なものとなった。A50の特徴はユニタリーコンストラクションと呼ばれた強靭無比のボディ構造にあり、同時期の初代クラウンや初代スカイラインと比べて遥かに高い耐久性を持っていた。CG誌初代編集長の小林彰太郎氏がA50を愛用していたことは有名だけれども、A50は同時期の純国産車より総合的に優れたクルマであった。但し、全幅がクラウンより10cm以上狭く、元々英国内ではオーナードライバー向けに設計されたために後席が狭く、当時の乗用車需要の大半を占めたタクシー用途には不向きなクルマであった。
★日産オースチンA50ケンブリッジは、1955年(昭和30年)1月の発売時にはシングル・グレード(スタンダードのみ)、発売翌年の1956年(昭和31年)5月の部品完全国産化と同時期に内外装備を充実させたデラックスグレードを追加、1957年2月にデラックスの塗色にツートンを追加、更に1957年5月にはデラックスのサイドモール・デザインを今日最も馴染み深いデザインのものに変更、そして1958年(昭和33年)11月にはクラウンRS20系のビッグマイナーチェンジに追随するかのようにツインキャブによる出力アップ(50ps→57ps)、リアウインンドの110mm拡大、ヘッドライトリムの外出し等の比較的大きなマイナーチェンジが為され、翌1959年5月には日産オリジナルの4ドアバン(4ナンバー)が追加された後、1960年(昭和35年)4月、初代セドリックに日産フラッグシップサルーンのバトンを渡した。
【主要スペック】 1955年 日産オースチンA50ケンブリッジ サルーン
全長4110mm・全幅1550mm・全高1550mm・ホイールベース2510mm・車両重量1020kg・4気筒OHV1500cc・最高出力50ps/4400rpm・最大トルク10.2kgm/2100rpm・乗車定員5名・4速MTコラム・電装系12V・最高速128km/h・販売価格119万5000円
●モーターファン1955年2月号 日産オースチンA50ケンブリッジの表紙 (B5判)
1955年1月、最初の日産発行の本カタログに掲載された写真の別カット。モデル嬢は東京ファッションモデルグループ所属の中島明子さんと記載されている。
●1954年発行? オースチンA50ケンブリッジ 日新自動車発行 日本語版カタログ(A4判・2つ折)
A40サマーセットと同様に日産のノックダウンとは別に完成車が輸入されていた。
このカタログは英本国版カタログの安易な言語替え。
※裏面スペック
●1955年1月発行 日産オースチンA50ケンブリッジ サルーン 簡易カタログ (24×24cm・2つ折)
※中頁から
※裏面スペック
●1955年1月発行 日産オースチンA50ケンブリッジ サルーン 本カタログ (A4判・16頁)
※中頁から
※スペック掲載頁
※裏表紙
●1956年4月発行 日産オースチンA50ケンブリッジ 簡易カタログ (9×26cm・8頁)
サイドモール付のデラックスを追加
●1956年6月発行 日産オースチンA50ケンブリッジ 本カタログ (A4判・16頁)
※中頁から
●1957年2月発行 日産オースチンA50ケンブリッジ 簡易カタログ (21×21cm・3つ折)
デラックスを洒落たツートン塗装に変更。この塗り分けはカスタムデラックスと呼ばれたが短命に終わった。
●1957年2月発行 日産オースチンA50ケンブリッジ 本カタログ (A4判・16頁)
デラックスを洒落たツートン塗装に変更
※中頁から(カスタムデラックス)
●1957年5月発行 日産オースチンA50ケンブリッジ 本カタログ (A4判・16頁)
デラックスのサイドモールを直線的なデザインに変更・ホイルキャップのデザインを変更。
※中頁から
デラックスのツートンはルーフが白に赤・青・緑の3色
●1958年5月発行 日産オースチンA50ケンブリッジ 本カタログ (A4判・16頁)
1957年5月版のカタログ改訂。表紙以外は同一。
●1958年11月発行 日産オースチンA50ケンブリッジ 本カタログ (A4判・12頁)
出力アップ・リアウインド拡大・ヘッドライトリム外出し等のマイナーチェンジ。
表紙のイラストが素晴らしい。
※中頁から
●1959年2月発行 日産オースチンA50ケンブリッジ 簡易カタログ (A4判・4つ折り)
表紙の写真が素晴らしい。この鮮やかな赤と白のツートンが日産製オースチンA50のイメージカラーだった。
※中頁から
●1959年5月発行 日産オースチンA50ケンブリッジバン 専用カタログ (A4判・4つ折)
英本国には存在しない4ドアバン仕様を日産独自に製造。生産期間は1年弱と短命に終わった。
※中頁から
●1959年6月発行 日産オースチンA50ケンブリッジ 本カタログ (A4判・16頁)
新たに加わったバンも収載されたカタログ
※中頁から
1959年5月発行のバン専用カタログ表紙写真が本カタログの中にはカラーで掲載されている。
●1959年11月発行 日産オースチンA50ケンブリッジ 簡易カタログ (A4判・4つ折)
●1959年12月発行 日産オースチンA50ケンブリッジ 本カタログ (A4判・12頁+α)
バンにデラックスと同じサイドモールを追加。日産製オースチンA50最後のカタログ。
※中頁から
バンにサイドモールが追加された(59年6月発行カタログを参照)。
★オマケ(その1): 光球商会+米澤玩具1958年日産オースチンA50ケンブリッジ
大きな光球商会製は1/20スケール、小さな米澤製は1/32スケール。何れもリアウインド拡大前の左ハンドルだが、サイドモールデザインと塗り分けは日産オースチンのもの。光球商会製にはリアナンバーが1959と1960の2種あり、初版の発売は1958年12月のクリスマス時期。
★オマケ(その2): モデルペット8番 1/42スケール 1959年日産オースチンA50ケンブリッジ
★オマケ(その3): マルサン商店 1/40スケール 1959年日産オースチンA50ケンブリッジ プラモデル
当時定価100円。品番7035。国産プラモデル黎明期のキット。
★オマケ(その4): 2012年12月1日 神宮絵画館前の1959年日産オースチンA50ケンブリッジ
★オマケ(その5): オースチンA50の顔つきはウルトラ怪獣ガラモンに似ていると思うのは私だけ??