★2代目40系クラウンのボディを全長で110㎜、全幅で150㎜広げ、国産初のV8エンジンを搭載したトヨタ初の大型乗用車「クラウンエイト」が1964年(昭和39年)4月20日に発売された(発表は4月15日)。前年1963年10月の第10回東京モーターショーに参考展示されたクルマの市販化であった。1963年2月に日産が発売したセドリック スペシャルに対抗する車種として発売された。
★クラウンエイトは、エンジンを2600cc新設計の国産初のV8としたことと同時期の大型国産車セドリックスペシャルおよびグランドグロリアが全幅はオリジナル車のままでホイールベースや全長のみを拡大したのに対し唯一全幅を大きく広げて大型車らしいプロポーションとしたことが大きな特徴であった。横幅については前項の1965年デビューのプレジデントよりも更に50㎜もエイトの方が広かった。一方、販売価格は165万円とプレジデントDタイプの300万円より遥かに安価であった。
ボディは2代目クラウンのデザインイメージを踏襲し基本構造も同一であったが、実際にはクラウンとの共通パーツは少なく新規製作されたパーツが大半であった。三角窓を含むパワーウインドー、パワーシート、自動ライトコントロール等の快適装備については、対抗車種以上に充実していた。なお、エイトの車体製造は関東自動車工業で行われた。
★発売当初のクラウンエイト はコラム2速オートマのみのシングルグレード(型式VG10)だったが、1965年(昭和40年)7月にクラウンと同時にマイナーチェンジを受け、外観の小変更と共にそれまでのエイトが型式VG10-Bとなり、4速フロアシフトのスポーティーグレード車(型式VG10-A)とコラム3速マニュアルの廉価版148万円の「スペシャル」(型式VG10-C)の2種が追加発売され3グレード構成となった。セドリックでは「スペシャル」が最上級車の意味で使われたのとネーミングの意味付けは真逆であった。
★クラウンエイトは1967年(昭和42年)7月まで の3年3ヵ月間に3934台が生産され、後継車センチュリーにトヨタ・フラッグシップ車のバトンを渡した。
横幅が異様に広い姿が何より印象的なクルマだったが、初期型エイトは販売台数が少なく稀少で、販売されたエイトの大半は1965年7月のマイナー後の後期型であった。実際、私が街で見た記憶のあるエイトも後期型ばかりだった。
【主要スペック】 1964年 トヨタ クラウンエイト (型式VG10)
全長4720mm・全幅1845mm・全高1460mm・ホイールベース2740mm・車重1375kg・V型8気筒OHV2599cc・最高出力115ps/5000rpm・最大トルク20kgm/3000rpm・コラム2速オートマ・乗車定員6名・最高速150km/h・東京店頭渡価格165万円
●1964年4月発行 トヨタ クラウンエイト 簡易カタログ ((B5判・8頁+)
※中頁から
●1964年4月発行 トヨタ クラウンエイト 本カタログ (LPレコードジャケット近似サイズ・32頁)
※中頁から
トヨタ地元の愛知3ナンバー車、バックには1964年東京オリンピックのポスター
ボディカラーは、「ローヤル・ブロンズ・メタリック」「オリーブ・メタリック」「ブラック」「ブルー・メタリック」の4色(前後期共)。うちブロンズ・メタリック(茶メタリック)がイメージカラー。
※スペック掲載頁
●1965年7月発行 トヨタ クラウンエイト 本カタログ (LPレコードジャケット近似サイズ・26頁)
発売から1年3ヵ月後に後期型にマイナーチェンジ
※中頁から
後期型ではテールライトが一回り大きくなった。
追加されたフロアシフトのスポーティーグレード(VG10-A)。価格は165万円と標準型(VG10-B)と同一で果たして個人オーナー向けに売れたのだろうか。
追加された廉価版のスペシャル(VG10-C)
※スペック掲載頁
●1967年1月発行 トヨタ クラウンエイト 本カタログ (B4判近似サイズ・22頁)
1965年7月発行のカタログの改訂版で表紙およびサイズは異なるが中頁の内容は殆ど同一のカタログ。
車両自体は全く変わっていない。
★オマケ(その1): ヨネザワ(米澤玩具) 1/18スケール 1964年トヨタ クラウンエイト
当時定価300円。米澤玩具ではエイトのモデル玩具を大小2種類発売したが、この小サイズはエイトの幅広感がよく出ている。とある地方の玩具店に眠っていたタイムマシーン・コンディションの1台。
★オマケ(その2): キッドボックスENIF 1/43スケール 1964年クラウンエイト(左側: 茶メタリック)+1965年クラウンエイトVG10-A型(右側: 青メタリック)
2011年11月発売製品