★初代セドリックのイメージキャラクター は1960年代前半の松竹を代表する女優の鰐淵晴子さん(1945年4月22日-)で、カタログや当時の日産発行のカレンダー等に頻繁に登場している。鰐淵さんのお母様はオーストリア人との混血だったため、その日本人離れした美貌で人気を呼んだが、鰐淵さんのお父様 鰐淵賢舟氏はバイオリニストで3歳より英才教育を受けた鰐淵さんは8歳で天才少女バイオリニストとして全国を演奏旅行している。もし、芸能界入りをしていなければ音楽の道で成功していたことだろう。鰐淵さん10歳の時に映画「ノンちゃん雲に乗る」の主演で女優活動を始め、1960年代初頭には10代にして日本を代表する映画スターの1人となった。
★鰐淵晴子さん は、初代セドリック・タテ目後期の1962年型からセドリックのカタログに登場し、1962年(昭和37年)10月のマイナーチェンジでヘッドライトが横置き4灯の「ヨコ目のセドリック」となった1963年型では特に頻繁に登場しているのだが、1945年(昭和20年)生まれの鰐淵さんは当時まだ17歳の大西学園(川崎)に通う高校生だったのに高級車の似合う実年齢より上の優雅で落ち着いた大人の女性を感じさせる。1963年2月発売の3ナンバー2800ccのセドリック スペシャルでは鰐淵さんがミンクや黒テンの毛皮のコートで登場するカットもあり、未だ10代の鰐淵さんが高級車セドリックのゴージャスさにピタリと合ってクルマを引きたてている。女性の年齢というのは分からないものだ。
しかし、鰐淵さんと同じ1945年生まれで当時の日活の看板女優だった吉永小百合さんだったとしたら、庶民的過ぎてセドリックには似合わなかったことだろう。吉永さんは20代後半となった1970年代になってクラウンのCMに出演したが、1960年代の10代の頃ではまだ高級車のCMには似合なかったと思う。10代で高級車セドリックのイメージキャラクターを務められたのは、鰐淵さんだったからこそではなかったろうか。
★初代セドリックのカタログ は、タテ目の前期からヨコ目の後期までデラックス・スタンダード・カスタム・1963年に追加された日産初の3ナンバー普通乗用車6気筒2800ccのスペシャル等とバリエーションの追加やマイナーチェンジのたび毎に1枚もの・簡易カタログ・本カタログと膨大な量が発行されており、とても1つの記事では納まらないので今回は鰐淵さんが登場するカタログという切り口から1963年型セドリックを中心に御紹介します。
【主要スペック】 1963年セドリック カスタム (H31型)
全長4650mm・全幅1690mm・全高1505mm・ホイールベース2690mm・車重1260kg・H型水冷直列4気筒1883cc・88ps/4800rpm・最大トルク15.6kgm/3200rpm・コラム4速・乗車定員6名・最高速140km/h
●1963年 ニッサン セドリック カスタムと鰐淵晴子さん (日産自動車カレンダー1963年版から)
●1962年10月発行 ニッサン セドリック1900 リーフレット (A4判・1枚)
●1962年10月発行 ニッサン セドリック1900 簡易カタログ (A4判・見開き4頁)
●1962年10月発行 ニッサン セドリック1900 本カタログ(A4判・24頁)
※中頁から
●1962年10月発行 ニッサン セドリック カスタム リーフレット (A4判・1枚)
●1962年10月発行 ニッサン セドリック カスタム 簡易カタログ (A4判・見開き4頁)
※中頁から
●1962年10月発行 ニッサン セドリック カスタム 本カタログ (LPレコード近似サイズ・20頁)
※中頁から
※スペック掲載頁
●1963年2月発行 ニッサン セドリック スペシャル 簡易カタログ (A4判・見開き4頁)
毛皮のコートを着た17歳の鰐淵晴子さん
※中頁から
●1962年 ニッサン セドリック1900デラックス 本カタログ (A4判・12頁)
タテ目後期のこのカタログあたりから鰐淵さんが登場
★オマケ(その1): 一宏工業(イチコー)1/18スケール
1963年セドリック カスタム(左)・1964年セドリック カスタム(右)
★オマケ(その2): 三和模型 1/32スケール程度 1963年セドリック プラモデル
国内販売版(上)と海外輸出版(下)。海外向けは組立説明書も英文。箱絵は「セドリック デラックス」なのに組立説明書には「セドリック カスタム」と記載されたアバウトなもの。