★日本が未だ連合国の占領下 にあった戦後6年目の1951年(昭和26年)、東京・溜池の三和自動車を老紳士N氏が訪ねた。N氏は永年住み慣れたドイツから帰国したばかりの国際的に著名な日本人弁理士だった。
「ドイツの友人が造った車を扱ってもらえないだろうか。・・・私には車の知識はあまりないのだが、車はとてもいいものだと思う。」
そして、温厚そうな笑顔でN氏はポケットから3枚の小さな写真を取り出して見せた。それは今まで見たことのない形をした車だった。「ポルシェというのだよ」N氏の声にはどこか懐かしさのこもった響きがあった。その車の名前も形も三和自動車の誰もが知らなかった。
N氏はその年の1月に亡くなったフェルディナント・ポルシェと親交があり、晩年病床にあったポルシェから「日本に帰ったら私の車を宜しく頼む」と言われ、「わかった、必ず君の車を日本でひろめよう」と約束したのだった。
・・・そうして、三和自動車はポルシェの日本輸入代理店となった。当初はポルシェの詳しいデータもカタログもなく、小さな写真を見た時の直観とN氏の人柄への信頼からの決断だった。戦前から米車パッカードの日本輸入代理店でもあった三和自動車は、その後、ポルシェジャパン設立の1997年までの45年に亘り日本にポルシェを輸入し続けた。
★1953年(昭和28年)、三和自動車は初めてポルシェ356を輸入した。日本に輸入された初めてのポルシェは1300のカブリオレで、輸入前年1952年の暮れに日本人実業家M氏よりオーダーされたものだった。相前後してクーペも輸入され、弱冠20歳の医学生U氏の手に渡った。当時のポルシェ356の国内価格は約350万円だったという(大卒初任給が8000円台の時代であり、現在の貨幣価値にすると少なくとも20倍の7000万円以上に相当する)。
356の1号車が1948年に造られてから5年後の1953年に初めてポルシェが日本に輸入され、それから来年2013年で輸入60周年を迎えることになる。
●誠文堂新光社発行 「スピードライフ」 1954年1月号 表紙
東京国立博物館前の日本初輸入のポルシェ356カブリオレ(まだ登録ナンバーも付いていない)
●1953年4月発行 ポルシェ356 本カタログ (英文24頁)
日本に初めて輸入されたカブリオレと一緒にこのカタログが日本に届いたと言われる。
356A以前の所謂Pre- Aと言われるタイプ。
表紙は「The keys to miles of pleasure・・・」の文字とポルシェのキーに聖クリストファーのキーホルダー、グローブ、スカーフのみで一見してポルシェのカタログとは解らない。
※中頁から
※スペック
このカタログから抜粋・・・
「時速100マイル(160km/h)もしくはそれ以上で走ることが出来る車を運転するのは、何故楽しいのでしょうか?実際にはそんなスピードで走ることなど滅多にないのに。こんな性能の車なら、路上のどんな車も追い越す能力を持っていることはお分かりでしょう。もしあなたが望むなら、アクセルの軽いひと踏みで、あなたをシートに押しつけるほどポルシェはすばやく加速するでしょう。たちまち追い越し完了。危険のない安全な追い越しを鷲の羽を持つこの車はいつでも行えるのです。」
「ポルシェのスタイリングは、現在の流行に迎合しません。根拠のない流行のスタイルではなく、技術の実りなのです。このボディスタイルは、高速のためのみならず、ガソリンの経済のためでもあります。比較的小さなエンジンのポルシェが、その力を無駄なく使うための形なのです。」
●1953年5月発行 ポルシェ356 簡易カタログ(英文4つ折)
フェルディナント・ポルシェの過去の業績を中心に如何にポルシェの技術が優れているかが説明されている。
※フェルディナント・ポルシェと息子フェリー・ポルシェ、左側スペック
【主要スペック】1953年 ポルシェ356
全長3950mm・全幅1670mm・全高1300mm・車重830kg
1100=40ps/4200rpm(最高速140km/h)
1300=44ps/4200rpm(最高速145km/h)
1500=55ps/4400rpm(最高速150km/h)
1500スーパー=70ps/5000rpm(最高速160km/h)
●オマケ: 西独 DISTLER社製 1/15スケール ポルシェ356 Pre-Aカブリオレ