★いすゞ自動車 が乗用車生産から撤退して久しく、いすゞと言うと今ではトラック・バスメーカーとしてのイメージが強い。
戦後のいすゞの乗用車生産は1953年に英国ルーツ社「ヒルマン(PH10型)」のノックダウンから始まり、その後、1962年ベレル、1963年ベレルの妹「ベレット」、1967年11月に今回御紹介する「フローリアン」、1968年12月に「117クーペ」が登場した。
いすゞの乗用車はメーカーの資金不足も手伝いベレット10年、フローリアン15年強、117クーペ13年と生産期間が長かったものが多い。しかし個性的なクルマが多く熱烈なファンも多かった。
★フローリアン の車名はオーストリア皇帝の純白の愛馬の名前に由来するが、元々は117クーペとフロアユニットを共用する姉妹車「117サルーン」として1966年秋の第13回東京モーターショーに展示された(1966年時点での車名は117クーペは117スポーツ)。
117サルーン(フローリアン)と117クーペの姉妹は何れもイタリアのカロッツェリア・ギアのデザインがオリジナルで生産化にあたって、いすゞ独自の変更が加えられた。類稀なる美貌の妹117クーペに対して、フローリアンは薄倖の姉、悲劇の姉などとも言われ、事実、ベレットよりワンクラス上のセダンであったが商業的には成功しなかった(生涯を通しての生産台数はバンタイプを含めて145,836台)。
★4ドア6ライト(側面窓が左右合計6枚)の独特のデザインと当時の国産セダンとしては異例に広い室内スペースからフローリアンは初期からタクシーとしても販売された。都内では初期~中期型のタクシーは少なく、初期型とは別のクルマのようなデザインと変わり果てた後期・末期型のブタ顔には個人タクシーが割合見られた。クルマは初期型が最も美しいという例が多いけれど、フローリアンはその最たる例かもしれない。117クーペは生涯を通して美しかったが、これもやはり初期型のハンドメイド車が最も美しかったと言える。
●フローリアン タクシー カタログ(3種)
●1968年7月発行 フローリアン タクシー カタログ
(カタログナンバーPC-3014/A4判・全10頁/1600LPG・1500LPG・1600ガソリン)
・・・・・初期型フローリアンは美しい。右下の着物の女性が時代を感じさせる。
※アップ:相愛タクシーの行灯とフロントフェンダーに三軒茶屋のレタリングが見える。
※中頁より
●1969年4月発行 フローリアン タクシー カタログ
(カタログナンバーは68年と同じPC-3014/A4判・全10頁/1600LPG・1500LPG・1600ガソリン)
※中頁より
●1970年11月発行 フローリアン タクシー カタログ
・・・・・ミニスカートの女性が時代を映している。
(カタログナンバーPC-3018/A4判・全10頁/1500が消え1600LPGと1600ガソリンのみ)
※中頁より
●1968年12月発行 いすゞ117クーペ カタログ(通称ダブルジャケット)
ジョン・レノン「ダブル・ファンタジー」のジャケット写真で有名な写真家 篠山紀信氏の美しい写真で全編が構成されている。通常のLPレコードより一回り以上大きいサイズ。
●1966年発行いすゞ総合カタログの表紙「ギアいすゞ117スポーツ」
●オマケ: フローリアンと117クーペのミニカー
(米澤ダイヤペット、右上の白い117のみ伊ポリトーイ製の117スポーツ時代のもの)