8/3(土)灼熱の京都―汗と渇きのぶらり旅 4日目〜その2~ | ちいたろうのお出かけ日記

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 10:06、四条烏丸のバス停から203番の市バスに乗って、10:13壬生寺道バス停に到着。なんと、バスから降りた時にカメラを落とすという大失態。きっと、新選組が大好きな知人をうらやましがらせてやろうという下心を旅の神さまは見ていたのでしょう。
 しかし、ボディにキズはついたものの、撮影はできそうです。「この後起こる厄災をこれだけで済ませてくれたに違いない」
落としたことは確かにショックなのですが、人間万事塞翁が馬。必ずしも悪いことばかりではないはずです(意見には個人差があります)。


 バス停の前には、神社と隼神社の二つの本殿が横に並ぶ珍しい神社がありました。旅の神さまがどなたなのか、どちらにおいでなのかはわかりません。けれど、それは自分の気持ちの問題。それぞれの神社にお賽銭を入れて、旅の安全を願っておきます。


 壬生寺も、その周辺の新選組関連の場所も、新選組をよく知らない私にはいまいちピンときません。旅のテーマを決めるためには、旅についての知識がある程度必要なのです。


 知人からは期待していた通りのリアクションがもらえて大満足なのですが、
「さすがに羨ましがらせるのがテーマじゃ困るよなぁ」
とも思います。
 そこで、来たバスに乗ったらその中で行き先を決めることを新たなテーマに決めました。つまり、どこに行くかはバスの通り道次第というわけです。
 バス停まで戻ると、ちょうどバスが来たところ。10:34、飛び乗った市バスは京都駅八条口行きの特71号系統でした。土曜日は1時間に2本しか走っていない、レアな路線だったようです。
 路線図を見ると、四条大宮からまっすぐ南へ下り、東寺あたりまで行ってから、九条通を走って京都駅八条口に至るこの路線。市内にある有名な寺社に行くような路線ではありません。
「京都水族館か、京都鉄道博物館か。東寺は前回行ったしなあ……」
駅でもらった路線図と車内の路線図を参考に降りる場所を考えるのですが、なかなか決まりません。バスが進めば進むほど、選択肢が減っていきます。
 路線図を見ていて、この路線が西本願寺の西側を通ることに気がつきました。
「そういえば、本願寺へ行ったことがないなあ」
路線図を見て、大宮五条とその次の島原口のバス停のあたりが西本願寺の近くだと判断。
「とりあえず、大宮五条で降りればいいだろう」
そう思って降車ボタンを押しました。10:41、大宮五条のバス停で降りると、確かに境内の大きな木が見えるのですが、入り口は見当たりません。実は、大宮通沿いに西本願寺の入り口はなく、反対側の堀川通にまわらなければならなかったのです。しかし、そんなことには気づかぬまま、塀の向こうは寺の境内だと見当をつけ、そのまま下っていきます。
 歩いていくと、道端に警察官が座っているのが見えました。警察官の前には、なにやら小さな箱があります。移動式の自動速度違反取り締まり装置、可搬式オービスというやつです。
 もう少し進んだところには別の警察官が待ち構えていて、違反車は花屋町通に誘導するようです。大宮通はそこまで速度を出せるような道ではないのか、違反で止められる車もおらず、警察官ものんびり。取り締まりをしていること自体に抑止効果があるのでしょう。これも大切な仕事だというのは理解しますが、この暑さの中、制服で立っておられる警察官の方々にはつくづく「ご苦労さまです」と頭が下がる思いです。
 次のバス停の島原口のところにお寺の門がありましたが、門扉は閉まっています。こちらは一般の人が通れる門ではなさそうです。


「やはり、ぐるっとまわらないといけないのか」
結局、本願寺の塀が途切れたのは龍谷大学の図書館のところ。
「龍谷大学は浄土真宗だから、きっと西本願寺とかかわりがあるのだろう」
実際には「龍谷大学の歴史は1639年に西本願寺に設けられた『学寮』にはじまります。」(大学公式サイトより)とあるので、かかわりどころか、西本願寺そのものです。
 その龍谷大学では、ちょうどオープンキャンパスの真っ最中。
「今は受験生向けに、大学も大変だなあ」
受験生の子どももいない自分には関係ないと思ったのですが、よくよく考えてみれば、私が今から受験する可能性だってゼロではありません。
「そうか。自分が受験を検討しているフリをして見学するというのもアリだったのか」
と後になって気づくのでした。
 でも、こんなに大回りしたお陰で、西本願寺の唐門も見ることができたのは収穫でした。ここから入ることはできませんが、もしまっすぐ西本願寺に入っていたら、わざわざここまで見に来なかったでしょう。ここでも、人間万事塞翁が馬。何がよくて何が悪いかなんて、最初の印象だけでは決められません。自分がどう捉えるかによって、いくらでも変わってきます。


 唐門の説明書きには、「黒漆の上に施された孔雀や唐獅子、麒麟、中国故事といった極彩色の豪華な彫刻や随所に施された錺金具に見入っていると、日が暮れたことも忘れてしまうということから日暮門とも呼ばれています。」とあります。
「あれ。どこかで聞いた話だぞ」
日光東照宮の陽明門も、同じように「日暮らしの門」と呼ばれていると読んだことがあります。
「『全米が泣いた』のように、『日暮らしの◯◯』っていう表現が流行ったのかな」
そんなことを考えながら西本願寺を目指すのでした。