2/23(金・祝)キタキタ秋田になんで来た?! 1日目〜その3~ | ちいたろうのお出かけ日記

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 旭川という小さな川を渡ったところが、秋田の繁華街、川反と呼ばれるあたりです。橋を渡ったところにあったうなぎやさんからは、タレが焼けるいい匂いがしています。細い通りを歩いていくと、両側に料理屋さんが並んでいました。


 繁華街というと、つい昔の宿場町の名残はないかと探してしまうのですが、この通りはそんな雰囲気を感じません。羽州街道が通っていたのはもう一本西側の通りで、こちらの飲食店街があるあたりは、街道の裏手だったのでしょう。
 しかし、この界隈が歓楽街になったのは意外に新しく、1886年(明治19年)に起きた俵屋火事で消失した芸者屋や飲食店が町人の町であった川反に移転したのが歓楽街のはじまりのようです。この火事はかなりの規模だったようで、約3,500戸を焼いたといいます。そこから復興しようとした当時の人々の思いが今、ここにあるのだと思うと、たくましさを感じる歓楽街です。


 飲食店の中にはランチ営業をしている店もあるのでしょうが、時刻はまだ10時半。ランチには早すぎます。それに、ほとんどは夜のお店のようです。この旅の間にまた来ればよいでしょう。
 そうなれば、まずは遠いところから攻めていくのが私の旅の基本。ガイドブックにあった、秋田市立赤れんが郷土館へ行ってみます。


 建物の脇に、秋田県里程元標跡という碑がありました。羽州街道が通るここが当時の秋田の中心地だったことがうかがえます。そして、その旧街道筋に面して堂々と建っているのが、旧秋田銀行の本店として1912年(明治45年)に完成したルネサンス様式の建物です。戦後は進駐軍に接収され、軍政部が置かれました。その後返還され、銀行の店舗としての役目は1969年(昭和44年)に終えています。


 建物に入ると、受付にいた女性に、
「ねぶり流し館との共通券だと、260円です」
と、共通券を勧められました。ここの観覧料は210円と格安なのですが、わずか50円追加するだけでもう1か所、ねぶり流し館も見学できるというのです。ねぶり流し館がどういうところか聞いてみると、秋田の夏まつりである竿燈について展示しているところで、ここからまっすぐ歩いて5分ほどだとのこと。
「急ぐわけではないし、何より安いのだから、ちょっと行ってみるのもいいかもしれないな」
 もし仮に後で行くのが面倒になったとしても、50円なら惜しくはありません。
 吹き抜けになっている天井からは、大きなシャンデリアがさがっています。バロック調という館内は、とても豪華なつくりです。


 展示を見ていくと、「地盤が軟弱だったため、工期と経費の半分が基礎工事(おもに耐震)に注ぎ込まれたとも言われています。」とありました。地盤のための工事はわかるとして、そんな時代から耐震について考えられているとは驚きです。実際、1939年(昭和14年)の男鹿沖地震、1983年(昭和58年)の日本海中部地震でもヒビひとつ入らなかったというのですから、当時の人たちの技術や努力のあとがうかがえます。
 2階に上がる階段を歩いているときにふと、「どこかでこんな階段を上ったことあるぞ」という気分になりました。東京ディズニーシーにあるブロードウェイ・ミュージックシアターです。内装も階段の幅も違うのですが、雰囲気がなんとなく似ているように思えたのです。


 東京ディズニーシーのブロードウェイ・ミュージックシアターは、ニューヨークにあるニュー・アムステルダム劇場をモデルにしているそうです。そちらができたのは、1903年(明治36年)のこと。この赤レンガ郷土館よりも少し先輩ですが、ほぼ同年代と考えてよいでしょう。それなら雰囲気が似ていてもおかしくありません。
 ニューヨークに建てる建物なら当時の最先端のはず。それに似た雰囲気を感じるような建物を日本に、しかも東京の中心ではなく秋田に建てたのです。当時の秋田の人々の熱量には驚かされます。
 以前は年間パスポートを利用して、舞浜のパークに通っていた私。コロナ禍ですっかり足が遠のいてしまいましたが、パークで歴史に触れることもできるのだと気がつきました。ディズニーシーの建物には歴史的な価値というのはないかもしれません。しかし、その建物を通して歴史に触れることはできます。今から20世紀初頭のニューヨークを訪れることはできなくても、テーマパークで20世紀初頭の雰囲気が味わえる。そして、それが本物に出会ったときにフィードバックされる。そんな効果を考えると、テーマパークを巡るのも悪くないと思うのでした。
 見学を終えて、秋田市民俗芸能伝承館、ねぶり流し館へも行ってみることにします。入るやいなや、たくさんの提灯が取りつけられた竿燈に迎えられました。


 もちろん、竿燈についての展示も楽しみました。実際の祭りを見に来たことはないのですが、2015年夏に来たときに、竿燈の実演を見せていただいて、その迫力に驚いたのを覚えています。
 けれど、もっと目を引いたのは、竿燈とは別のところでした。
 階段のところには、秋田に関するポスターが掲示されていました。なまはげ、鍋、秋田犬……。他府県の人が秋田をイメージするものといえば、そういったものなのはわかります。しかし、実際のところ、秋田の誇るべきものは何でしょう。
 2階に上がると、郷土芸能についての展示がありました。秋田万歳や番楽といったものが、秋田にはあるようです。けれど、それらはほとんど他府県の人には知られていないでしょう。もしかすると、地元の若い方や子どもたちにも伝わっていないかもしれません。


 秋田には何もないのではありません。文化というものがちゃんと根づいている土地なのだと、こういった展示から感じることができます。そして、
「もっとそれをアピールすればいいのに……」
と、もったいない気持ちになるのでした。