10/2(土) 3回目のお遍路 四国八十八ヶ所完全制覇の旅 2日目~その3~ | ちいたろうのお出かけ日記

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 61番香園寺は、写真で見るとおよそ寺とは思えないような建物です。まるでホールのように見えた大聖堂へ行ってみると、外観だけでなく、細かいところもホールっぽく、建物横から建物へ入る入り口なんかは、吹奏楽をやっていた時、会場の外のこんなところを通ったなあと懐かしくなります。

 本堂である2階内部には、620余の椅子席が並びます。これで御本尊の大日如来が安置されているところに何もなければ、そこをそのままステージにして、演奏会でも演劇でもできそうです。


 この寺は確かにホールっぽさを感じるのですが、どこか教科らしさを感じたのは私だけでしょうか。教会ではミサや礼拝といったことが行われ、人々が集まる場所という性格が前面に出ています。これまで巡ってきた寺では、そういった雰囲気を感じなかったのですが、この香園寺では、人々が集まる場所だという印象を強く受けたのです。
 ここから先、62番、63番と、国道11号線沿いに札所が続きます。どちらも国道と予讃線の線路に挟まれた土地にあるので、今までの寺と比べると、
「え? こんなところに?」
と思ってしまいます。
 62番宝寿寺は、寺のすぐ前に駐車場がありました。寺自体も小ぢんまりとしていて、あっという間に参拝終了。まるで、コンビニエンスストアに寄るような感覚です。


 次の63番吉祥寺は、寺から少し離れたところに有料駐車場があるようです。そちらへ向かうと、建物から人が出てきました。


「料金収入の何割が、この人の人件費になるのだろう……」
などと余計なことを考えてしまう私は、まだまだ修行が足りていないようです。
 有料駐車場から寺へ向かうと、その間にあるJAの駐車場に、「お遍路駐車禁止」と書かれた紙が下がっていました。「お遍路」と呼び捨てにするところに、何かJAの強い意志を感じます。以前、トラブルがあったのでしょうか。きっと、JAの駐車場に勝手に車を停めて、参拝をする人がいたのでしょう。そんなのは、お遍路さん以前の問題として、人としてどうかと思うのです。確かに、車遍路の場合、駐車料金はけっこうな負担になります。無料のところもある一方、わずかの時間でもきっちり納めなければならないところも少なくありません。それに対して不平不満を抱くのは仕方ないとしても、だからといって他人の土地に止めてよいということにはならないはずです。ここまで寺をいくつも巡っているのに人として成長できない人ならば、この先どれだけの札所を巡ったとしても、人間的に成長することはできないでしょう。

 次の64番前神寺も、国道11号線から少し入ったところにある寺です。61番から64番までは国道沿いにあったのでわかりやすかったのですが、次の65番三角寺は結構離れているので、ここの参拝が終わったら、昼ごはんを考えることにしましょう。


 駐車場から歩いて寺に向かうと、オレンジ色に染まった御瀧行場不動尊に迎えられます。その色を見て、
「温泉成分でも含まれていないかなぁ……」
と思ってしまうあたり、私はまだまだ煩悩の塊なのです。いや、煩悩がなければ、どうやって旅を楽しめばよいのでしょう。
 修行としてのお遍路であれば、ストイックに寺を巡るのもわかります。しかし、一般の人々にとってのお遍路は、そういったものではないはずです。人との出会いの中で学ぶことはたくさんあるし、寺や風景を見ることで気づかされることもある。それが何かということを言葉で表すことはとても難しいのだけれど、少なくとも、興味や関心といった煩悩がなければ、旅そのものが成り立ちません。
「煩悩があってよいのだ。旅に煩悩が必要不可欠なのだ。」
 自分にそう言い聞かせて、正当化することにします。
 前神寺の本堂の前に立つと、その独特の雰囲気に、気持ちが安らぐのを感じました。何がそうなのか、はっきりしたことはわかりませんが、そういったことを感じ取ることもまた、お遍路の旅の効果の一つといえるのかもしれません。


 お詣りを終えて地図を開くと、海の近くに海鮮丼を食べさせてくれる店が載っていました。早速、行ってみることにします。
 お店には14時頃に到着。待っているお客さんもいましたが、回転は悪くなさそうなので、今日の目標である65番三角寺の納経時間には間に合いそうです。


 待ち時間の間に、売り場を覗いてみることにしました。新鮮そうな魚介類の中に、カメノテなんていう珍しいものもあります。食べるところは少ないものの、そのうまみがギュッとつまった根本の部分を日本酒とともにいただきたいところですが、まだまだ先へ進まなければなりません。


 海鮮丼に載せられた魚の身の分厚さは、地図で見た案内の通りです。そこにしょう油でなく、甘めのタレをかけて食べるのですが、これはこれで美味しいではありませんか。しかし、ついついごはんの部分をさっさと食べてしまい、最後は魚だけをいただくようになってしまうのがいつもの食べ方。丼ものをバランスよく食べられるようになるのは、いつの日になるのか。これもまた一つの煩悩なのかもしれないと、一人で苦笑いするのでした。