一周忌 | ワタシノクラシ ANNEX

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The Tokyoite returned from Kansai to Tokyo.

一昨日の1月27日は、一周忌の法要でした。

約10ヶ月ぶりに、また母の喪服を着ました。


仏壇のない家に、仏壇をお迎えして、経験してこなかった法事をひとつひとつこなして…。
毎回毎回、慣れないことばっかりで精神的に目一杯です。

法事の2週間前くらいから気持ちに余裕がなくなりだし、終わるまで緊張しっぱなし(傍目にはそうは見えないらしいのだけど)。で、毎回、ちょっとした細かい失敗をいくつかしている。今回も…(汗)。全部初めての経験なんだから…完璧なんて目指しても仕方ない…と思うものの、落ち込む。どっと疲れる。

父は昨年の四十九日の法要と同じく、一周忌も当日突然「法要には出られない」と言い出して欠席しました。またかぁ…(涙)と思いつつも、わたし自身もこれだけ精神的にキツいんだから、うつ症状がぶり返している父が欠席したい気持ちはわからなくはない。

ただ、四十九日の時とは違って、今回は妹家族が参列してくれたので、心強かったです。

なんにしても…細かな行き渡らない点はあったものの、一周忌法要が終わってホッとしました…。

それにしても、1年前の今頃は、まだ母は生きていて、父もうつ症状はあるものの、まだまだしっかりしていて、自分で食事を作って母と食べたりもしていたんですよね(今現在、父の食事は木曜日の昼以外は全てわたしが作っている)。この1年でなんという状況の変化だろう。

ちょうど1年前の1月27日、わたしは会社業務の出張で長崎にいました。
その出張は一泊二日の宿泊を要するものであったため、うつ症状がだんだんに深まっていた父ひとりで母をみるには不安があるだろうからとかかりつけ医のアドバイスもあって、母を緊急ショートステイ施設に1週間預けました。

…そして、ショートステイから家に戻った次の日の朝、母は他界したのでした。

ショートステイ滞在が直接の原因ではないけれど…普段、水分を取りたがらない母に、一日中しつこく水分をと言い続けて麦茶やゼリーを飲ませていた父と離れた1週間。母はいつもほどには水分をとっておらず(迎えに行った時、持参したゼリーが飲みきらず何本か残っていた)、水分不足が影響したのだろうと、死亡診断書を作成してくれたかかりつけ医はおっしゃられた。

自分が泊りがけの出張に行かなければ、ショートステイに預けることはなかったのに…という思いが、今でもあります。

一方で、母が認知に支障をきたしていることを自覚し、身体が弱って人の世話を受けることになっていることに対して日々自分を責めていた様子をずっと見続け、生きてるのがつらそうだなぁ…と常々感じていたので、他界してラクになれたのだという思いもある。

母のこともそうですが、うつ症状がひどくなると「生きていたくない」と口にする父と過ごしながら、人が生きるということについて、ずっと考えていた1年間でした。

今年も答えの出ない考え事をし続けることになるのでしょうが…わたし自身、残りの時間をどう生きていくか、気づきを得られる日々でもあります。しんどい毎日だけど、いい経験をさせてもらっている…とも感じています。