「まずしくてさいせんから、ぬすみました」 30年前の〝犯行〟告白…さい銭箱に謝罪の手紙と10万円 熊本市・戸島神社
「小さいころ家がまずしくてさいせんから、ぬすみました。本当にすいません」

熊本市東区の戸島神社のさい銭箱から9月、過去の過ちを謝罪する手紙と現金10万円の入った封筒が見つかった。神社総代会の桂良三さん(74)は「昔のことを反省して立ち直る姿を想像し、温かい気持ちになった」と頰を緩める。9月1日に桂さんたちがさい銭の回収に訪れた際、手紙と現金10万円が入った封筒を見つけた。
手紙には30年以上前にさい銭を盗んだことを告白した上で、ずっと後悔の念を抱いてきた思いがつづられていた。「しっかりがんばって、それ以上のお金をお返しいたします。今日、これて本当によかったです」と結ばれていた。
桂さんは「10万円は地域のよりどころでもある神社のために使いたい。本人にも感謝を伝えられたらいいのだが」と話した。
「まずしくてさいせんから、ぬすみました」 30年前の〝犯行〟告白…さい銭箱に謝罪の手紙と10万円 熊本市・戸島神社|熊本日日新聞社
日本の政治家は、世界でもトップクラスに年俸が高いというのに、「裏金」などを得ては報告もせず、税金も支払わない。
我々庶民は、貧しくてアンパンひとつ万引きをしたって、つかまって罰せられる。
それどころか、他人様の施設で無断で携帯電話に充電したって、「電気を盗んだ」と言って罪を問われるのだ。
つい先ほども、寝たきりの中学生の息子の「床ずれ」を悪化させたといって、シングルマザーがネグレクトで逮捕されたニュースを読んだ。「病院に連れて行かないとと思っていましたが精神的にも肉体的にも余裕がなかった」と話している。1日中仕事に出ていたという母親を逮捕された息子はどうなるのだろうか。
母親を罰するよりも、こうなる前に税金でできることがあったのではないか。困窮している人が助けを求めることのできる社会をつくることが政治家の仕事ではないか。
熊本の神社の賽銭箱の記事を読んで、なんだか涙が出た。
この人は、食べるものも無いような状況で、お金の入っている賽銭箱からついいくらか盗んでしまったのだろう。賽銭箱に入っている小銭だから、どうせ大した額ではないだろうに、それを30年間苦にして生きてきたのだ。
なんという良心だろうか。何千万円という不明金を得て、何とも思っていない政治家に爪の垢でも煎じて飲ませたいではないか。
この人が、いまとても豊かな暮らしをしているとは限らない。
そんな中で10万円もためるのは、大変だったのではないだろうか。
30年も昔の子どもの頃に犯した「罪」に対しての謝罪は、柔らかなかな文字で、真摯な筆跡で書かれていた。
フランスの文豪、ビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」でも、家族を養うためにパンを盗んで19年もの間獄中で過ごしたジャン・バルジャンの話がでてくる。
罪は罪だ、と言われればそれまでだが、罪を犯さざるを得ない状況に追い込まれる人々に対し、恵まれた環境にいる人たちが罰を与えて、さらに彼らの人生を生きづらくしているこの社会のありようには、疑問を感じる。
そして、明らかに大きな罪を犯しているにも関わらず、権力を持ったがために罰を受けることもなく、高い弁護士をつけて罪を逃れ、のうのうと厚い面の皮を見せて生きている連中を見ると、胸が悪くなるのだ。
人には、美しい人たちと、醜い人たちがいる。
もちろん、容姿のことではない。
その生きざまが人を美しくも、醜くもさせているのだ。
醜い人たちは、どんなに高級な衣服や腕時計を身に着けていても、美しくは見えない。
どんな邸宅に住んで多くの人にヘイコラされていても、うらやましいとは思わない。
それよりも、この手紙を書いた人物の方に、私はもっと魅力を感じるのだ。
何十年も前、子どもの頃に自分が犯したと思っている過ちを、ちゃんと償おうとするその心根に、打たれる思いがするのである。
人の美しさとはこういうことを言うのだ、と思うのである。