スポーツ報知インタビュー | ロンドンつれづれ

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スポーツ報知紙は、アスリートについていつもまっすぐな記事を書いてくれるが、今回も羽生さんの言葉をそのまま載せてくれた。聞き手の高木さんが、とても良い質問をし、良い答えを引き出してくれている。

 

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プロ転向を表明してから19日で、丸2年を迎えたフィギュアスケートの羽生結弦さん(29)のインタビュー。第2回はスポーツ報知の単独取材に応じ、あるプログラムとの「運命の出会い」について明かした。(聞き手・高木 恵)

 ―競技者時代と比べて時間の流れ方は違うか?

 「競技者の時は体作りだったり、スケートの練習のために、みたいなことを、ずっと考えていればよかったんですけど。何かを作り出すとか、プログラムを振り付けするとか、そういうことをやっていると、練習だけに費やせる時間がないというか。だから、この期間はもう練習はしょうがないから、維持に努めようとか、これぐらいに抑えておいて、今は制作の期間だから、睡眠を削られてもしょうがないよね、とか。いいものを提供したいですし、いろんなことを考えたりしていると眠れなくなってしまう。そもそも不摂生が多い人間なので(笑い)。本当だったらスケートのためにもっと眠った方がいいよなとか、もっとこういうものを食べといた方がいいよなってあるんですけど。どんどん、どんどん、崩れていってしまいます」

 ―睡眠時間は。

 「その日によってですね。もう耐えられないなって思ったら、8時間9時間ぐらいバッて寝てしまっている時もあるし、気がついたら寝ていたみたいな時もあるし。逆に、一日中起きていましたみたいな日も普通にあります。完徹する必要はないのに、完徹してしまうみたいなことも普通にあるので。でも、そういう時こそ生まれてくるストーリーもやっぱり存在するし。なんとも言えないですね。いわゆる作詞活動であったりとか、作曲活動みたいなことをしているのと、あまり変わらないというか。そういうものなんだろうなって。自分はそういうスタイルなんだろうなって思って受け入れてはいます」

 



羽生結弦さん(カメラ・小林 泰斗)

 ―3月の「notte stellata」のリハーサルで「新プロ緊張する」と言っていた。

 「もちろん、初めて皆さんの前で披露するということへの、失敗しないかな、大丈夫かな、っていう心配的な緊張もあるんですけど、どちらかというと、自分はいいと思っている、周りの近い人間もいいと思ってくれている。その輪が自分から身近な人になって、その身近な人からファンの人たち、世間一般に広がっていったときに、どう思ってもらえるかって、正直めちゃくちゃ怖いんですよ。価値観って人によって全然違いますし、プログラムとか、その曲を聴いた時に感じられる印象っていうのも、人それぞれ違うのは間違いないので。それが悪い方向に行かなきゃいいなっていう怖さはやっぱりあります」

 ―そのあたり、この2年の感触は。

 「こうして『RE_PRAY』なども含めて、たくさんプログラムを作ってきて、人それぞれ、このプログラムが好きっていう好みが分かれてくれているのも、またうれしいというか。セルフコレオが好きって言ってくださる人たちもいるし、振付師さんにちゃんと振り付けをしてもらった方が好きだよっていう人もいるし。フィギュアらしいプログラムの方が好きって言ってくださる人もいるし、逆に『メガロ』(MEGALOVANIA)みたいに、振り切っちゃったプログラムの方が好きっていう人もいるし、本当にさまざまで。それがまた、自分の特長でもありますし。それぞれ、いろんな解釈をして好んでくれることは、本当にうれしいことです」

 

 

―今後挑戦したいプログラムは?

 「本当は、15分プログラムとか作りたいんですよ。でも、難しいなって思ったりもします」

 ―それは体力的なもの?

 「体力的なものも、もちろん大変ではあります。例えばジャンプをそんなに跳ばないにしても、退屈になってしまうのは嫌ですし。いわゆるコンテンポラリー的な動きで作りたいなとも思いつつはあるんですけど、もたないな、っていう

 ―構想としてはある。

 「一応、なんとなくはあるんですけど、まだそこまで振り切れないですかね。分からないですけど。まだこの曲で滑りたいっていうものに出会えてはいないです、自分の中で。15分、20分で滑り切りたいみたいな曲に、まだ出会えていないのかなっていうのも、あります」

 ―「ダニーボーイ」は以前にも増して寄り添う感じ、優しさが伝わってくる。この2年で表現の幅が増えたことによるのか、内側からの変化なのか。

 「もともと存在している感情を、より新しい手法で伝えられるようになったのかなっていう感じはしなくはないです。それこそ『ノッテ』(ノッテステラータ)を滑る時もそうだし、『春』(春よ、来い)を滑る時もそうなんですけど、慈愛みたいなものとか、祈りみたいなものを、どういう曲調で、どういうふうな手の振り、手の使い方、上半身の使い方であったりで表現するかっていうことが、今までどちらかというと、クラシックであったり、ポップスであったり、インストにしたとしても、『春』はもともとはポップスの曲ですし。今回、ジャズの曲調でっていうのが、すごく自分の中にも今までなかった引き出しだったし、それをやっと、ちょっとこなせるようになったかなっていうのが、一番、印象として違うんじゃないですかね。もちろん、年齢を重ねて、だんだん大人になってきているっていうのもあるとは思うんですけど、それを表現するための体の使い方であったりとか、思考回路みたいなものも、また、ちょっと追いついてきたのかなという感じはします」

 ―「ダニーボーイ」は星野源さんから薦められて。

 「そうです。番組でおげんさんにお会いして、『これいい曲だよね』っていうことになって。もうあの瞬間に、自分の中で、ああ、これだな、みたいな感じになりました。ほぼ即決めで、自分の中で、この曲滑ろうってなっていましたね」

 ―スッと入ってきた?

 「自分のインスピレーションが浮かぶものと、あとは曲を聴いて最初の出だしの段階で、自分が立っている姿というか、スケートで滑れている姿が想像できる曲って、なかなか出会えないんですよ。今めちゃくちゃ曲を探しまくっているんですけど、なかなかないなって思うんです。でもあの曲は本当にもうスッと浮かんだんで。これだ、っていう感じはありました。曲調的には自分で振り付けできるものじゃないし、この曲は割と、何回も何回も滑っていって、熟成させていく必要があるなっていうのも感じていたので、これはもうデービッドだってすぐに浮かんで、お願いしました。あの子は本当にもう急展開というか、運命の出会いを果たしたなっていう感じでした」

 

羽生結弦さん 新プロ披露は緊張の連続「正直めちゃくちゃ怖い」 プロ転向2年インタビュー第2回<前編> - スポーツ報知 (hochi.news)

 

羽生結弦さん「ダニーボーイ」は「運命の出会い」 15分演目構想も プロ転向2年インタビュー第2回<後編> - スポーツ報知 (hochi.news)

 

 

プロ転向を表明してから19日で丸2年を迎えた、フィギュアスケートの羽生結弦さん(29)の単独インタビュー最終回。アスリートとしての「全力」「心技体」「理想」を語った。(聞き手・高木 恵)

 ―『RE_PRAY』の囲み取材で、「まだまだ構成を上げていける」と。

 「あれは、もともと練習で『破滅(への使者)』を、最後のアクセルをアクセルトウ(3回転半―3回転トウループの連続ジャンプ)で練習していたんですよ。たまに、後半1発目のトウループを4―3(4回転トウループ―3回転トウループの連続ジャンプ)で練習したりもしていて。多分本番ではできないけれども、体力づくりとして、スキルアップとしてやっておくか、みたいな感じで練習はしていたんです。少し余裕もあったので、できればやりたいな、とは思っていたんですけど。宮城公演で、千秋楽だけ挑戦してみて、ちょっと、ほころびがあったので。もっと練習すればできるようになるかなっていう感じを込めてですかね」

 ―あれぐらいの高難易度の構成は、今季も?

 「やりたいですよね。ただ、表現したいことによって、全然違う構成にはなると思いますし。チャレンジすべき点が、4回転というものなのか、それとももっと違った体力的な難しさの挑戦なのか。あとは、表現的に挑戦をしているのかにもよって、見せ方も全然違うと思うんです。できれば、構成…上げられたらいいなとも思いつつ。でもそれがツアーとかになった時に、果たして本当に100%皆さんにいいものを届ける自信があるかみたいな。自分のことを過大評価していないかみたいなことは、常にバランスを考えながらやる必要があるかなとは思います」

 ―競技時代のアイスショーやエキシビションもそう、今ももちろんそう。なぜあんなに毎回全力を出し切れるのか?

 「逆に、全力を出せないことの方が気持ち悪いというか。人前で演技をするということ自体が、喜んでもらえるかもらえないかだし、もしかしたらその瞬間に、その方の人生が変わるきっかけに、ちょっとでもなるかもしれないですし。それが自分の演技になるとしたら、そんな手を抜いた演技は見せられないだろうっていうことは思っています」

 ―ずっとですか、それは。

 「ずっとですね。僕は多分、小さい頃からそうなんですけど、身体能力はそこそこ高いんだろうとは思うんですけど、全力を出さないと、そこそこのレベルにたどり着けなかったんだと思うんです。だから、そのリミッターを外して、姉(羽生さんがスケートを始めたきっかけは4歳上の姉の影響)に追いついたりとか、姉のレベルに達するために、自分が今できることよりもそれ以上の力を出さないと、そこまで行けなかったし。例えば、ノービス時代に、まだトリプルが跳べないとか、ダブルアクセルがちゃんと跳べないとかってなった時に、他の子たちは跳べているけど、僕は体が柔らかくて、筋力も少なくて、瞬発力的にもそんなに恵まれた体じゃないけれども、みんなよりもうまくなりたいというか、みんなに追いつきたいみたいなことを考えた時に、多分、全力をずっと出し続けていたんだと思うんですよね。人よりもリミッターを外して。負けたくなかったんで。褒められたかったし(笑い)。だから、リミッターを外すことが普通なんですよね、多分、小さい頃から。姉という存在がいて、常にその目標となる人物が、家の中にいるわけです。そうすると、全てのことに対してリミッターを外すんだろうなっていう感じですかね。それに今は責任感みたいなものがついてきたりとか。自分が羽生結弦であるがために、どこまで追求しきれるか、みたいなことがだんだん乗っかっていって、意味づけされていっていますけど。もともと小さい頃のことを言えば、多分、そういうことなのかなっていうのは思いますね」

 

 

―本番前の集中力の高め方は?

 「結局僕の場合は、理論的には、自分が熱くなれるとか、自分が楽しいと思える場面をつくれば、集中は自然とできると思っているんです。だから、声には出していないですけど、音楽に乗せたりとかするのが結局自分の集中のスイッチなんですかね。血がたぎるというか、脳のスイッチ自体が変わるみたいなのは、やっぱあります。曲が、音楽が、みたいな感じですかね」

 ―今も完全にアスリート。アスリートは「心技体」という言葉をよく使うが、羽生さんの中で心技体の位置付けは?

 「結局バランスを取れないと意味がないのかなっていうのは思います。どこかに突出してしまうと…例えば、心がすごく強くなってしまった時があったとしたら、心の大きさに対して技術が足りなかったりすると、多分その心自体も破滅していくし、のまれていってしまうというか。だから、心を表現するための技術が間違いなく必要ですし。その心と技術がたくさん広まっていったとしても、体力がなかったら、体自体がうまく機能していなかったりしたら、逆に技術と心にのまれていってしまうというか。結局、本当にレベルアップしたいんだったら、全部大きくしなきゃいけないっていうのは思いますね」

 ―アスリートとは。

 「今、本当にプロと言われる現場にいろいろいさせてもらって、自分が本当にこの人を尊敬できるなって思うような人たちと触れ合う機会が増えてきた中で思うのは、本当に超一流と自分が思う人間の人たちは、みんなアスリートなんだろうなって思うんですよ。例えば、NHKの番組で『プロフェッショナル』がありますけど、ああいう人たちも、もう本当にアスリートというか。ある一点に対して、目標だったり理想に対しての自分の時間の使い方というか、魂の使い方みたいなものが、アスリートなのかなっていうのは、自分の中では思っていますね。それをアスリートと呼ぶのかプロフェッショナルと呼ぶのかは分からないけれども、僕はそもそも競技時代からそういう性格でやってきたので。それを自分は、アスリートと呼びたいかなっていう感じはします」

 ―競技者時代の後半から「理想」という言葉をよく口にしてきた。そこは絶対に譲れないという決意表明のようにも聞こえる。

 「競技者時代の後半に『理想』を言い始めたのは、結局その、自分が…。ぶっちゃけた話をすると…自分がこういう演技がしたいと思っていて、でも、それがやっぱり評価につながらないみたいなものがずっとあったので。その時にもう、自分の理想を追いかけるっていうことにシフトしたんですよね」

 ―オータムクラシックあたりか。

 「一番番大きかったのは、オータムですかね。2019年、オータム…ですかね。あの時に、自分は自分がやりたいことをしっかりやって、点数どうのこうのではなくて、自分の目指している演技というものをしっかりやることが一番大切だ、みたいな感じに思い直すしかなかったというか。それがきっと、ファンの人たちも喜んでくださるみたいな感じで、イコールになったんですよね。そこから、今もその延長線上にいて。プロスケーターになったら余計それを追い求めて、やらないと。ファンの方々のために滑っているので。よりその理想はどんどん高くなっていくし、その理想を追い求めて、みたいなところはあります」

 ◆取材後記

 羽生さんはプロ転向から1年が過ぎた昨年、スポーツ報知にファンへのメッセージを寄せてくれた。「これからも常に理想を目指し、そして、理想を常に更新し続けていきます」とあった。まさにその通りの、この1年だったように思う。

 自分が進むべき道が、より明確になったのだろう。表情は明るく、充実感に満ちていた。3年目への意気込みを色紙に記してもらった。「『理想』を追い求めて」と書いてくれた。「ファンの方々のために滑っているので。よりその理想はどんどん高くなっていく」と言った。曲に溶け込んだ美しい滑り。高度な技術があってこそ成り立つ表現の幅。羽生さんが大切に育んできた「理想」のスケートを、これからも大切にしてほしい。(高木 恵)

 

羽生結弦さん「リミッターを外して」 積み上げてきた全力の舞 プロ転向2年インタビュー最終回(前編) - スポーツ報知 (hochi.news)

 

羽生結弦さん「理想はどんどん高く」 根幹にある「ファンのために」 プロ転向2年インタビュー最終回(後編) - スポーツ報知 (hochi.news)

 

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競技選手時代から、試合が好き、見ていてくれる人がいた方が集中できると話していた羽生さん。

 

彼の演技がこちらの心に届くのは、「見せたい,魅せたい、届けたい」という思いとメッセージがあるからなのだ。 自分のためにだけ、自分が競技に勝つためにだけ滑っている人の演技はこちらの心を打たない。

 

見てください、何か感じてください、少しでもあなたの人生に影響があったら嬉しい、という気持ちを持つ演者の心は、こちらにも届く。言い換えれば、自分の心をあけすけにしてこちらとコミュニケーションをとろうとしている演者に対して、こちらも心が開かれるというか。

 

しかし、それをするには、自分の心が表現したいことをそのまま行ってくれる身体が必要だ。その身体は、技術を持っている必要がある。柔軟性も…。 自分の心が感情が、そのまま身体表現となるための、身体能力が必要なのだ。

 

どんな芸術も、それを表現するには、技術が必要だ。

 

しかし、その前に表現したいモノがなくてはならない。人の心を打つだけの感性がなければ、表現するものを創り出すことはできないだろう。

 

心技体とはそういうことだ。

 

人並外れた感受性と、それを表す技術、そして身体能力とスタミナが必要だろう。

 

 

人間の生み出す芸術は、人の心に訴えかけるためになされる。作り手に対して、受け手がいてこそ初めて成立すると私は思っている。

 

なので、受け手を意識しないアートはマスターベーションに近い。つまり自己満足にすぎない。見てくれる人を意識してこそ、成立するパフォーミングアートだということを、羽生さんは十分に心得ている。 というか、そもそも子どものころから、彼は見てくれる人がいてこその演技だということを本能で知っていたのだ。

 

人が見ていてくれるからこそやる気がでる。自分の演技を褒めてほしい。子どものころのシンプルな気持ちは、そのまま大人になっても変わらないのだろう。

 

競技生活の中で感じたフラストレーションとジレンマは、今の彼には無いだろう。彼は今、自分の目指す理想と、彼のスケートを愛するファンの求めるものの間に乖離が無いことを知っているからだ。

 

そこには、競技の世界のようなポリティクスも力関係も忖度も筋書きもない。

 

純粋に彼のスケートを見たい、彼の表現する世界に浸りたい、美しいもの、芸術を見たい、という欲求を持つ人たちが集まる世界だ。

 

常にリミッターを外す。出し惜しみをしない。いつも本気で全力疾走だ。だから演技後にあれほど汗が出るのだ。 演技後、涼しい顔をして笑っている羽生さんを見たことがない。 これほど息を切らし、滝のように汗をかき、ホカホカ湯気がでている選手が他にいるだろうか。

 

「こんなに汗かいて…」と私が言うと、夫は「彼はそれだけのことをしているから。人にはできないことをしようとしている」と。

 

本当にそうだ。ジャンプ一つをとったって、直前まで難しいステップを組み込んでいる。それだけで、準備滑走をリンク半分もおこなって跳ぶ選手よりも数倍体力を使い、気力を使っている。

 

演技を芸術作品に高めるための努力をし続ける4分間なのである。その努力が正当に評価されなくなった競技時代後半、きっと彼は悩み続けただろう。

 

今の彼は、演技に集中し、練習だけをしていればいい立場とは違う。 自ら創作をし、ショーという興行をマネージし、スポンサー探しまでしなくてはならない。 すべてを一手に自分の責任に引き受けて(たとえご家族のサポートがあろうと)、荒海の中を航海しているのだ。

 

合間を縫って、複数の企業のPRにも関わり、インタビューを受ける。

 

まさに八面六臂の活躍だ。

 

あの華奢で色白の16歳が、ここまで大きな怪物に成長するとは…。

 

いや、当時から、13,14歳のころから、彼は常人ではないオーラを醸し出してはいた。

 

だから、私はファンになったのだ。 「この子の演技はなんだか違う。人を惹きつける力が尋常ではない」と。 栴檀は双葉より芳し、そんな言葉すら陳腐に感じてしまうほどのオーラだったのだ。

 

人に自分の思いを訴えたい、届けたい、なにか感じてほしい。そういう彼の欲求がほとばしる演技は、生まれながらのパフォーミングアーティストだという証明だった。見ているものは彼の感情に共鳴せざるを得なかったのだ。

 

競技生活に終止符を打っても、彼はその欲求に正直に生きている。自分の演技を見てほしい。伝えたいストーリー、テーマを表現したい。そのためには、人並外れた努力を日夜つづける覚悟があるのだ。

 

生粋のアスリート。

 

彼はアスリートとプロフェッショナルを同義に置いて語った。

 

プロフェショナルも、受け手の求めるものに敏感に反応し、相手の満足を求めて、人並外れた努力を惜しまず自己鍛錬を行って、その結果であるものを届けようとする。 求道者のように。

 

 

力が落ちて、現役を「引退」せざるを得なかった競技者が、かつての半分の技術や力を使ってレベルを落とした内容の演技をして見せる。そんなスケーターの集まりで、ジャンプ転倒もまあ当たり前、そんな様相の「アイスショー」に慣れていた観客は、羽生さんのプロ転向後のショーを見て度肝を抜かれたのだ。

 

「引退じゃない」といって、「プロはアマチュアより技術力が落ちる」というスケート界の常識を破って見せた羽生さんは、言葉の通りにまったく「引退」なんかしていない。

 

彼は、プロのアスリートとはこういうものだ、という矜持を見せたのだ。

 

ソロのショーはもちろんのこと、他の現役選手や、「引退」スケーターたちの集まるショーであっても、彼は一切手抜きも妥協もしない。 「アイスショーは、引退選手の同窓会でも、現役選手のプログラム練習場所でもないんだ」という彼の気迫あふれる手抜きをしない、全力の演技は、他のスケーターたちへのウェイクアップコールだろう。

 

他のエンタテイメントに比べ、チケット価格がかなり高いアイスショーである。顧客に対してプロの姿勢を見せる羽生さんは、若手の選手たちのお手本になるに違いない。

 

じきに30歳を迎える大人になった羽生さんが、今後ますます熟成した演技を見せてくれること、期待しかない。

 

願わくば、一回でもいいから、ソロショーの生演技が見たいんですけど…。これまでチケットが当たったことのない人、ショーを見ることがかなわなかった人優先でチケットを配布してほしいのだが、そんなことはできない相談なんだろうなあ。 せめて、一人で何公演も予約するのを遠慮してくれないかしら。そうすれば、まんべんなく多くの人にチケットが当たるんだけれどね。

 

なんどソロショーをしても、チケットゲットが宝くじ並みの羽生さん。これからも、そういう状況は続くんでしょうね…。