国家公務員の残業 | ロンドンつれづれ

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先日、NHKのクローズアップ現代を見ていたら、国家公務員の残業について取り上げていた。

 

私も長い人生のほとんどを政府系の仕事をしてきたし、ロンドンでも国家公務員の方たちと机を並べて仕事をしていた期間も長いが、その中で感じたのは、彼らは本当に長時間働かされている、ということだ。

 

例えば、イギリスの夕方5時や6時に日本の本庁から電話が入る。冬なら、夜中の2時や3時の時間帯だ。彼らは、霞が関でまだ働いているということだ。

 

例えば財務省だと、畳のある部屋があってふろ場まであると聞いたことがある。つまり、泊まり込んで働けということらしい。国会中など、政治家が読み上げる答弁などを書かされているのは、若手から中堅どころの公務員だ。何日も、いや、何週間も、夜も寝ないで原稿を書かされているのだろう。

 

例えば、大使館に勤務している公務員に話を聴くと、奥さんが幼い子どもに「パパは?」と聞くと、目の前にお父さんが立っていても、部屋に置いてある彼の写真を指差すのだそうだ。そのぐらい、「ほうら、お父さんよ」といわれると、実物よりも写真の方が子どもにとってはなじみが深いと言えよう。

 

そういう大使館員は、「でも今はましなんです。少なくとも、夜10時半11時には家に帰れますから。」という。日本にいた時は、それこそ、1時、2時、3時まで働き、タクシーで八王子まで帰って数時間寝て、また朝出勤していた、というのである。過労死レベルだ。

 

日本では公務員叩きが横行しており、すぐに「公務員はいいよな」などというが、一部の地方公務員を除けば、特に中央官庁の公務員の仕事は激務を極めているように思う。確かに私の知り合いの市役所勤めの人などは、4時45分ぐらいから机の上を綺麗に片付け、ハンドバッグを置いて、時計の長針が12のところに行くのを待って、5時になったとたんに「お先に失礼します!」といって職場を後にするといっていた。

 

そして大阪の地方自治体などは、靴や背広まで提供していた時代もあった、という。今はそんなことはないだろうが。しかし、今でも、地方公務員の給料や退職金は、国家公務員より優遇されているところが多いんじゃないのか。友人の息子も、民営企業をあちこち移動した挙句、頑張って地方公務員の試験を受けて合格、今都内の区役所に配属されているが、「仕事ってこんなに楽なんだ」と口にしているそうである。めったに残業もなく、「今まで、理不尽なことで怒られたり、頭殴られたりしていたから」というのである。民間企業ではいまだにハラスメントが横行するところがあるらしい。

 

もちろん、地方公務員だって楽なところばかりではないだろうが、国家公務員は確かに本当に長時間労働だということは、はたで見ていても気の毒なくらいだった。あんなにこき使って疲れ果てていれば、どんなに頭が良くて難しい試験に合格して中央省庁に入っても、バーンアウトしてしまうのではないか。番組では今国家公務員がうつ病などになって退職してしまう、という問題も取り上げていた。

 

「クロ現」では、二人のスピーカーがでて意見を言っていたが、日本の国家公務員は政治家に使い走りのようにこき使われているというのも、おかしな話だ。番組によると議員は自分が楽をするために、「電話一本で官僚は10分でかけつけるものだ」と考えているそうである。政治家と官僚の関係にひずみがあるのではないか。

 

京都大学の待鳥聡史教授によると、自然災害や伝染病対策など国の仕事が増えているのに、国家公務員の数は減らし続けてきている、という。そして一般社会も1980年代の官僚の不祥事の後、「官僚の仕事には無駄が多い」という固定観念に縛られているという。実際の仕事の量と、官僚の数のミスマッチが起きて、一人一人の負担が増えている。 さらに、官僚は人事院の規則で残業時間も決められているが、実際のところ一定時間を超えても罰則がないそうで、そこは民間企業のように労働者が守られていない、と。(もっとも民間企業だってウチの息子のように残業した時間を全部書くな、と言われているところもある)

 

かつてほど議員に向かって思い切った発言を官僚はしない、と野田聖子さんは言う。「官僚は黙って言うことを聞けばいい」と政治家が言うのは、それは違う、と。政治家の仕事の下請けをしているのが官僚だと思っているのか。 つまり決定権を持っているのが政治家なので逆らえない、ということだろうか。これも、内閣府、つまり政治家に人事権を持たせているからではないか。

 

待鳥教授によると、かつては、政治家と官僚は役割分担・協調していたが、高度経済成長が終わったあと、政治家主導で官僚が従うというモデルが推奨されるようになった。今一度、行政の仕事、官僚の仕事とは何かを整理し、官僚が政治家と対等に議論・協働していくモデルを、政治家も社会も意識して作っていく必要がある、と。

 

 

どんなに頭の良い人間だって、一人、1日24時間というのは変わらない。国会がズルズルと長引き、的を得ない質問がどんどん出されて、それに答えるために未明まで働かされている若い官僚たち。彼らには、子どもがいても家庭生活は持てないのだ。週末は疲れ果てて寝込んでいるんじゃないか。あるいは、週末だって風呂敷残業で働いてるんじゃないか。

 

私の知る限りでも、国家公務員1種に合格、財務省や外務省、経産省などに入省するエリートが、10年以内に辞めていくケースを何件も見ている。日本のトップ10%の優秀な人材を、うまく生かせていない国、日本。これでは、若い優秀な人々はますます官僚になろうとしなくなるだろう。

 

そうなれば、頭が悪くて腹黒い政治家が、できの悪い官僚をこき使って国家運営をしていくという未来が見えてくるではないか。 なんて恐ろしいんだろう。

 

番組では最後に、新人の官僚たちが、高い志を述べて終わった。彼・彼女らが、失望して職場を早々に立ち去らないよう、政治家だけではなく私たち一般社会も、日本の国家公務員たちの働き方に興味を持ち、彼らが心身ともに健康に、自分の能力の最大を発揮して国のために働くことができるよう、理解と努力をする必要があるのではないか。

 

ところで、待鳥先生には3月にロンドンで「ポリティカル・リフォーム」についてお話をしていただいた。つまり、「政治の改革」の話である。その時のビデオも以下のサイトにあるので興味のおありの方はどうぞご覧ください。

 

Effect of political reforms on more proactive Japanese external policies - 大和基金 (dajf.org.uk)