やっぱり頭がいい | ロンドンつれづれ

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まずは、対話の#4を読んでみてください…。

 

今回は、「人格」の変遷のお話。

 

 

 

読んで感じるのは、やっぱり頭がいいんだな、羽生さんは、ということ。

 

ちゃんと糸井さんの「Mother2」を使って、話を組み立ててる。

対話相手に対するサービス精神だけじゃない。

 

説得力のある話に持っていけるところが、賢い。

 

 

『MOTHER2』で言ったら、
ネスって、ホームシックになりますよね。

でも、どんどん強くなって、
ある程度以上のレベルになると、
ホームシックにならなくなるじゃないですか。
あれって人間の成長をすごく丁寧に
描写してるなってぼくは思っていて。
がむしゃらに前を向いて進んでいくところから、
仲間が増えて、まわりの人と関わりができて、
自分がそのなかにいるからこそ戦える、
っていうのがわかってくると、
きっと主人公の人格は
変わっていくんだろうなって思いますね。

 

そして糸井さんが名刀と妖刀の話を振る。

 

たしかに、強くなることだけを最優先にしていくと、
疎かになることが増えていくだろうな
っていうのは感じます。

 

ある時点から、
それらを経験値としてしか感じなくなる。
そういう歪みみたいなものって、
たぶん、現実の世界でも
起こり得ることなんだろうなって思います。
たとえば、練習して、ある大会で1位になれた。
最初はうれしいけど、どんどんうまくなって、
結果が出ることが当たり前になってくると、
まわりとの距離ができてしまうんですよね。

 

きっと強さだけじゃ、
人は感動できないんだなって。

 

そして、その解釈を自分にも当てはめる。

 

それは、震災のころの応援が、
ひとりひとりのストーリーとともにあって、
数字で数えられるようなものじゃないっていうことと
重なるような気がするんですよね。
そういうふうに自分が感じられるのも、
『MOTHER2』のラストバトルで、
真っ暗なテレビの画面と自分が向き合って、
そこに自分自身が映るような経験を
小さいころにさせてもらったからかなって。

 

ああ、わかる。

その真っ暗な画面を、糸井さんが意識して作ったかどうかはわからないけれども、羽生少年は、その黒い画面に映っている自分の顔を眺めて、何かを感じていたんだな、と。

 

 

そして、以下の言葉を読むと、糸井さんも分かってらっしゃる。

 

その芸術点というのは、なんだろうなぁ、
骨組みや技術がどれだけうまくできてても、
表現できるとは限らないもので、
ぼくはゲームに限らずなにをつくるにしても、
骨組みのまわりに
どんなおもしろい肉付けができるか、
っていうことにたのしみを感じるんだけど、
羽生さんがやってらっしゃるのも、
どれだけ速いかでも、どれだけ高いかでもなく、
「人がいいなと思うこと」じゃないですか。
それはやっぱり、ただ強くなることとは、
ぜんぜん違いますよね。

 

 

良き対談相手を得ると、羽生さんも心の中の言葉を引き出してもらえるんじゃないだろうか。その時に、臆せずに正直な自分の声をちゃんと心の中から拾い出して口にするところが、心地良い。

 

糸井さんのような大人が、「対談してみよう」と思う逸材、羽生さん。

 

そしてその期待を裏切らないところが、一流を呼び寄せる羽生さんの魅力なんだろう。