ほぼ日刊2-3 | ロンドンつれづれ

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気が向いた時に、面白いことがあったらつづっていく、なまけものブログです。
イギリス、スケートに興味のある方、お立ち寄りください。(記事中の写真の無断転載はご遠慮ください)

 

糸井さんと羽生さんの対談の2-3回目。

 

 

僕の場合、「なにかやったらなんでもできる」と思ってる。

 

ーという言葉。 この自分を信じる心の強さは、勝者の持つべきものだろう。

「どうせできない」という言葉を口にする人とは、立っている場所がそもそも違う。

 

これは、傲慢なんかじゃない。 Self-trustだ。 自分に対する信頼だ。 自分にはその力がある、自分にはやり遂げる強さがある。

 

やればきっとできるという、根拠のない自信は、実は成功するためにはとても大切なものだ。

 

 

日本人は「謙遜」する人を好む傾向があるが、それは相手に謙遜をさせて自分が安心したいからじゃないのかな?

 

あるいは、謙遜していると見せて、相手からの攻撃をなんとかかわそうとしているのではないかな?

 

私は昔から、過剰に謙遜する人は信用しないことにしている。 なんだか嫌らしい感じがするからだ…。

 

「この人みたいになりたい」って思ったときの
ミラーニューロンが強いというか、
真似する力がおそらくものすごく強くて。

 

真似してるうちに、だんだんそれが
自分の技術として体得されていって、
より上手くなっていく、というスパイラルが
ずっと続いてたのかなと。

 

ーこれも、正直な言葉だ。羽生君らしい。 彼は、必要以上の謙遜をしない。 正直だからだ。

 

目で見たことを、すぐにやってみることができる人は、そう多くはない。ダンサーやスケーターでこれができる人は、大変に恵まれていると思う。これこそが才能だからだ。 

 

羽生さんはまだ若い現役選手だったころ、車で移動する最中でも、世界トップ選手のジャンプなどの動画を、食い入るように見ていた。 見たものを、自分の動きとして再現することができること。 それは、天才演奏家が、耳で聞いた音楽を再現してプレイして見せるのと同じことだろう。

 

やはり、天才。

 

「負け」とか、「できない」っていう
概念が存在してない感じでしたね、
ちっちゃいころはとくに。

 

ーこれも大事だ。私のコーチも常に言い続ける。「できない」って言うな。自分の耳が聞いている。自分の脳がそう思ってしまう。  つまり、できないと思ってしまえば、できなくなるということだ。 練習すれば必ずできるようになる。自分ならできる。 そう思い込むことは、アスリートでなくてもとても大事だ。

 

できない、と言ってしまえばできない自分を許してしまうだろう。 無駄に謙遜することは、つまりそういうことだ。 できなかったときのために、今から言い訳をしているということだろう。

 

トップ選手は自分にそれを許さないのだ。 これは、無意識の覚悟がなければできないだろう。

 

「無駄な意味を削ぎ落とす作業」を
ずっと続けているという感覚があります。

 

ー大人になれば、色んなことを考えざるを得ない。 シンプルな物事に、色んな意味をつけてしまう。

 

ジャンプもスピンも、失敗すると「今、考えすぎたでしょう」とコーチに言われる。「考えるな」と。 筋肉記憶を使え、というのである。 しかし、筋肉が正しい動きを覚えるには、何百回の練習と成功体験が必要だろうか。 考えない。 それも簡単なことではないのだ。

 

 

3.11という、普通に生きていたら世界中のほとんどの人が体験することも無いような災害を体験してしまった。 そして、まるで被災地の星のようにメディアに扱われ、被災者の願いを背負って試合に出なければならないように感じてしまった。

 

それを思い、なんで僕なんかが被災地の想いを背負わなければならないんだろう、重い…という言葉を口にしていたこともあったことを覚えている。当時16才。インタビューで、「金メダルを取って、強くなって、被災地のためになりたい。きっと10年経ってもまだ復興はできていないと思うから」と口にしたこともあった。揺れる気持ちがあったのだろう。

 

そういう思いがあったから、ソチで金メダルを取ったった後でも「無力感がある」という言葉も口にした。

 

まじめで誠実なのだろうと思う。口に出した言葉は、実行してきた青年なのだ。 有言実行の人、そうこのブログで書いたこともあった。いや、被災地に貢献ということではない、アスリートとしての結果についてだ。 しかし、おそらく彼は、その他のことも口に出したことは実行したいと思う青年なのだろう。

 

被災地は、もちろん、仙台出身の彼の活躍に励まされたし、彼の金メダルを見せてもらって泣いて喜んだお年寄りたちもいた。

 

「期待を力に変えることができる人」とこのブログでも書いたことがある。 応援や期待を重荷と思ったこともあったかもしれない少年が、人々の期待を自分の強さに変えることのできる青年に成長したのだな、と思った。

 

その転機になったのが、2012年、ニースでの世界選手権だ、というのである。

 

私が羽生選手に注目し彼の応援をし始めたのは、2009年のジュニアワールドで12位になったときだ。イギリスのユーロスポーツで、放映をしたのである。初めて彼の演技を見て、はっとした。「こんな演技をするジュニアがいるのだ」と目が離せなかった。 

 

当時の解説の、サイモン・リード氏が「僕が将来に賭けるとしたら、この子。ユヅル・ハニュウ!」と転倒したりしている演技中に言ったのである。 

 

人の目をとらえて離さない何かが当時からあった。

 

If you have to pick someone for the future, my money is on Yuzuru Hanyu...!

 

 

この翌年のジュニアワールドで、彼はすでに優勝した。サイモンの予言が当たったのだ。

 

 

 

そして2年後。

 

2012年、ニースのワールド。17才、シニアのワールドに初出場で3位に。

 

このニースで羽生選手に「落ちた」というファンは多いのではないだろうか。

 

転倒もあったが、それすらも「振付け」の一部ではないかというぐらい、情熱のこもった演技に、フランスの観客は館内が割れるばかりの声援でシニアデビューした少年を応援したのである。

 

当時のコーチ、阿部奈々美先生の素晴らしいロミオとジュリエットの振り付けは、17歳の初々しい羽生選手にぴったりだった。

 

私はこの時仕事が忙しすぎて現地で観戦はできなかったが、同じ2012年10月のフィンランディア杯には駆けつけて、初めて現地で羽生選手を応援したのである。夫とともに。まだ日本から大勢のファンが押しかけるということもなく、彼とも、コーチのオーサー氏とも言葉を交わすことができたのは、今から思えばラッキーだった。

 

当時フィン杯は、日本で放映されることもなく、日本にいた羽生ファンたちにフィン杯レポートを頼まれて、皆に回したことを覚えている。

 

(2012年フィン杯、夫撮影)

 

当時、羽生応援ブログを書いていた皆さんは、(アンチや過激羽生ファンの攻撃もあって)もうブログを閉じてしまった方たちも多くて、いまだに書いているのは私ぐらいかもしれない。

 

下は、ニースのロミジュリ。 当時のファンの皆さんのご希望にこたえて、2013年5月に私が翻訳し字幕をつけたものです。 347万人の閲覧って、すごいと思う。

 

 

 

この後、正月に日本に帰った時に、名古屋のガイシアリーナで、ジャパンスーパーチャレンジという紅組と青組に分かれた対抗戦みたいなアイスショーを見に行って、日本の羽生ファンと一緒に会ったりしたことも懐かしいですね。当時は、イギリスからチケットが買えたのだ。

 

転倒した後の照れたような笑顔が、あどけなくて可愛いですね。

 

 

 

こうしてみると、ずいぶんと長い間、羽生選手の応援をさせていただき、楽しい時間を過ごさせてもらいました。

 

 

糸井さんとの対談でニースのワールドについて、以下のように話す羽生さん。

 

最終的に、そのシーズンのフランス大会で、
一番いい演技をすることができたんです。
そのときに、やっと、みなさんが
応援してくださっていることを
本当の意味で感じることができて、
その声に背中を押してもらって、
その力で自分はスケートができているんだ、
ということを実感できたんです。

 

............

 

まわりにはちゃんと応援してくださる方々がいて、
その応援してくださる方々の期待とか、
自分からの視点で言えば
プレッシャーだったりとか、重さだったりとか、
そういったものが、
自分を一層強くしてくれるための
原動力になってるんだということを、
それ以来、考えられるようになりましたね。

 

4回転も跳べるようになった、すこしだけ自信過剰になった自分に、お母様から、

 

「いや、それは違う」って喝を入れられて。
捻挫をして、そこから4回転が跳べるまでに、
どれだけの方が支えてくださったのか、
どれだけの方が応援してくださったのか、
それを当然のことのように考えちゃだめだ、と

 

諭されたという。

 

いろんな人たちの支えがぜんぶ
自分の演技につながっているんだって思えて。
いつも応援してくださるファンの方々だったりとか、
被災地から応援してくださってる方々の声を思い出して、
感謝しながらフリーを滑ったんですね。
そしたら結果としてすごくいい演技ができた。
そこがぼくの、いろんなもの背負うことについての
ターニングポイントだったのかなと思います。

 

羽生さんは、試合に臨む自分の気構えや、自分の演技、技術については、無駄な謙遜はしない。できることはできると明言し、そして有言実行をしてきた。 実に明快でスカッとするのだ。

 

しかし、試合を終え、リンクを一歩降りて私たちファンやメディアに向き合うときは、大変に謙虚な部分を見せてくれるのである。しかしそれも、このように、いつもそばで支えていた母上の言葉というか、羽生家の躾の中にしっかりした芯があるからだろうと思うのだ。自分を支え続けてくれているご家族の言葉も、謙虚に聴く耳をもつ。

 

 

私が一番最初に現地観戦したフィンランドの地元紙は、優勝した羽生選手が現地ボランティアと一緒になって、氷の穴を埋めている写真を大きく掲載して、Graceful on and off ice(氷の上の演技も、試合の後でも、優雅な態度)と言って褒めた。

 

(2012年フィン杯で。夫撮影)

 

普通日本では、リンクを借りて練習した選手なら、だれでもザンボーニタイムにはバケツを持って穴埋めをするものだから、羽生選手のこの行いはまったく自然なことだった。 いい子ぶってやったわけではない。 

 

しかし、国際競技で優勝したチャンピオンが自ら氷の穴を埋めていたのは、フィンランドでは驚きをもって受け止められたのだろう。そういえば、イギリスの選手も、ザンボーニの前に穴埋めはしないので、日本に独特の習慣かもしれない。

 

リンクに対しても、応援してくれる人に対しても、常に周りで自分を支えてくれる人に対しても、感謝の気持ちを忘れず、きちんと言葉に出して伝えること。日本の男性には珍しいが、羽生さんはそれができる人なんだろうと思う。

 

 

16才の時の彼の言葉にも感心したが、29歳に成人した彼の言葉には、また、ほほう、と思わされることが多いのである。

 

子どものころと違い、大人になれば、周りの嫉妬や風当たりも強くなるだろうが、ここまでまっすぐに育ってきた羽生さんである。このまま前を向いたまま、また前人未到の分野に「なにかやったら、なんでもできるだろう」と突き進んでいくのだろうと思う。

 

 

いろんなことを考えすぎないで、ますます成功を積み重ねて、新たな世界を切り開いてください。きっと後に続こうという人たちが現れますから。

 

どんな分野でも、開拓者は一番強い風を受けなくてはならないものなんです。でも応援する人たちは、星の数ほどいますよ。

 

健康にだけは気を付けて。