子どもに寄り添う | ロンドンつれづれ

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幼児のころ、慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に預けられた少年が、成長して子ども食堂をオープン。子どもに寄り添って、話を聞きたいという青年になった。

 

慈恵病院に設置された「こうのとりのゆりかご」

 

 

彼を里親として支え続け、養子縁組を行ったというご夫婦のあたたかい笑顔とまっすぐに育った青年を見ると、親と子のあいだには血のつながりよりも大切なものがあるということが、言葉がなくても理解できる。

 

「こうのとりのゆりかご」には賛否両論あるが、子どもが養育能力のない実親のもとで育つよりも、子どもを愛していつくしんで育ててくれる大人の手に任せる方が、子どもの幸せにつながるだろうということがこの動画をみてもわかる。

 

 

 

反対があろうがどうしようが、「こうのとりのゆりかご」を開き、続けてきてくれた慈恵病院の関係者の方々には頭の下がる思いがする。

 

政治に興味があり、「社会を変えていきたい」という意欲を持ち、大学受験に向かうという青年がとても頼もしい。

 

大学にも合格し、地域での「子ども食堂」のボランティアも、集まってくる子どもたちも増えてきた、ということだ。

 

こういう活動は、続けることが大切だ。 何年も継続した支援が、ひとりひとりの子どもの成長に寄り添うからだ。

 

「こうのとりのゆりかご」から、里親へと委託された子どもが、ここまで立派な目標を持った青年に成長している。 

 

 

慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」を養親と訪れる青年。

 

「あったかいです。守られている感じというか。扉一枚で人生が変わるというか。それほど重要なものを持っている扉なのかなあ、と思います」

 

 

「こうのとりのゆりかご」があった方がいい、いや、子捨てを増長する、と賛否両論あるかもしれないが、こうやってこの扉の内側から人生が開いていった青年の言葉をきけば、おのずと答えはわかるだろう。

 

育てられない子を殺してしまう親や、虐待したり育児放棄をしたりする親がいくらでもいる世の中である。

 

そういう中で、「こうのとりのゆりかご」に預けられたこの青年は、ラッキーだったと言えるかもしれないのだ。

 

聡明そうなこの青年にはもうわかっているだろう。

 

それでも、自分の生い立ちを人に話すことは躊躇していた、やっと告白ができるというのだ。

 

日本社会の中で、自分の幼いころの事情や境遇が、差別の対象になりかねないことを危惧しているとしたら、実に情けない社会ではないか…。

 

今、この青年には、そういうものと闘う覚悟も、そのような社会を変えていく勇気も備わったからこそ、こうやってテレビでの告白をする決心もついたのだろう。

 

「ゆりかごの子どもたちだけではなく、すべての子どもたちが不自由なく幸せになれる社会になれればなあ、ってそういう風に思います」

 

 

よそ様の家庭の中のことはわからない。

 

今も、すぐ隣の家でも、子どもたちが食べるものも足りないような状況が起きている可能性はあるのだ。

 

子どもは社会の大人全員が、責任を持って育てることができるようになれば、悲しい思い、寂しい思い、ひもじい思いをする子どもの数はうんと減るだろう。

 

親だけが責任を持つのではなく、子どもの幸せを、すべての大人が責任を持って考えることができるようになれば。

 

色々な「他人」の手に助けられて今の人生を生きているこの青年は、きっとそう思っているに違いない。