ストローマン論法 | ロンドンつれづれ

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気が向いた時に、面白いことがあったらつづっていく、なまけものブログです。
イギリス、スケートに興味のある方、お立ち寄りください。(記事中の写真の無断転載はご遠慮ください)

 

私がこのブログでいろいろ書くと、コメントを色々いただく。

 

それはありがたいのだが、中には勝手にリブログをしたうえ、私が言ってもいないことを自分のブログに書いてそれに反論したり、賛同したりしている人がいるが、本当に止めてもらいたい。中には誹謗中傷のような内容もあるので迷惑きわまりない。

 

この人は全く無害な記事を書いている他のブロガーさんにも執拗にストーカー的に張り付いて中傷記事を書いており、あまり目に余るようなら、しかるべき手段を取ろうと思っている。

 

 

実際、こちらが書いた覚えのないことに反論されると、「え、いったいどの部分を読んでそう思ったのだろう?」と大変に混乱するが、それはこちらのせいではなくて、反論している人が曲解、誤解、あるいは故意にゆがめているのだろう。

 

また、こちらの言いたいことの主旨とはかなりずれたところに噛みついてきて反論を試みようという人たちがいるが、これまた相手をしているのに大変に疲れるのである。

 

そういうのをストローマン論法というらしい。

 

英語では以下のように説明して例を出している。

 

A straw man argument is a distorted (and weaker) version of another person's argument that can easily be refuted.  e.g., when a teacher proposes that the class spend more time on math exercises, a parent complains that the teacher doesn't care about reading and writing. (ストローマン論法とは、相手の議論を歪曲して反論することである。例えば、教師が数学の練習問題にもっと時間を割くべきだと言うと、親がそれじゃ読み書きはどうでもいいんですか、と文句をいうことなど)

 

ストローマン論法は、logical fallacy, つまり論理的誤謬とされている。相手の議論をより弱い議論にすり替えて、言い負かそうというものである。

 

 

 

 

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ストローマン論法は、論点のすり替えの一種であり、議論において、相手の考え・意見を歪めて引用し、その歪められた主張に対して反論するという間違っている論法のこと、あるいはその歪められた架空の主張そのものを指す。


あるいは、相手が問題にもしていない論点をでっち上げ、それに対して攻撃すること

 

つまり、相手の発言に含まれている非本質的な(些末な)部分を誇張したり意図的に曲解したりして歪めた上でその言説を否定・反論するという論駁や批判の方法をいう。

 

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A: 「小学4年生のうちから学習塾に行かせるなんて反対だね」
B: 「なぜだい?」
A: 「4年生なんて、受験勉強なんてするよりも、もっと大事なものを学ぶことが大事じゃないのかな」
B: 「じゃあ君は、子どもの学習の機会を奪うことが正しいというのか?そして、その結果、子どもの人生が大きく歪められることになっても仕方ないという意見なんだな。そんな意見には賛成できない」
A: 「・・・」

 

これは、Bがストローマン論法で反論している。Aが言ってもいないことに反論しているのだ。

 

ストローマン論法は、無意識になされることもあれば、故意になされることもある。

 

(参考:ストローマンとは?【意味や使い方を事例でわかりやすく理解】―そんな話だっけ | GLOBIS 知見録×学び放題


 

 

 

ブログを書いていると、この手のコメントが付くことが結構あるのだ。書いていることの本質、主旨を歪曲したり、それを無視してどうでも良い点を取り上げて噛みついてくる。

 

無視しようかなとも思うが、一応載せて反論した方がいいかなと思うので、よほど支離滅裂でない限りはそうすることにしている。

 

そうすると、たいていはかなり感情的になって、「偉そうだ」とか「自分は学があると思っているだろう」とか、「何様のつもり」とか、「侮辱しているのか」といった人格攻撃のたぐいのことを言ってくる。

 

この段階で、「あ、やっぱりこの人とは、まともな議論はできないな」と思うので、あきらめるのである。なぜなら、時間とエネルギーの無駄になるだけからだ。

 

こんな個人のブログにわざわざやってきて、自分の考えと違う人の記事にコメントを残すのなら、主旨を見抜いて、双方が影響しあえるような内容を残してほしいものだ。 たとえ反対の意見であったとしても、お互いの見識が少しでも広がるようなやり取りでなければ、コミュニケーションの意味は無いと考えている。

 

もっとも、自分の考えの方が正しい、お前は間違っているから「こういうことは書くな」と最初から言ってくる人には、そういった建設的な考え方は少ないことがほとんどだが…。

 

ストローマン論法で執拗に反論してくる人たちの本当の意図は、こちらの時間とエネルギーを浪費させて、やる気を無くさせるためのものかもしれない。そうだとしたら、いちいち相手にしていたら相手の思うつぼかもしれないな、とふと思ったのである…。

 

時々、こういう手合いを相手にするのが面倒くさくなって、もうブログなんかやめようかなと思うこともあるが、毎日のアクセスの数をみると、これだけ多くの皆さんがとりあえず読もうと思ってきてくれるのだから、たとえ変な反論がつこうと、「いいね」の数が少なかろうと、もうちょっと続けて書いてみようかな、とも思うのである。

 

私の読者さんの中には、病院から一歩も出られない人や、高齢で施設に入っている方などもいて、旅の写真や猫の話を楽しみにしていてくれる人もいる。難しい話を書くと一気にアクセスも下がるし「いいね」もつかないが、そういう話も真剣に読んでくれている人もいる。そういう声を聞くと、また書こうかなと励みにもなる。

 

が、一文の金にもならないものを毎日せっせと書いて嫌な思いをするならと、ブログを辞めてしまった人たちの気持ちが分かる時もあるのである...。