美しい顔 | ロンドンつれづれ

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なにやら、羽生選手が「アジアで一番美しい顔」とかいうランキングにノミネートされたそうである。

 

そういえば、去年もそんな話を聞いたような。 

 

羽生君自身はどう感じているのかな、こういうの。

 

確か、水原希子さんはなにかコメント出してたぞ。 勝手にこういうのに選ばれて…って。

 

羽生君もアスリートだし、芸能人じゃないし、選ばれても別に嬉しくもないんだろうけれど。

 

僕はアイドルじゃないんで、って度々口にしているし。

 

でも、確かに、美しい。 

 

 

 

英語では、prettyと言われる場合と、beautifulと言われる場合がある。 日本語にするとどちらも美しい、あるいは綺麗。 でも、prettyは、表面的な見た目だけの綺麗さ。 beautifulは、ちゃんと内面の伴う美しさ。 beautifulは、例えば年取った女性にも使えるけれど、prettyは使えない。

 

 

羽生君が美しいというのであれば、それはbeautifulの方の「美」、だろう。

 

見てくれだけじゃない。 彼の持つ才能、人格、品性、そう言ったものすべてがトータルで、「美しい」と人から判断されるのだろう。

 

だから、このアジアの100人にランキングされている他の人たちを見ると、ちょっとここに羽生君を入れるのはどうかなあ、とも思うのである。 どちらかというと、prettyの人たちをメインに選んでいるような気がするから…。  そもそも、タイトルが「美しい顔」である。  

 

羽生君の美は、そういう軽い美ではない、と言う風に思っている。 

彼が美しいのは、演技が伴い、作品としての美、だと思っているから。

 

 

リンクでは、練習着でも、その姿勢が美しい、動きが美しい。

 

和服を着れば、凛とした雰囲気とその所作が美しい。

 

演技となれば、天から何かが降りてきたように、作品と一体化して美しい。

 

その美は、表面的なものではなく、彼のフィギュアスケーターとしての才能があってこその美なのだ。 そして彼のこれまでの生き方を知っている人にとって、さらに深まるタイプの美、なのだ。 

 

下は、中国のシチズンのCMの写真だ。

 

 

 

 

彼のこういうポスターを見て美しいと思う人は、彼が誰だか知っているはずだ。 

 

彼のスケーターとしての才能だけでなく、彼の生きざまを尊敬している人たちが、彼の美を他のプリティ・フェイスからは区別して認めている、そういう「美」なのだ、と私は思う。

 

女性モデルや俳優などと違い、彼には濃いメイクアップは必要ない。 そのままでいい。

 

築き上げてきたフィギュアスケーターとしての地位、その自信、そして自分の生き方に対するブレない信念が、その目に表れて、人の心を一瞬でつかむ魅力となっている。 人はそれを「美」だと判断するのだろう。 

 

こういったランキングにノミネートされることにことさら文句をつける気はないが、彼の美は、こういう表面的な美のコンテストにはふさわしくない、と感じてしまうのである…。

 

フィギュアスケーター、羽生結弦が一番美しく昇華し人の目を奪うのは、やはりリンクの上で演技をしている時なのである。