リミッターをはずす | ロンドンつれづれ

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脳科学者の茂木健一郎氏が面白いことを書いていた。
 
先ごろのラグビー世界選手権で、日本代表が打ち破ったのは「心の壁」だというのである。 今回の大会で、日本チームは目に見えない「限界」、リミットを打ち破った。 いかに、脳の「リミッター」を外すかということを彼らの戦いぶりから学んだ、というのである。 つまり、自分で自分の限界を決めている人が多いというのである。
 
子供を育ててみるとわかるけれど、子供に色々教えようとすると、それが勉強でも水泳でも、自転車の乗り方でも跳び箱でも、子供は案外すぐに、「できない~!」というのである。 ウチの息子など、本当にすぐに「できない」というので、なんど「やってみなくちゃわからないでしょ!」と言ったことかわからない。
 
できないからやらないというのを、そうですか、とほったらかしておくと本当になにもやろうとしないので、なだめたりすかしたりして色々練習させて、自分にもできる、という体験を増やしていくことで少しでも積極的になればよい、と考えていたのだ。息子の場合、私がやっていることは自分もやってみようとするので、スキーも水泳も少林寺拳法も、息子より先に私がやってみたものである。 子供たちのキャンプも企画して大勢連れて行ったり、勉強以外のことは結構熱心に一緒にやる親だったのだ。
 
ちなみに、人間は持って生まれた性格は実際のところあまり変わらないので、いまだにスケートの練習に熱心な私をみて、「なんでそんなに頑張るの?」と聞く息子なのである。「だってできるようになりたいから」というと、「どうしてできるようになりたいの?」とからかうのである。 「できた方が楽しいから!」というと、ヘラヘラ笑っているのである。
 
しかし、彼は私とは別のところでは、きっと自分の限界を超えて頑張っているのだろう。彼の仕事ぶりを見ていると、私ならとっくに「バカバカしい、やーめた!」となるだろうな、と思うぐらい頑張っている。彼の場合、その頑張りは、自分がやりたいからというよりは、仕事に対する責任感と強く結びついているように見えるのだが。
 
 
茂木さんは、アスリートは「体の限界よりも脳の限界のほうが先にくる」という人が多いという。身体の潜在能力としてはまだいけるのに、その前に、脳が制約をかけてしまっているというのだ。 なぜ脳のリミッターがあるのか、それは1つの「安全策」なのだと説明することができる。潜在能力を十分に発揮することは素晴らしいことのようで怖い。脳がバランスを崩したり、思わぬことが起こったりするかもしれない。

何よりも、心理的には「できない自分」が「できる自分」になることに不安である。人間には、「できる自分」になってしまうことから逃げる傾向があるというのだ。 自分の使命を果たすことから逃げようとする予言者、ヨナにちなんで、自分の能力をフルに発揮することを恐れる傾向を「ヨナ・コンプレックス」というそうである。

「できない自分」でいることは「安定」している。 「できる自分」になってしまうと、自分や環境が変わり「不安定」になるというのである。 現状維持をしようとする傾向が我々にはあるというのである。

ラグビーの日本代表が、「強豪国には勝てない」という固定観念にとらわれて脳のリミッターをかけていれば、あの快挙はなかった。「できない自分」から「できる自分」に変わるには、努力に裏付けられた自信がないとダメだ。 積み上げた時間、重ねた努力は裏切らない、そういう自信があってこそ脳のリミッターもはずれるのだ、と茂木さんは言う。
 
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スケートの練習をしていても、怖いことはやりたくないという気持ちがでることがある。 やってみたら転倒してひどく痛い目にあったりすると、次に同じことを練習するのはおっかなびっくりである。 へっぴり腰でやるから、ますます転倒する。 できること、得意なことばかり練習するから、できないことはなかなかうまくならない。
 
 
ジャンプでも motering into a jump without hesitation, 「ジャンプに躊躇なく入っていく」とよく解説が言うが、かなりのスピードでジャンプにはいり、タイミングを逸らさずに跳んだ時は、高さも飛距離もあり、軸もまっすぐなジャンプになることが多い。 それに比べて、一回手ひどく失敗して痛い転び方をした後の選手のジャンプは、「躊躇」があるように見える。 要するに自信を失い、脳がリミッターをかけるのだろう。 そしてその一瞬の躊躇がさらなる失敗を呼ぶのである。
 
冒頭の大きなジャンプを失敗するとそれが後の演技に響くのはそういうことなんじゃないか、と思うのである。 じっさい、氷の上で、ナイフのようなものを足に着けて、3回も4回も空中を回転しながら4メートルも先まで跳ぶなんて、脳が「危険!危険!」とアラームを出すに決まっているのだ。 フィギュアスケートって、本当はそういう危ないスポーツなのである。 ジャンプしなくたってツルツル滑る硬い氷の上で転倒すれば、脳震盪を起こしたりするのだ。
 
ところで、よく、コーチからGet out of your comfort zoneと言われる。 私は、比較的転倒してもあまり気にしないというか、痛みに強いので、自分にできそうもないことを平気でやって見ることが多いのである。 するとコーチが、「その方が上達が早いのよ。 できることだけやっていても先に進まないわよ」というのである。 そう、コンフォート・ゾーン、つまり自分の居心地の良い場所に収まっていては、物事の進捗はないのだ。ちょっと怖いゾーン、自信のない部分にも足を踏み入れなければ。
 
新しいことはできないかもしれないから、確実にできることだけやっていれば確かに安全だし楽なのだ。 生物は自分を守る本能があるから、脳が「危なそうなことはやめておけ」とリミッターをかけるのだろう。 こういう脳を持っている人は、安全な人生を歩むかもしれないが、「できない自分に安心、安住」をするタイプなので、スポーツ選手などには向いていないだろうし、自分の人生のレベルアップはなかなか進まないだろう。 ようするに「身の丈に合った」人生で良い、と思う人たちだ。 でも、「身の丈」ってなんだろう?
 
 
羽生選手が、「練習の時、リミッターをかけている」とインタビューで言っていたが、彼はおそらく、リミッターを意識してかける必要のあるタイプなのかもしれない。 子供のうちから目標を「プルシェンコさん」というとんでもない高いところにおいて、「自分にはできる」という自信を持っていた。 本来、脳に「できない」というリミッターがないタイプなのだろう。 だからこそ、次々と新しい技を習得し、世界のトップに上り詰めたのだろう。 しかしそんな彼でも、過去2季においての負傷や自分の年齢を冷静に判断し、意識してリミッターをかけることを今しているようだ。
 
10代の若者と違って、年齢が上がってくると疲労=怪我につながる。私なんて、ちょっと疲れてくると、なにもないところで躓いて転倒したりするのだ。 足首のまねきが悪くなるというか。 無理は禁物なのである。 年齢と共に経験値が上がってくると、いろんなことを考える。 ただがむしゃらに突き進むのではなく、脳のリミッターもコントロールできるようになるのだろう。
 
インタビューでもグランプリシリーズの2戦目は、怪我をしてしまうのではないか、という恐怖と戦った、と言っていた。 その恐怖をきちんと受け入れて、練習にもリミッターをかけて、NHK杯を乗り切った。
 
練習ではやりすぎない。 体力を温存し、とにかく怪我をしないように。 今の羽生選手の一番の敵は、怪我と病気のはずだ。 その辺のバランスを考えて練習をしてきてトリノ入りするだろう。
 
その代わり、試合の本番ではリミッターを外すに違いない。 グランプリファイナルの王座を奪還するために。  それも羽生選手らしいやり方で。
 
ユヅルが試合にでるということは、イコール勝つために出るということだ、とオリンピックのあとにプルシェンコ氏は言っていた。 さすが、よく理解している。
 
しかし、バトン氏は、「ハニュウは結果なんておまけだ。評価基準は演技がちゃんと劇場になっているかどうか、それだけだ。ユヅルの演技はそういう意味では最高だ。みんなをうっとりさせる。どいつもこいつも点数を目当てにぞうきんを絞るようなジャンプをして。羽生結弦は別格なんだ。どこかで見たような演技をしないんだ。今見逃すと二度とみられないような演技をする。点数を超えて、感動を与えられるかどうかだ。 彼はお客を魅了することの大切さを知っているんだ。金を超えて、ダイヤモンドだね・・・」と彼を評価する
 
そう、彼の演技は一期一会、今見逃すと二度とみられないような演技を全身全霊で見せてくれるのだ。 「見ていてくれる人がいるからスケートが好き」という彼は、どの試合も観客の前で、一切手抜きをしない。 羽生選手は、プルシェンコとバトン氏の言う両方の面を持って試合に臨んでいる。 
 
勝つことは絶対目標。 しかし、そのために自分の大切にしている部分を犠牲にすることはない。 自分のやり方を貫き通した上で、勝つ。 ファンがなぜ彼の演技に惹きつけられるかをよくわかっているのだろう。 アスリートでありながら、アーティストの矜持を持つ。 リンクを、戦いの場を、劇場にできるアスリートなのだ。
 
 
ファイナルの場で、リミッターを外して、すべてのスイッチがONになった羽生選手を見ることが本当に楽しみだ。 トリノの円形競技場で戦闘モード全開でやってもらいたい。 
 
9歳ノービス優勝、「めざせ、オリンピック金メダルです」と無邪気な笑顔で言っていた彼が、そしてその夢を2度もかなえた青年が、曇りのない自信でもどってくるのを祈りつつ…。
 
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