日本のお笑い | ロンドンつれづれ

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私は比較的昔から、日本のお笑い番組で笑ったことがほとんどないのだ。 特にこの10年ぐらいは、いわゆる「バラエティ」と言われる番組を見ていて、「ははは!」と声をだして笑うことはほとんどない。 笑わせようとしているんだろうなとは思うけれど、自然な笑いが爆笑になって出てこないのである。

 

それよりも、普通の人が何かでインタビューされていておかしいことをつい言ったりしているほうが、わははは!と自然な笑いが出てくることが多い。

 

半面、イギリスのコメディ番組は、吹き出すようなのが多い。その吹き出す内容はけっこうシュールで、皮肉的だったりして、うまいこというよなあ、というクレバーなものが多いのだ。 ギリギリのところをついてきているものもある。

 

ちょっと前に流行った人形劇、Spitting Imageなども、本当におかしかった。 今見ても、おかしい。ははははは! サッチャーが、内閣の大臣をバシバシ叩きながら、いかにも彼女の発音で馬鹿ていねいで難しいボキャブラリーでやっているのが、またおかしい・・・。

 

Norman!  What do we call it when people go around stealing other people's property..?

(ノーマン!人のものを盗んで歩くことをなんていうの?!)

Ah....ah, market economy?

(ええ?ええーと、市場経済?)

 

そういえば、サッチャー政権の一番の政策は「市場経済」、である。これで英国病と言われた労働者のデモなどは大きく減って英国経済は復活したが、多くの貧乏人が職を失ったのも確かである。そして彼女は社会保障費も切り捨てた。競争の原理で、強いものが富んで弱いものはますます貧困になった、と思っている人は多いのだ。

 

日本では、現行の内閣をこんな形で笑いにすることができるだろうか?  おそらく無理だろう。それにしても、どの大臣も本人にそっくりである。 見ているだけで笑いが止まらない。

 

 

こちらは労働党のトニー・ブレア。ブレアは、ニュー・レイバーといって、それまでの社会主義的労働党よりもどちらかというと保守党サッチャー政権にちかいような政権を作り、大学の学費なども有料にしたりした。 オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」にかけて、妻のシェリーに「聞いてくれよ、僕の肖像画は生きているんだ! なんとネクタイが赤い色に変わっていた!それに、マーガレット・サッチャーを堂々と批判したりしているんだ!!どうしよう!!」などと言っている。(赤は労働党のカラーである)

 

 

 

Spitting imageとは、「うりふたつ」という意味だが、この番組は1980年代にITVで放送され始め、大変な人気を博した。1996年に終了するまで、英国の政治家や王室の人々のカリカチュアを描いて秀逸であった。 英国の人に特に人気があったのがサッチャー首相で、これは彼女の人気というよりは一般民衆からの不人気のせいで、番組が人気だったのである。 保守党がなろうが、労働党がなろうが、与党になった首相は、こうやって批判される。あるいみ、正しいジャーナリズムの形かも。

 

最近、脳科学者の茂木健一郎氏が、アメリカのコメディアンはトランプやバノンといった政治家にテレビで徹底抗戦し、視聴者の理解も得ている。一方日本のお笑い界は権力者の批判をする笑いはやらない、とツイッターで発言したそうで、まったくその通りだと思う。

 

欧州では昔から、権力者である王様の周りには「道化」と言われる職業がはべっていて、彼らはかなり王様に批判的なことを笑いにまぎらわして発信していたということで、文学などにもでてくる。 確か黒沢監督の「乱」にも、ピーター演じる「道化」が出てきて、かなり辛辣なことをお笑いや歌舞にまぎらわして発信している。

 

お笑いやコメディ、新聞の戯画といった部分で、時の政権を鋭く批評することは、英国では伝統的なものだし、もしかしたら、日本にも道化のような役割のものがいたのではないだろうか。太郎冠者などという役割である。権力者のまわりにいて、陽気で横着で、酒に酔ったふりをして、ちくりと鋭いことをいう・・・。

 

お笑いは、本来頭の悪いものにはできないはずだ。 なぜなら、笑わそうとしている人の意図が見えると、人は面白いとは思えなくなる。笑いをとるつもりのない無邪気な行動のほうが、何倍もおかしいことが多いからだ。 だから、作為で笑ってもらうにはバカのふりをする利口者でなければ、なかなか笑いはとれないだろう。 

 

英国のコメディアンのほとんどは、ケンブリッジやオックスフォード出のエリートだ。モンティ・パイソンもそうだし、人気のあるスタンダップ・コメディアンにもそういう人が多い。もちろん、政治などを扱わないコメディアンもいるが、時の権力を平気でネタにするコメディアンや司会者も多い。 そのユーモアと皮肉の聞いた笑いは、思わず片ほほをにやっとさせたくなるような笑いで、「なかなかやるな・・・」という視聴者との知恵の応酬なのである。

 

彼らは王室の方々まで題材にしてしまう。下は、チャールズの2番目の息子の命名で、大騒ぎしているロイヤルファミリーである。

 

 

 

さらに、よその国の大統領まで題材になっている。 こちらはジョージ・ブッシュ。クイズ形式で、「専門は?」「民主主義!」 「少数民族への拷問を合法的に行っている国は?」「イラク!」「違う、サウジアラビアです」「では、国連決議44・240で他国への侵略を非難された国は?」「イラク!」「違います、パナマに侵攻したアメリカ合衆国です」 「大統領、全部間違えましたね。ひとつだけパスした問題は、なぜアメリカは10の国を支援する軍隊を派遣しなかったのか?答えは、それらの国では安い石油を産出していなかったから、です。」「なんだ、それなら答えを知ってたのに!ちぇっ!」というもの。 そう、ブッシュが湾岸戦争に手を出したのも、イラク進行したのも、石油が目当てだ、というのは今では周知の事実・・・。 そして彼の無知も有名なこと。 ブッシュを二度選んだことで、アメリカ国民の程度が知れると当時英国では言われていた。 ブレアはこのブッシュのイラク戦争に引きずり込まれたことで人気を落として首相の座から退いた。 でも、ブッシュさん、トランプよりはましだったかも。

 

 

なんでも、日本のお笑いにはっぱをかけた茂木さんが、「ワイドナショー」で謝罪をしたというような記事をみたが、なんでだろう?? それもまたおかしな話じゃないか。 申し訳ないけれど、今の日本のいわゆる「お笑い」番組で、笑わせてもらえるものは本当に少ないし、では知的部分が刺激されるような鋭いコメディアンがいるか、というとあんまりそれも見当たらないのだ。

 

どちらかというと人を熱いお湯につけたり、痛い目や危ない目に合わせたり、弱者や痴れ者の役割をするコメディアンを寄ってたかって殴ったりけったりして笑いを取っているものが多いような気がする。またそれをおかしがる社会なのかもしれない。政治問題などのデリケートな内容に笑いでせまるような勇気のある、また知恵のあるコメディアンはあまりお目にかからない。

 

社会問題を小気味よく笑いに載せて批判のできるセンスのある人たちにもっと育ってきてほしい。 バラエティでも芸能人の浮気の話題や芸人同志のうちわの人々の話ばっかり、なんだかその辺の飲み屋でクダをまいている親父の話をコマーシャルをいっぱい見せられたうえで聞かされているようで、まったく見る気がしないのだ。 もっとちゃんと勉強をして、ぴりりとスパイスの聞いた小話などを作って聞かせてほしい。

 

権力や体制にたてつくばかりが能ではないけれど、安全なところでばっかりプレイしているから魅力も新しさも感じられないのだ。 映画でも、テレビ番組でも、娯楽性ばかり追求しないで、しっかりと問題提起するようなものを作って、若い人たちを引き付けてほしい。 政界もそうらしいが、お笑い界も、たいへんなヒエラルキー社会なのかな。 先輩、後輩という意識が強すぎるところ、もともとの権力のある人たちがいつまでものさばっているところから、新しいものは生まれてこない。 オリラジの中田さんが、一生懸命茂木さんをかばっているようだが、あっぱれと思う。

 

そういえばいま都議選だと思うけれど、「お前が自分で産めないのか」とやじられた塩村都議は、今回は都議選に出馬しないようである。 都議会のあまりにも閉鎖的な雰囲気にがっかりした、何を発言しても聞く耳持たないような風潮があるという意味のことをインタビューで話していた。長年のさばっている議員、あるいは大きな会派に所属している議員以外は何をいっても聞いてもらえない、都庁の職員からも無視されるということで、非常に残念である。しかし、彼女は国会議員として立候補するようであるから、そちらに期待したい。もっとも国会でも事情は似たようなものかもしれないが。

 

話がずれてきたが、お笑い界も新しいことをする若手を求めたい。その中で西洋の道化の役割のように、ふざけているふりをして巧妙に笑いに包んだトゲをするどく放つようなコメディアンが出てくることを期待しているのだ。 その人は、勇気と知恵がなくてはだめだろう。権力のある人たちにも「まいったな~」と苦笑を出してもらえるような、そんな頭の良さと笑いのセンスの良さ、そしてあらゆることに知識が深くなくてはだめだろう。

 

またそういう人が出てきた時に、「生意気だ」とかなんとか言って、まわりで寄ってたかってつぶさないような、そんな社会であってほしいと思うのである。

 

アメリカなど、トランプのやり方に多くの映画スターやシンガーが明確にNOと言っている。日本はどうだろうか。政治を話題にする芸能人がどれほどいるだろうか。 時の政権に対し、おおっぴらにNOという俳優やコメディアンは、ちょっと思いつかないのだが。 政治の話はタブーにして、当たり障りのないことだけを話している人たちがほとんどだ。それでは大切なことは見えてこないのにな、と思ったりするのである。そして社会には閉塞感が漂うのだ。

 

Spitting imageで、政治家や皇室の人々をからかうことなんて、日本では到底無理だろうね・・・。

 

 

参考:サイゾー