ポルーニン、辛口批評 | ロンドンつれづれ

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先週の金曜日、サドラーズウェルズで、「プロジェクト・ポルーニン」を観てきた。

 

事前のプレヴューで、かなり辛辣な批評を受けていたセルゲイ・ポルーニンである。 その翌日の公演では、あの負けん気とプライドで「なにくそ!」と良い演技を期待していた。

 

結果はどうだったか。

 

やはり、ディスアポインティング(残念)だった、と言わざるをえない。

 

3つの小作品から構成された、プロジェクト。 1部と3部にポルーニン自身が出演。 

 

まず、舞台に後ろ向きにうずくまっている彼を見た時、「あれ?」と思った。 腰回りというか、胴回りが、妙に堂々として見えたのである。

 

そして、踊り始めた彼は、今まで通り回転の軸の安定は素晴らしかったが、ジャンプに高さがなかったのである。 そして、動きにキレが感じられない。 プレヴューは、軒並みこっぴどく酷評してあった。 もう往年の彼ではないとか、これまで怠惰だったのではないか、とか。

 

第一部は、Night before the Flight, イカロスの物語である。ポルーニン、キレはたしかに感じられないけれども、最高潮の時代の彼と比べてはいけない、と思いつつ見た。批評ほどひどくはない、と思いつつ。彼の実生活上のパートナーであるナタリア・オシポーヴァの踊りは秀逸。ウラジミール・ヴァシリエフの振付。

 

第二部は、Tea or Coffee. 彼以外のダンサーが4名でコンテンポラリーのピースを演じたが、どの批評もこれに対しては手厳しいもので、せっかくの才能のある4人のダンサーが無駄に使われた、ということであった。確かにダンサーの動きは秀逸だったが、大変に変わった音楽の解釈と、コレオグラフィーであった。

 

そして、第3部のナルシッソスとエコーは、うーん、なんと形容したらいいのだろうか・・・。 

 

ポルーニンのナルキッソス、Photograph: Alastair Muir for The Guardian

 

まず、衣装がいけない。 なんだか小学校の学芸会のようである。 ナルシッソス役のポルーニンを囲むように、あと4人の男性ダンサーがギリシャ風の衣装で踊るのだが、ベージュのぴったりとしたタイツはいいとしても、その周りにひらひらついている布のデザインがどうも素人臭いのである。 衣装について酷評している新聞も多かったが、たしかにその通り、と納得したのである。バレエのコスチュームは作品の内で、そのデザインや布の動きは大切なのだ。

 

この第3部はポルーニンとオシポーヴァ、その他二人のコレオグラフィとなっているが、振付師が4人もいる段階ですでに悪いサインだ、と書いていた批評もあった。踊りは、ポルーニンに抜きんでた才能を期待したいところだが、今回の演目を見る以上、他のダンサーたちを大きく引き離したイメージは感じられなかった。やはりジャンプに高さがなかったし、動きにキレがないのである。 要するに、往年の彼ではもうない、とファンたちに改めて印象付けたのである。

 

しかし、この作品でも、オシポーヴァのダンスは素晴らしかった。 さすが、現役のロイヤルバレエのプリンシパルである。群舞のダンサーから抜きんでた動きの美しさ。彼女の衣装は、からだにまとわりつく蜘蛛の糸のようなものの動きが幻想的であった。

 

オシポーヴァとポルーニン、Photograph: Sarah Lee for The Guardian

 

 

ポルーニンはこのプロジェクトを通して、「クリエイティブなクラッシックバレエを提供し、もっとヒップホップな若い観客をひきつけ、自分のようなフリーランスのダンサーの仕事の場を増やしたい」という希望もあって行ったものである。彼のこれからの方向をアナウンスする、大事なプロジェクトであったはずである。しかし、この三部作は、これからどの方向に行きたいのか、それがはっきり見えないものとなってしまった。 フリーランスのダンサーを集めてのプロジェクトは、それなりにリスクも大きいだろう。トップクラスの才能のクラッシックのバレエダンサーがフリーでいることはやはり稀なのである。

 

新聞の批評欄には星2個が並び、テレグラフなどは星1個しかつけていなかった。これは、酷評といってもいいだろう。 イギリスのメディアや観客は甘くないのである。 今回のチケットは、サドラーの同じ座席で通常だったら30ポンド代のところが、60ポンドしたのである。 倍近く支払っても見る価値があったか? それも問われるだろう。

 

それでも長年のファンは、舞台が終わった後に、ブラボーといって立つ人もいた。しかし、数人であって、多くの目の肥えた観客は、座ったまま、普通の拍手でカーテンコールに応えていたのである。 申し訳ないが、私は鑑賞中に1,2度、ウトウトしたぐらいである。感動しながら見ていたとしたら、どんなに疲れている金曜日の夜だって、眠気は襲ってこないはずである。

 

出口をでて、すでに友人と私の話題はジュニアワールドのスケートのことになった。大声でフィギュアスケートのことを日本語で話していたら、すぐ横を歩いていた70歳ぐらいの男性が、友人の肩をたたき、I know....it was awful...! (わかるよ、ひどかったね!)というので、友人と大笑いしてしまった。 彼だって、ポルーニンに期待をしていたから、高いチケットを買って、わざわざ見に来たに違いない。もちろんそういうお客がほとんどだっただろう。

 

しかし、英国の目の肥えた観客は、ことほど左様に舞台芸術に関しては厳しいのである。いいものはいい、サポートする。しかし良くなかったものには、ファンとはいえ、スタンディングオベーションはしない。

 

そうやって、演技者たちは観客の厳しい目にさらされて、実力を研ぎすませていくのだ。だからこそ、高いスタンダードを保ち続けることもできるし、ロンドンから世界中に、バレエやミュージカルを発信できるのである。

 

ポルーニンは、やはりロイヤルバレエを飛び出すべきではなかったのだ。 若気の至りと言えばそれまでだが、「僕はリハーサルをしなくてもできる」といって、練習をしなかったり、ロイヤルの後ろ盾がなくとも戻りたくなったら戻れるだろうと思っていたかもしれないが、努力や練習の積み重ねがなくても、驚くような演技ができるのは、若さゆえだったかもしれない。

 

体力が衰え、体形が崩れてき始めても、観客からブラボーと叫ばれるような演技をするには、40歳までトップで踊り続けたカルロス・アコスタのように、絶え間ない努力の積み重ねが必要なのだろう。体型が崩れているのは、プロとしては怠慢と新聞に書かれても仕方がないだろう。ロイヤルでトップの時は、剃刀のように研ぎ澄まされた身体をしていたポルーニンである。 重くなれlばジャンプの高さはでなくなるに決まっている。

 

辛辣な批評を読んだ上で、「しかし、これはロイヤルに後足で砂をかけたバレエ界の悪童に対する意地悪なレビューだろう」という期待を持ってシアターに出かけた友人と私だったが、その期待は裏切られた。 今のポルーニンのままであれば、次回また他のプロダクションの2倍の料金を支払って見に行くか、と言われれば否である。 

 

ともあれ、酷評とはいえ、これだけ多くの新聞がレヴューを書いたのである。期待も注目もされていたということだろう。それに今後、どう応えるのだろうか。

 

天才が天才でい続けるためには、隠れたところでの努力が絶対に必要なのである。 傲慢は若いうちは許されるかもしれないが、才能が自分と共に永久にあると思うのは間違いである。

 

今回のロンドンでのプロジェクトが手厳しい批評を受けたことで、腹を立ててもうやめてしまうか、それともこれをバネに再生の道を歩むかは、ポルーニン次第だろう。 彼の才能を惜しむファンはまだまだたくさんいる、私も含めて。 

 

傲慢と繊細を併せ持つポルーニン。 大人の分別をもって、ぜひ再生のための努力を始めてほしい。まだまだ、27歳のポルーニンなのだから・・・。

 

 

批評記事はこちら:

The Guardian

The Telegraph

The Stage