↑こちらの記事で、叔母に起きていた奇跡について書いた続きです。

 

 

 

奇跡はそれだけではなかった。

 

 

その翌日、母と叔母と私と、私の友人も誘って、

海辺の公園の自然散策に出かけた。

 

 

心配しすぎかもしれないけど

もし叔母さんがいまも騒音問題で疲弊していて

メンタル的に余裕がない状態であれば

私のことも受け入れることができず、もちろん私の友達も

一緒に散策に行きたいと言っても、拒否されると思っていた。

 

 

すぐにいい返事はもらえなかったものの、少し考えてOKをもらえた。

 

 

当日はとてもいい時間を過ごすことができ、

一緒に行った友人ともわりとすぐに打ち解けて

みんないい笑顔で楽しんでいるように見えた。

 

叔母さんは本当に優しくてよく気が利く人で

私たちに終始気を使ってくれていた。

 

あぁ、私はこの優しさに昔甘えすぎていたんだな・・と思った。

何でも聞いてくれるから、寄りかかりすぎてしまったんだ。

そのせいで、きっと重たくなって、辛くなってしまったんだろうな・・・

申し訳ないことをした。

 

 

お昼になり、木のテーブルとベンチに場所を取り、

それぞれ用意したランチをみんなで食べた。

 

 

母と友人が何やら携帯をのぞき込んで盛り上がっているとき、

叔母さんが私に向き合って、真面目な顔をして話し出した。

 

 

「たぬきちゃん、なんか変わったよね」

「えっ?!」

「オーラがあるっていうか・・・なんかそんな感じする」

 

 

オ、オーラ?!

叔母さんの口からそんな言葉が出てくるなんてビックリなんですけど!!

 

あまりにもビックリしてそのあと何か返した気がするが、

なんと返したのかすっかり覚えていない。

 

 

そしてその後、自分の携帯を取り出し、

10年以上前の古い情報のままになっていた電話番号と、メールアドレスを交換した。

そんなに長い間、私と叔母さんは連絡を取り合っていなかったんだなぁ・・。

でもこの時はまだ、念のために連絡先を交換しただけであって、

社交辞令だろうという気持ちが大半だった。

だから、私が叔母さんのメールアドレス宛にメールして届かなかったとしても、

それを追求するようなことはないだろうと思っていた。

 

 

夕方、3人と別れてから1通のショートメッセージが来て、

それが叔母さんからで、

私が昼間に送ったメールが一向に届かないことを不思議に思って

メールアドレスをショートメッセージで送ってくれた時はものすごく感動した。

私の方の登録が1文字間違っていたことが分かった。

 

 

 

 

その日の夜叔母さんの家に泊まった母と、翌日会ったとき、

とても嬉しそうにこんな話をしてくれた。

 

 

「いつもは上の階を気にして、家の中ではほとんど話さなかったし、

話しても小声だからあんまり何話してるか分からなかったんだけど、

昨日は普通の声ですごい話してくれてさ。あんなことなかったから驚いたよ」

 

 

「あと、あんたのことも話してた。

昔、無言電話があったときは本当にあんたが犯人だと思ってたみたいだし、

今ももしかしたら完全に疑いが晴れたわけじゃないかもしれないけど、

『たぬきとは色々あったけど、もうそういうのも終わりにするんだ。

連絡先も交換したし』って言ってたよ。すごい嬉しそうにニコニコしてた。

あと『たぬき変わったね』って言ってたよ」

 

 

奇跡だと思った。

またまた感動が一つ増えた。

 

叔母の家では常に上階を気にしての生活だったようで、

普通に会話することも憚られていたようだったので、

自分が返った後に仕返しされるんじゃないかと

逆に母の方が心配になったそうだ。

 

私のことを変わったと言ってくれたけど、

私からしたら変わったのは叔母さんの方に思える。

なんていうか、囚われから抜けて自由になれたような・・。

自分らしく幸せに生きられているようで、本当に奇跡のような状況だと思った。

 

 

私たちは困っている人や苦しんでいる人を見て

何かできることはないかと思ったり

私が何とかしてあげなきゃと思ったりする。

もちろんそういう気持ちも大事だし、

出来ることがあるならやってあげることも必要だ。

 

 

でもそれよりも、

これは本当に意味が分からない世界なんだけど、

自分が自分を助けることで周りも勝手に救われていく

自分を大事にして満たすことで周りも幸せになる

ということを実体験として学んだ出来事だった。

 

 

 

自分を変えることで

周りも勝手にいい方向に変わっていく。

まさに鏡の法則。

この世の仕組みは本当にシンプルだ。

 

 

そしてそれを信じられた人にだけ、奇跡が起こるのだ。