自己愛性パーソナリティー障害は、等身大の自分と向き合えない病です。
頭の中で妄想の世界を創り上げ、その中で自分の偽のアイデンティティを育てています。
彼らは依存する相手を必要としています。
相手を卑下し貶め、相手からエネルギーを奪うことでしか、自分のアイデンティティを保つことができないからです。
アルコール依存症の依存対象はアルコールです。
ギャンブル依存症の依存対象はギャンブルです。
薬物依存症の依存対象は薬物です。
自己愛性パーソナリティー障害の依存対象は支配下に置ける人間です。
しかし相手を人間としては扱っていません。
アルコール依存症の人にアルコールを与えると、依存症を助長することになるのはわかりますよね。
ギャンブル依存症も薬物依存症も同様です。
では、自己愛性パーソナリティー障害の人の前にターゲットになった人物がいて、その人が「愛」や「思いやり」を向けるとどうなるでしょうか。
相手を道具としてしか扱わないので、その人を利用しようとしますし、多くのものやエネルギーを奪います。
「与える(=奪われる)」と「奪う」の関係になるのです。
自己愛・サイコパスには良心や共感はありません。
あるのは偽りの自己を失う恐怖と欲望のみです。
人は大人になると自分の責任を自分で負う事を学んで行きます。
しかし自己愛性パーソナリティー障害の人は、ターゲットにした人にその責任を全て押し付けます。
自分の不快な感情も全て押し付けます。
そして奪ったエネルギーを使って生きていきます。
これはエネルギー的な寄生行為なので、霊的アセンションの基本であるエネルギーの内なる持続性による循環・交流とは全く異なります。
この世に誰も押し付ける相手や奪える相手がいなくなったら、彼らも学ぶかもしれません。
しかし、偽りの笑顔や巧妙な嘘で常に誰かを騙し、支配下に置いている限り、学ぶ機会は訪れないのです。
これは、薬物依存症の人の目の前に、常に薬物が置かれているようなものです。
そのような人は精神医学の専門家でも対処するのは難しいものです。
スピリチュアル的には、このアセンションのサイクルにおいて、彼らが肉体を捨ててライフレビューと死後のリハビリを受ける事によって、他の星で霊的進化が続けられるかどうかのチャンスが与えられます。
ライフレビューとは人生を振り返るということであり、自分を客観的に見るということです。
生きているうちに経験する人は、自我の死を経験します。
自己愛的な人の場合は偽りのアイデンティティが肥大しているので、この自我の死(偽のアイデンティティの崩壊)が人一倍苦痛を伴うものであり、自ら行う人はあまりいません。
生きている間にこれが起こるとしたら、それは大きな喪失体験や、大切な人との離別がきっかけになるかもしれません。
しかし、依存対象やターゲットになる人が傍にいる状態では、それもありえませんよね。
もしそのことに気付いた人がいたとしたら、速やかに離れる事をお勧めします。
愛のある交流ができるのは健全な精神状態の人同士だけです。
離れる事がその人のためになることもあるのです。
スピリチュアル業界では「愛」だけを強調し、信者からリソースを奪おうとする人もいますので、お気をつけ下さい。