「「パズルのピースが合わさる」関係性 」という記事では、他者との関係性で自分のアイデンティティを構築し、維持しようとする人は、「相手に依存している」ということについて書きました。

 

 では、その人の内面ではどのようなことが起こっているのでしょうか。

 まず、「自己の核」が無いので、その空虚な部分を常に何かで埋めようとしています。

 「核」があるかどうかは、社会的に成功していると言われる立場にいるかどうかには関係ありません。

 

 自我は多次元の人間において1次元~3次元までの層です。

 1次元・2次元の層は単なる記憶装置として機能しますが、ここがネガティブな記憶で満たされると、3次元の顕在意識が自我の防衛本能でしか機能しなくなり、人間の核を構築する高次のスピリットの具現化を拒絶します。

 この時あまりにもネガティブ性が強い場合は、副人格が形成されます。

 それは、頭の中にある脆くて崩れやすい砂上の楼閣を必死で守っているようなものです。

 

 人間の標準的なスピリチュアルな発達段階では、自我の発達は11歳までで、12歳からは魂の層の発達段階に移行するはずでした。

(スピリチュアルな成長の生物学的サイクル参照)

 しかし、そのスピリチュアルな発達段階が阻害され、魂の層を体現することもないまま亡くなっていく人も少なくありません。

 

 心(ハート)は魂の層以上が開花しないと発達しませんので、自我の次元で生きている人には無縁のものです。

 心からの言葉や態度に見えても、何かそれっぽいものを模倣しているだけです。

 

 魂の層から切り離された自我は、空虚な部分を何かで埋めようとし、理想の自分像を思い描きますが、等身大の自分とのギャップを受け容れることはできません。

 本当の自分が露呈するのを常に恐れているからです。

 自分の内面を見つめることに対する恐れや、自分の本性が露呈する恐れにより、内面の都合の悪い部分は全て他人に押し付けます。

 これを「投影」と呼びます。

 すなわち自己愛性パーソナリティ障害の傾向を持つ人は、極度の恐怖心を抱えているということです。

 

 例えば、自分が仕事ができないというコンプレックスを抱えている人は、仕事のできる人が職場にいると、自分の内面に見たくないものがあるので、そこから目を反らそうとして、その相手をターゲットにして貶めるような発言をしたり態度を取ります。

 内面を見ないようにしているので、何に対して何が原因で自分が怒っているのか理解することができず、別の事で相手を貶めようとします。

 それは相手の容姿かもしれませんし、相手の持ち物かもしれません。

 

 その人の中には、コンプレックスになっている事に関して自分で努力しようという考えはありません。  

 もし努力してもできなかった場合、プライドが傷つきますし、できなかった自分と向き合うことはできないので、手っ取り早く他者を貶めたり、他人を利用して自分の手柄にしたりすることが対処する手段として定着してしまったのです。

 これは自我の防衛本能であり、相手を卑下しながらも相手に依存するということです。

 

 その依存先がアルコール・ギャンブル・買い物の場合もあり、他者との関係性で自我を確立しようとする人もいますし、その両方の場合もあるというだけです。

(ワーカーホリックになることで埋めようとする場合もありますが、そうなった人は他者に仕事を押し付けて手柄を取ろうとする側面も出てきます)

 

 恐怖が根底にあるということは、「生きるか死ぬか」という状態にあるということです。

 これは肉体の死を意味するものではなく、自我の死です。

 自分の内面の見たく無い部分をみるということは、彼らにとっては死に値することなので、自分の「正しさ」をひたすら他人に押しつけたり、絶対に謝らずに他人に責任転嫁する人もいますし、何かしてもらった時にお礼を言ったら相手の優位に立てなくなるから言わないという恐るべき信念を持っている人もいるのです。

 

 そういう人は、他人との関係性で自己を確立しようとしているので、自分の存在を他者に委ねているわけです。

 ですから、自分の力で人生を切り拓いていくという考えは無いので依存的になりますし、怖くて怖くて仕方ないのです。

 相手が自分の思い通りにならなかったり、自分より優れていると感じるような事があれば、それは自分の存在を脅かすぐらいの脅威に感じるということです。

 脅威に感じてはいますが、ターゲットにしていた相手が自分の元から去って行こうとすると、怖くなってすがりつきます。

 すがりつく為になりふり構わず暴言や捨て台詞を吐く人もいます。

 それはどうしてかというと、相手を卑下することで自分を確立していた為、その相手が離れていくというのは、この上なく怖いことだからです。

 

 客観的に見ると、そういう事をすれば当然相手は離れていくと気付くはずですが、その人はそれまでの人生の中で他者を支配することができた「成功体験」があったり、自分から離れて行った相手がおかしいと他責で済ませたりするので、気付くことはありません。

 

 これは、自我の層から突破できない人は誰でも、支配する側や支配される側になるという人間ドラマを繰り広げてしまう可能性があることを、示唆しています。

 

 その時鍵になるのは、「自分の内面を恐れずに見つめることができるかどうか」です。

 それは自我にとってはこの上なく怖いことですが、アセンションの地上クルーとして地球に来た人にとっては必須事項であることを忘れないで下さい。