【作品#0886】マッドマックス:フュリオサ(2024) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

 

マッドマックス:フュリオサ(原題:Furiosa: A Mad Max Saga)

 

【Podcast】

 

Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。

 

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【概要】

 

2024年のアメリカ/オーストラリア合作映画

上映時間は148分

 

【あらすじ】

 

若き日のフュリオサはバイカー集団を率いるディメンタスに捕まり、母親は目の前で処刑されてしまった。ディメンタスはイモータン・ジョー率いる砦に辿り着き、フュリオサはイモータン・ジョーに引き取られると、ウォー・ボーイズに交じって徐々に頭角を現す。

 

【スタッフ】

 

監督はジョージ・ミラー

音楽はジャンキーXL

撮影はサイモン・ダガン

 

【キャスト】

 

アニャ・テイラー=ジョイ(フュリオサ)

クリス・ヘムズワース(ディメンタス)

トム・バーク(ジャック)

ラッキー・ヒューム(イモータン・ジョー)

ネイサン・ジョーンズ(リクタス)

ジョシュ・ヘルマン(スクロータス)

 

【感想】

 

シリーズとしては通算5作目であるが、時系列としては「マッドマックス:怒りのデス・ロード(2015)」の前を描く作品となった(脚本は前作以前に完成済み)。前作大きな評価を得たシリーズだが、本作は北米のメモリアルデー公開としては最低クラスの興行収入であり、期待外れと評されている。一方の日本では週間ランキング1位発進となり、2024年公開の映画で洋画が1位になったのは本作が初となった。また、本作も前作同様にモノクロバージョンの製作されるようだ。

 

前作の製作時にはすでに本作の脚本は完成していたと言うが、そもそも本作は前作とは違うものを作り上げようとしたことは冒頭から伝わってくる。カメラは宇宙からオーストラリアの砂漠に入っていく。これは前作オーストラリアで撮影予定だったが異常気象により砂漠が緑地化してしまい、アフリカのナミビアで撮影をしたが、今回はちゃんとオーストラリアですよというのを示す意味合いもあるように思う。また、この感じは「マッドマックス/サンダードーム(1985)」の冒頭を思わせる。空撮で地上にいるマックスにカメラが近づいていくところは本作のオープニングに近い。

 

また、前作は行って帰ってくる話だった。本作もフュリオサがディメンタスの拠点に連れ去られ、ディメンタスから「明日家に帰してあげる」と言われるが、帰ることができないのだ。行って帰って来れない物語であるところも前作とは異なるポイントだ。帰ってくるのは前作の中盤に当たるわけだ。

 

それに、前作がたった3日間の話だったのに対し、本作はフュリオサが10歳から26歳になるまでの16年間をかいつまんで描いていることになる。ここまで長い期間の物語を描いたのもシリーズで初めてである。

 

基本的にこのシリーズは毎作品違う顔を持っている。まだ現実のオーストラリアの延長線上に思えた1作目、そこからSF色を強めたシリーズ2作目、アメリカ資本が入り映画の雰囲気も変わったシリーズ3作目、そして30年の時を経て製作されたエネルギーに満ち溢れたシリーズ4作目。4作品どれをとってもその作品らしさがあり、「また同じような作品」というものはない。

 

なので、このシリーズ5作目が前4作品と異なるものであっても違和感はない。そもそも主人公が変わっている。ただ、異常なまでの中毒性を促した前作に比べると本作にはそこまで中毒性は感じない。前作はアクション、音楽、音響が歯車としてグイングインと回り、この快感はほかのアクション映画でも得難いものであった。本作は別に込み入った話ではないが、前作ほどのシンプルさもない。あの「快感」を求めて映画館にやってきた観客から「思っていたのと違う」と思われたのかもしれない。本作の興行不振の理由を考察する記事はいろいろあり、そのどれもが妥当なものだと思うが、やはり観客の期待に沿うものではなかったというのが一番大きいのではないか。あと、前作から9年空いたというのも影響しているかもしれない。

 

そんな本作は今までの主人公マックスからフュリオサに代わっている。映画のタイトルも原題は「Furiosa: A Mad Max Saga」となっているが、マックスは基本的には出てこない(終盤近くのカメオ出演のみ)。さらにはフュリオサの少女時代から描く本作は、今までにないチャプター(合計5つ)が付けられている。フュリオサの少女時代はチャプター1からチャプター2の途中までなので、ファーストクレジットのアニャ・テイラー=ジョイが画面内になかなか顔を出さない。

 

イモータン・ジョーの息子リクタスから悪戯されそうになったところを逃げて長い時を経てフュリオサはウォーボーイズの一員に化けている場面に移行し、ここでようやくフュリオサ役はアニャ・テイラー=ジョイに引き継がれる。このアニャ・テイラー=ジョイがとにかく素晴らしかった。前作でフュリオサを演じたシャーリーズ・セロンとはタイプが違うのだが(というか彼女みたいな役者自体がいない)、アニャ・テイラー=ジョイで全く問題なかった。目力もあり、声に迫力がある。さらにちゃんと動けるし、フュリオサというキャラクターに納得感を抱かせるだけの存在感であった。

 

また、本作の悪役と言えるのがディメンタスである。彼はフュリオサの母親を処刑し、16年ぶりにフュリオサに再会して当時のことを聞かされても全く覚えておらず、フュリオサがディメンタスのぬいぐるみを奪い取るところでようやく思い出したのだった。ディメンタスがこの荒れ果てた土地で数えきれないほどの人間を殺してきただろう。彼も親を殺されたと言っているが、殺されないために殺す世界なのだろう。それを延々と繰り返してきたディメンタスがフュリオサとジャックを捕まえ見せしめにしていると、「もう飽きた」と呟くシーンがある。このセリフはいかようにも解釈できる。「飽きた」と言いながらも結局は人を殺すとか支配するとかしかできないディメンタス。だからこそ、フュリオサは彼が人の役に立つ結末を用意したのではないか。ただ、そのディメンタスの最期を知っているのはフュリオサだけであり、彼は彼女の伝承の中にしか出てこない。このシリーズに語り部がいるように、本作だってとある語り部の物語である。

 

一体どんな落としどころにするかと思えば、ディメンタスの体を養分にしてフュリオサが母親からもらった植物の種をイモータン・ジョーの砦の上に植えるというものだ。普通に殺すでもない、拷問するでもない。おそらく相当なパターンを考え、その考えたパターンの数々が足早に映されるカットに刻まれているのだろう。今までとは違うものを考えたのが伝わってくる。

 

本作のイモータン・ジョーは頭の良い頼れるキャラクターとして君臨しており、少なくとも前作のような悪役として描かれていない。そんな彼もディメンタスに徐々に拠点を占拠され、フュリオサからの報告をもとに、ディメンタスの裏をかくために第二の拠点に向かったふりをして、砦を固める作戦に出る。そんな彼が時系列的には後に当たる前作で砦が手薄になったところを突かれてしまうのは本作の描かれ方を見るとちょっと納得感はない(もちろん前作はイモータン・ジョーにとって大事な五人の妻が連れ去られたわけだが)。

 

それに、預かった少女時代のフュリオサがリクタスから逃げてしばらくすると彼女がウォーボーイに化けているシークエンスになる。植物の成長を見るにかなり長い月日が流れたことと思うが、フュリオサがいなくなってからリクタスだけでなくイモータン・ジョーがどうしたのかは全く描かれない。貴重な女の子だからみんなが血眼になって探すはずだ。ここは気になったポイントだ。あと、左腕を切断して砦に戻ってきたフュリオサが治療をして、義手を作って再び戦いに戻るのは時間的にちょっと厳しくないか。

 

また一方で、フュリオサが口のきけないウォーボーイであると描かれながら、ついに女性であることが分かってから、「お前は女だからウォーボーイにはなれない」みたいな描写がなく、ウォーボーイにふさわしい能力があれば女性だろうがちゃんと認められる感じは良いと思う。

 

また、唯一の味方として描かれるのが隊長のジャックである。いいキャラクターではあるが、登場した時点ですでにフュリオサの味方みたいなところはやや不満ポイント。何なら本作は基本的にどのキャラクターも登場してからそのまま。フュリオサだって少女時代から彼女のキャラクターはすでに完成されている。ただ、敵の襲撃を共闘して回避して戦友として頼もしい二人である。まさに二人だけの軍隊。だからこそジャックのあっけない死も際立ってくる。

 

前作とは違うとはいえ、アクションシーンになると「マッドマックス」シリーズを見ているなぁという感覚にちゃんと戻してくれる。特に前作にはなかった空中からの攻撃、前作にはなかったウォー・タンクの細かいカスタマイズなど見逃すことはできない。また、前作にはあまり見られなかった銃撃戦も充実しており、アクションシーンになると前作で味わった快感を間違いなく味わえる。バイクの疾走感、果てしなき地平線への旅、そして異常なまでの生への固執。

 

それから、あれだけの人数が生きられるリアリティとしてやはり食事シーンは欲しかった。ディメンタスがウインナーを食べる。何ならカメオ出演のマックスが缶詰の食事を食べるシーンがあったというのに、ほかの連中は一体どうやって生きているのか。前作よりも画面内に映る人間の数は遥かに多かったのだから尚更。これほどの人間を養えるほどの食糧があるようには見えない。前作も食事シーンは少なかったが、砂嵐に巻き込まれてようやく助かってからの「水」はインパクトがあったし、水分を欲しているんだなというのが伝わってきてそれが満たされる感覚もあった。

 

エンドクレジットに入るタイミングで前作の映像がハイライト的にそして断続的に流れることになる。これは長い議論の末にジョージ・ミラー監督が下した決断らしいが、個人的には全く必要のない演出だったと思う。異常なまでの中毒性をもたらした前作。おそらく本作を鑑賞した観客の多くが前作を複数回鑑賞した人たちではないだろうか。もう目に焼き付いているよ。ハイライトにしては短いし非常に中途半端な演出だった。これだったら、エンドクレジットに入る前のフュリオサが女性たちを連れてウォータンクの中に忍び込んでドアを閉めるところで映像は終わりにして問題なかったと思う。非常にきれいな終わり方だったと思った。

 

観客側の過度な期待はエゴでしかないとは思うが、あれだけの作品を作ったわけだし、これだけの期間が空いたわけだから期待値が高まるのはしょうがない。ただ、本作は「マッドマックス」の世界観ながら主人公はフュリオサだし、基本的にはマックスの出てこない物語である。多分これでも削った方じゃないかと思う。そんな彼女が前作で成し遂げた活躍に至る物語としては十分なものが見られたと感じる。

 

【関連作品】

「マッドマックス(1979)」…シリーズ1作目
マッドマックス2(1981)」…シリーズ2作目
マッドマックス/サンダードーム(1985)」…シリーズ3作目
「マッドマックス 怒りのデス・ロード(2015)」…シリーズ4作目

「マッドマックス:フュリオサ(2023)」…シリーズ5作目



取り上げた作品の一覧はこちら

 

 

 

【予告編】