【作品#0799】知りすぎていた男(1956) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

知りすぎていた男(原題:The Man Who Knew Too Much)

【概要】

1956年のアメリカ映画
上映時間は120分

【あらすじ】

モロッコに観光へやって来たベンとジョー夫妻に息子のハンクは、バスの中で出会ったベルナールと食事をする約束をしたが直前になって急用ができたとして反故にされてしまう。そして、レストランで仲良くなったドレイトン夫妻と翌日観光を楽しんでいると、背中にナイフの刺さったベルナールがベンにロンドンでの暗殺計画があることを知らせて死んでしまう。

【スタッフ】

監督はアルフレッド・ヒッチコック
音楽はバーナード・ハーマン
撮影はロバート・バークス

【キャスト】

ジェームズ・スチュワート(ベン・マッケンナ)
ドリス・デイ(ジョー・マッケンナ)

【感想】

アルフレッド・ヒッチコックがイギリス時代に監督した「暗殺者の家(1934)」のセルフリメイク。ドリス・デイが歌う「ケセラセラ」はアカデミー賞歌曲賞を受賞した。

本作の主人公であるベンは基本的にずっと間違った選択をし続けているように思う。海外で初対面の人に自らの素性をベラベラと話しまくり、その知り合った男が絶命する直前に残した伝言を警察や領事館には隠し通し、息子が誘拐されたかもしれないのにその事実を妻には伏せ、イギリスに行ってからも警察には暗殺に関する伝言は喋らず、残された伝言から辿り着いた場所は見当違いで、いざ辿り着いたチャペルでは何もできずに殴られて気絶してしまうという男である。

ベンは息子のハンクが誘拐されてしまったかもしれないという話をジョーに薬を飲ませてから話している。ベンは薬を飲ませてからでないとジョーがヒステリーを起こすと考えているようだ。重要な情報をその場で共有せずに医師という立場を利用して妻に薬を飲ませるなんてちょっと酷すぎるわ。ベンはベンなりに考えて行動しているのだろうが、さすがに見るに堪えない場面である。

最後にこそベンが活躍して息子のハンクを救う場面が用意されているものの、全体通して見れば間違った人間であると感じる。それこそ、ヒッチコックの「裏窓(1954)」のジェームズ・スチュワートが演じた主人公と同様に本作の主人公も女性をコントロールしようとしている自分に気付いていないのと同じであると思う。これはどこまで意図したのか本作では分かりかねるが、ジェームズ・スチュワートを続けて起用しているのだから多分そうなのだろうとは思う。そういった観点で見ると、妻の方が正しいし男女の描き分けという意味ではそれなりに見応えはあると思う。

また、物語上おかしいと感じる箇所が多いのも過去のヒッチコック映画と同じ印象である。たとえば、息子のハンクがイギリスに連れ去られたという確証はないのにベンとジョーはイギリスのロンドンへ向かう。もしその情報が嘘でモロッコに居たままだったらどうしただろうか。この状況で息子の誘拐や暗殺計画について知ったことをモロッコで誰にも話すことなくモロッコを離れる決断をできるのがある意味凄いと感じる。誘拐した側との連絡手段だってないわけだし。

犯人側はベンがベルナールから重要な情報を聞き出したと確信しており、ベンを黙らせるために彼の息子のハンクを誘拐している。犯人側は某国の首相暗殺を計画しているような連中である。それほどの大義があればハンクを誘拐した後にベンとジョー夫妻を呼び出して殺してしまうくらいできそうである(チャペルではベンを気絶させるだけ)。なぜそんなことすらせずに暗殺を阻止される可能性のあるロンドンまで事態を引き延ばしているのかも分からない。というかお互いがどこへ行くかもわからないのに誘拐したとしてお互いにどうやって連絡を取り合うつもりだったのか。そもそも殺し屋をモロッコで調達する意味も分からん。ロンドンで暗殺する男がモロッコの男であれば目立ってしまうだろうに。しかもあの距離の暗殺をあの銃身の銃でやってのけるのは至難の業だと思うぞ。

ベンはロンドンに到着するとほとんどの事情をしっているブキャナン警部に会うことになる。ここでもベンは暗殺計画の一件については話すことなく、自分たちの手で解決しようと考えているようである。ヒッチコックの警察嫌いは有名だが、いくら何でも素人二人がこの計画を阻止して息子のハンクを救出できるとは思えない。すべての事情を警察に話して協力してもらった方がよっぽど効率的で良いと思うのだが、彼らの選択には理解しがたいところがある。

暗殺が行われるかもしれないコンサート会場で、ジョーは銃が首相に向けられているのを見て叫び声をあげると、殺し屋の放った銃弾は首相の腕をかすめ大事には至らずに済んだ。さらに殺し屋を見つけたベンが殺し屋ともみ合い、殺し屋は2階席から落下して死んでしまう。わざわざモロッコで雇った殺し屋が中年のおじさんともみ合いの末に突き落とされるって間抜けすぎるわ。しかも、この首相もその周囲も暗殺されかけたのに呑気である。もし殺し屋がもう1人いたらと考えないのか。国のトップになる人間はこれくらい図太くないとダメなのだろうか。しかも、病院へ行くこともなくコンサート会場で首相はジョーに感謝を伝えている。特殊な銃弾が使われていた可能性とかも考えないようだ。それもこれも後の場面に繋げるための意図があるのは分かるが。

そして、ジョーの叫び声が命を助けたと考える首相からの招待を取り付けてハンクのいる可能性の高いと考える大使館へと向かい、ジョーがあの「ケ・セラ・セラ」を歌う。すると、2階にいるハンクがその歌声が母親のものであると気付き、さらに護衛についていた女が彼らに同情的で口笛で応えるように促すとベンが駆けつけて助けてくれる流れになる。首相から感謝される流れ、大使館にハンクがいる点、歌声と口笛の応酬、護衛の女が協力的である点、ベンが犯人をやっつける流れはいくら何でも都合が良すぎる。その前のコンサートシーンの見せ方を考えると、以降の場面はあまりにも雑に見える。

男女の描き方を見るに、男性は無意識のうちに女性をコントロールしようとする人間であり、その事実に気付いていない。一方、女性の勘が正しく、女性の自発的で勇気ある行動が人の命を助けている。その観点で映画を観ると割とスッとするものを感じるのだが、肝心のサスペンスに関する部分はあまりにも雑である。オリジナルに比べると本作の方が圧倒的に評価を受けているが、どっちもどっちという印象。

【関連作品】


暗殺者の家(1934)」…オリジナル
「知りすぎていた男(1956)」…リメイク



取り上げた作品の一覧はこちら



【配信関連】

<Amazon Prime Video>

言語
├オリジナル(英語/アラビア語/フランス語)

 

【ソフト関連】

<BD>

言語
├オリジナル(英語/アラビア語/フランス語)
├日本語吹き替え
映像特典
├メイキング・オブ・『知りすぎていた男』
├プロダクション・フォト
├劇場用予告編
├ヒッチコック予告編集