【作品#0733】セブン(1995) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

セブン(原題:Se7en)

【Podcast】

Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。

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【概要】

1995年のアメリカ映画
上映時間は127分

【あらすじ】

退職まであと1週間のサマセット刑事と新しく赴任してきたミルズ刑事は、死体発見現場に到着すると、そこには手足を拘束された肥満の男が殺されていた。翌日には弁護士が殺害され、それぞれの現場から「暴食」「強欲」の文字が残されており、サマセットはキリストの「七つの大罪」をモチーフにした連続殺人ではないかと推察し、捜査を進めていく。

【スタッフ】

監督はデヴィッド・フィンチャー
脚本はアンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
音楽はハワード・ショア
撮影はダリウス・コンジ

【キャスト】

ブラッド・ピット(デヴィッド・ミルズ)
モーガン・フリーマン(ウィリアム・サマセット)
グウィネス・パルトロウ(トレイシー・ミルズ)
ケヴィン・スペイシー(ジョン・ドゥ)
R・リー・アーメイ(警部)

【感想】

「エイリアン3(1992)」に続くデヴィッド・フィンチャーの監督2作目。3,300万ドルの製作費に対して全世界で3億2千万ドルを売り上げた。また、アカデミー賞では編集賞にノミネートされている。

刑事のバディものは1980年代から1990年代にかけて流行し、多くの組み合わせで製作された。中でも本作のような年上の黒人と年下の白人という組み合わせは「リーサル・ウェポン(1987)」に始まるシリーズを連想する。

この映画で考え方が変わるのはサマセットである。彼の場面で始まり、彼の語りで映画が終わる。サマセットとミルズのダブル主演と捉えることはできるが、主人公はサマセットであると考えるのが妥当であろう。

おそらくサマセットはこの町で生まれ、この町で育ち、そして今までこの町を離れたことはない人物であろう。ソフトに収録されている未公開シーンではサマセットが田舎の家の内見に行く場面がある。おそらく本作の舞台となる町ではないどこか田舎であろう。引退したら静かに一人で田舎暮らしという夢を抱いていたのだろう。ただ、本作の結末を考えると、サマセットは田舎暮らしをする考えを翻してこの町で生きていくことになるはずだ。

サマセットは1週間後に定年を控えている刑事である。長年の勘から、担当する殺人事件が始まりであると感じたサマセットは定年までに仕事が片付くわけもないと考え、警部に担当を外すように依頼している。ところが警部は「今までにだって未解決事件はあったのだから」と言って事件を担当するようにサマセットを説得している。分署で人も少ないし、空いている刑事といえばつい先日赴任したばかりのミルズしかいないが、彼に任せられると警部も思っていない。サマセットは渋々その仕事を引き受けることにする。

サマセットはベッドで眠りにつく前にメトロノームを使っている。一定のリズムを刻むメトロノームこそ、サマセットの生活リズム、刑事としての習慣、そして彼の生き方を表している。メトロノームを使うことで町の喧騒(誰かの声やサイレンの音)から目(耳)をそらし、自分の思う道をただひたすらに進むことができる。周囲に邪魔されたくないサマセットの考えこそ、後に出てくる「無関心」の表れであると感じる。

冒頭の殺人事件の現場でサマセットは同僚の刑事に犯行現場を子供が見たのか確認すると、その刑事はどうでもいいと反応し、サマセットが相棒でなくて良かったとまで言っている。サマセットは周囲から煙たがられている。この段階でサマセットは「良い刑事」として観客に印象付けられていることになる。

また、酷いことを言われても反論するでも悲しく思うでもなく無表情であり、こちらも後に話題となる「無関心」でもある。サマセットは周囲の刑事に対して無関心なのだ。ただ、子供のことを心配している様子から周囲の刑事に比べると感情もあり関心のあるように見える。関心と無関心という相反するものが混在するところに人間らしさも感じる。そして、この映画にほとんど登場しない子供という存在がじわじわ効いてくる。

初対面のミルズに対してサマセットはこれから一杯でもと誘うが、署に挨拶に行きたいというミルズに断られる。これもいつものサマセットなのだろう。新しく赴任してきた後輩がいたらいつも飲みに誘っていたのだろう。実はこの辺りからサマセットは自分のペース、生き方が徐々にミルズによって乱されていくことになる。

サマセットはミルズと最初に会話する場面で「黙って見ていればいい」と言っている。ここもこの地で長く刑事をしており、さらに大先輩のサマセットが新米刑事相手に自分のペースを覚えさせようとしているように見える。そこでミルズは「俺は守衛じゃない」と言い返している。サマセットはミルズをひとりの人間(=刑事)として見ていない「無関心」な存在に見える。

巨漢の男の遺体のある現場に向かう途中でミルズが巡査相手に話をすると、サマセットはそれを咎める。「黙って見ていればいいと言ったのに」と言わんばかり。さらにはミルズは現場で過去の経験を話し始め、口数が減ることはない。静かに現場検証をしたいサマセットは、近所で巡査と聞き込みをするように言ってミルズを追い出している。

サマセットはミルズに意見を求めることはなく、ミルズの現場検証能力を期待していないし、ミルズの経歴にも興味がない。自分の経験、勘、行動こそがすべてであり、それを曲げようとしない頑固者にも見えるのだが、ここは相手が若者でありまだ頼りないミルズであることから、サマセットの方が「頼りになりそう」と観客に映るわけである。

サマセットの部屋に警部がやってきて話をする場面がある。そこでは入り口のガラスに直接印字されたサマセットの文字を業者の男が削り落としている。警部との大事な話の最中だったので、サマセットはその業者の男に「(今は削り落とすのを)やめてくれ」と言っている。これはサマセットがまだ刑事として働く気がある、またはこの事件の捜査を担当する気があることの表れと取ることができるだろう。この場面では警部から「お前は刑事を辞められないだろう」とまで言われている。サマセットはあと6日で退職すると言っているが、まるでそう言い聞かせているかのようにも聞こえてくる。

また、警部からニュースを見たかと聞かれてサマセットは「見ていない」と答えている。もう自分からニュースで得られる情報を積極的に取りにいっていないのだろう。それに、近所で起こった事件を引き合いに「もうついていけない」と言っているが、警部から「ずっとこうだ」という問いに「確かに」と返答している。世の中そう簡単に変わるものではない。

サマセットはミルズの妻トレイシーから食事に誘われてミルズが犬と戯れている間にミルズ夫妻の馴れ初めについて話している。高校時代からの付き合いで、トレイシーは「最初のデートで結婚すると思った」と話している。それを聞いたサマセットは最近では珍しいと驚いている。サマセットはミルズのことを見くびっていたが、高校時代からの付き合いのある女性と結婚していることを好意的に受け取ったに違いない。

サマセットのプライベートに友人や家族が出てくることはない。「無関心」だと思っていた世の中で、ミルズの妻トレイシーは自分のことをサマセットではなく名前のウィリアムで呼んでいるし、食事にも招待してくれた。人々が無関心だと思っていた世の中とのギャップが生じ始める。

後にサマセットは相談を受けたトレイシーに対して昔話をする。かつて一緒に暮らしていた女性が妊娠したが、こんな酷い世の中に子供を作ると考えると嫌になりその女性を説得したと語っている。サマセットがその女性に中絶をある意味で強要したのだ。ただ、サマセットは「決断は正しかったと思っているが、もし違う選択をしていたらと思わない日はない」と語っている。サマセットにとって忘れられない過去。愛する女性との間に宿った命を、世の中のせいにして殺してしまったのだ。

また、車内でミルズが銃を撃ったことがあるかどうかの話をするが、その際に撃たれて目の前で死んだ警官の名前を忘れてしまい、ミルズがイライラする。ミルズはその警官の名前を本気で思い出そうとしているが思い出せない。そんなミルズに対してサマセットは無言である。サマセットも忘れてしまった同僚や被害者たちはたくさんいたことだろう。

弁護士の夫を殺された夫人のところで、「本気で犯人を捕まえる」と言ったミルズに対してサマセットは「捜査は万が一の裁判のためにしている」と言うと、ミルズは「くだらない」と返答している。長年の経験で、本気で犯人を捕まえようと思ってもそうならないことがたくさんあり、そういうことに無関心になり、事務的にある意味プロに徹していたのだろう。仮に目の前で遺族が涙を流していたとしても「本気で犯人を捕まえる」と思えないのだ。感情で生きるミルズとは違う。

そして、ジョン・ドゥの家の一件の後、サマセットとミルズが酒場で飲むシーンがある。そこで、サマセットは「人々が無関心でいることが一番の解決」だと話している。ところが、ミルズから「人々が無関心だから辞めるんじゃない。辞めるから世の中が無関心だと思いたいんだろう」と言われる。それを言われたサマセットは何も言えなくなってしまう。さらに家に帰ってベッドに入るも、ミルズの言葉が忘れられずに寝られない。そして、ついに寝る時に使っていたメトロノームを投げ壊してしまう。

ちなみに、この場面ではミルズはベッドに入ると愛する妻のトレイシーがいるが、サマセットは一人である。この両者を並べて描くことでサマセットの世界が際立つ。また、後にジョン・ドゥを乗せた車内での会話シーンでも、ジョン・ドゥが「人々が日常の中で犯す罪を許している」という趣旨の話を始めると、サマセットは黙ってしまう。これは昨晩ミルズに言われたことでもあり、図星だからだ。

そして、ミルズと飲んだ翌朝。サマセットはミルズに対して、「捜査に残る。もう数日相棒でいたい。私の頼みだ」と語っている。同じ町で同じ仕事をある意味プロに徹して続けてきたサマセットにとってミルズは刺激的な存在で、ミルズに惚れてしまったのだ。人々が無関心の世の中だから刑事を辞めると思われたくない。そして、ある意味で無関心だったサマセットが、ミルズという人物に本気で関心を抱いたのだろう。

感情で生きるミルズ。人々の関心を集めたいジョン・ドゥ。一方で無関心な存在ともいえるサマセット。一方で、ミルズの視点からも考えていきたい。

冒頭の妻が夫を銃殺した現場で、サマセットが同僚の刑事に子供が見ていたのか確認すると、その刑事は子供の心配をするのは俺たちの仕事じゃないと言い放つ。すると、右手の階段からミルズが上がってくる。まるでこの子供の面倒がミルズのことを指しているように思える。

ミルズは前の日に緩めて外したネクタイを翌日に頭から被って締め直すようにして使いまわしている。一方でサマセットはミルズと対象的で部屋は整っておりスーツに付いたほんの小さなホコリも取り除くような几帳面さを持ち合わせており、当然ネクタイは朝に締めている。まるで毎日生まれ変わっているサマセットに対して、一日一日が途切れることなく連続しているミルズ。

妻のトレイシーからセルピコ刑事と言われているが、これはアル・パチーノが主演した「セルピコ(1973)」の主人公セルピコ刑事を指している。セルピコ刑事は、汚職にまみれる警察署内で他のみんなが受け取っている賄賂の受け取りを拒否するなどして同僚から煙たがられる刑事である。

巨漢の男の遺体のある現場に行く際にミルズはサマセットにコーヒーを用意しているが、サマセットは受け取ることなく現場に向かっている。上述のサマセットが飲みに行こうと誘ったのに断られたことに対するものに取れなくもない。

火曜日に新たな遺体が発見されると、サマセットは肥満男の件を片付けるように言われていたので、おそらく警部の指示でミルズが単独で現場に向かうことになる。ミルズが現場に向かう場面をタルボット地方検事とクロスカッティングを使い、尺を取って描いている。現場に到着すると、「俺が王様だ」と言わんばかりに椅子に座って鑑識を現場から追い出している。

自分流で頑固者のサマセットと違い、ミルズはサマセットから読むようにと言われた本をちゃんと読んでいる。でも、あまり好かないサマセットから読まれた本を「読め」と言われたから読んでいるのは嫌だから、こっそり読んでいるところは可愛げを感じるところでもある。

ミルズは今回の連続殺人の犯人を「異常者」だと決めつけ、そうであれば安心であると後にジョン・ドゥ相手に語っている。さっきすれ違った普通の人が異常者だったら困るのだ。犯人も人間なんだと言うサマセットと会話していると、ミルズは「いくら図書館に通ってもアホはアホだ」と言っている。その言葉にヒントを得たサマセットは図書館へ行って本のリストを作成し、喫茶店であった男にリストと金を渡している。

何が行われているか言われなかったミルズは不貞腐れると、サマセットはFBIは図書館で読まれる本の傾向を調べており、FBIの男に金を払ってリストにした本の貸し出し人を教えてもらうということだ。FBIの男も「サマセットだからやる」と言っており、刑事の行動の範疇を超えているのだ。先手を打ちたいミルズに対して、サマセットが「ただ待っているより良いだろう」と言っている。

その後、ジョン・ドゥの家に辿り着くと、買い物から帰って来た男が二人に向けて銃撃してくる。そこでジョン・ドゥから銃を突きつけられて撃たれなかったミルズは感情的になってジョン・ドゥの家を蹴破ってしまう。この行動にサマセットも感情的になって汚い言葉を使いそうになっている。

そこで、ミルズはサマセットに金を持っているかと聞き、次の場面でミルズはどうやら女性を買収してジョン・ドゥの家を調べる口実作りをしていたことが分かる。FBIの男を買収していたサマセットの行動からミルズが学んだのだ。そして、違法行為をしていたサマセットがミルズに何も言えないのは当然のことである。さらに、冒頭の犯行現場であれだけうるさかったミルズも黙ってジョン・ドゥの家を捜査している。これもミルズなりの成長であり、サマセットの言葉を「素直」に受け入れてきた結果であろう。

ちなみに、ジョン・ドゥの家を捜査している時に、サマセットの持つ懐中電灯はしっかり電気が点いているが、ミルズの持つ懐中電灯は点いたり消えたりしている。まるでミルズに待ち受ける悲劇の予兆のようだ。

ミルズは自分に捜査をやらせてくれとか、自分の経歴を語ったりと自分を大きく見せようとしている少し子供っぽい存在として映る(落ち着いたサマセットが隣にいる以上そう見えるのは仕方ない)。そして自分の髪の毛を撫でるように触る癖がある。興奮する自分を抑え込もうとしているようにも見て取れる。

ジョン・ドゥの弁護士からの提案を聞いた二人が彼の誘いに乗ることを決めた後、胸にピンマイクを付けるためにサマセットとミルズがカミソリで胸毛剃りをする場面がある。ミルズが「乳首を剃り落としたら労災降りるかな」なんて会話をしているが、その当人の妻は首を切り落とされている。何と残酷なジョークを言わせる場面なんだ。

また、その後に神妙な面持ちをしたミルズがサマセットに何かを言いかけてやめている。ここでミルズが何を言いかけたのかは説明がないので分からないが、彼の不安げな表情と、髪の毛を撫でるように触る癖があるところから、良くないことを言おうとしたのではないかと思う。この町で妻のトレイシーと生活していけるかどうか不安に思っていることだろう。妻のトレイシーはサマセットにこっそり会って相談していた。トレイシーは子供を産みたいが夫に負担を掛けたくないと考えている。ミルズはラストのジョン・ドゥの話からして妻のトレイシーの妊娠は本人から知らされていなかったことだろう。また、サマセットに相談して産みたいと思っていながら夫を想ってトレイシーは妊娠という良いニュースを言い出せずにいた。トレイシーだって精神的に不安定な状態だったことだろう。そんなトレイシーを見てミルズが不安に思っても仕方ない。

ジョン・ドゥを後部座席に乗せた車内でミルズはジョン・ドゥに対して、お前が異常者だったら安心だと素直に話している。また、これだけの連続殺人を犯してもジョン・ドゥは所詮はワイドショーのネタにしかならずに、すぐに人々は忘れてしまうと言っている。実際にミルズも目の前で亡くなった警官の名前を忘れてしまっている。

また、車内で3人を捉える場面では、運転席と後部座席を隔てる柵越しに捉えるショットと、柵の前にカメラを置いたショットが混在している。特にミルズを捉えるショットで柵越しのショットが多数ある。ミルズが柵の向こうにいて、置いてけぼりを喰らっているようでもある。

ジョン・ドゥは当初の予定があったが、ミルズが家を突き止めて捜査にやってきたことで予定を変えることになった。サマセットやミルズが違法捜査をしていなければミルズは妻とお腹にいた赤ちゃんを殺されずに済んだ可能性がある。

「感情で生きる」ミルズは、喜怒哀楽を表現してきたが、愛する妻のトレイシーを殺され、さらにその場で身籠っていたことも知らされ、その殺したジョン・ドゥを自分が殺してしまえばジョン・ドゥの勝利になってしまう。それでも愛するトレイシーのことを思い出すと、ミルズは引き金を引いてしまい、死んだジョン・ドゥに何発も撃ちこんでしまう。映画のラストは、ミルズが車に乗せられているところだが、ミルズは無表情である。感情で生きてきたミルズが感情を失い無になっている。また、皮肉にもジョン・ドゥを乗せていたであろう車の同じ後部座席に座らされている。

映画の主人公がとんでもない目に遭って映画が終わるなんてもちろん数えきれないほどにあるのだが、これほど著名な作品も数えるくらいしかないだろう。やはりこれは、デヴィッド・フィンチャー監督のキャリアにも関係しているように思う。

いきなり現場へ行けと言われて来たミルズ。名前はデヴィッド。これは本作の監督であるデヴィッド・フィンチャーと同じである。署に挨拶へ行く前に現場へ行かされている。「エイリアン3(1992)」では、多くの監督が検討される中、映画監督の経験のないデヴィッド・フィンチャーが呼び寄せられた。そして、サマセットや警部からは素人同然の扱いを受けることになる。また、ミルズはけんかしてまでこの分署に来たという設定である。これは前作「エイリアン3(1992)」で製作陣やキャストらと揉めたことを指しているように思える。

また、他者に無関心で頑固者であるサマセットこそ、デヴィッド・フィンチャー監督から見た映画界そのもののように感じる。ミルズという若者に徐々に影響されて最終的にはサマセットの側からミルズに歩み寄っている。とんでもない結末を迎えても、警部はミルズの面倒を見ると言っている。これぞデヴィッド・フィンチャー監督の映画キャリアのスタートとも言えるのではないか。

基本はサスペンス映画ながら、特殊部隊が乗り込む場面やジョン・ドゥとの銃撃戦には光る演出もあり、そういった場面のアクションシーンが本作に緩急をもたらしている。走る登場人物を捉える際に手持ちカメラに切り替わるところは、後のデヴィッド・フィンチャー監督の「ザ・キラー(2023)」でもやっていた演出である。

また、ジョン・ドゥは「人に話を聞いてもらいたければ肩を叩くのではなく、ハンマーを使う必要がある」と言っている。まさに本作は観客の肩をハンマーでたたくような強烈なインパクトを残す作品となっている。

そして、終始暗い映像で展開していく映画内では雨が降り続いている。そして、ジョン・ドゥが捕まる辺りから徐々に雨は上がり晴れていく。また、室内などの狭い場面が続き、そして終盤は3人を乗せた車内での映像も多数ある中、ようやく外の様子が分かるようにカメラはロングショットを多用していく。この演出の緩急も見事であり、ヘリコプターが高圧電線のある場所に行く時に視界が開けていく感じはドキッとさせられる。

それから、音楽には「羊たちの沈黙(1991)」などの音楽を手掛けたハワード・ショアを起用している。本作らしい音楽であり、音楽にも緩急の演出が冴えわたっている。

何と言っても役者陣の好演を褒めないわけにはいかない。ブラッド・ピットとモーガン・フリーマンは申し分ない組み合わせであり、両者ともアカデミー賞にノミネートされなかったのが不思議なほどである。また、ラスト30分でようやく登場するケヴィン・スペイシーも文句なしの存在感。

猟奇殺人の皮を被った人間ドラマ。主人公の年老いた定年前の刑事が若者に触発されて変わっていく物語。デヴィッド・フィンチャー監督は後にも素晴らしい作品を残しているが本作はまさに完璧とも言うべき作品だったと思う。

【音声解説1】


参加者
├デヴィッド・フィンチャー(監督)
├ブラッド・ピット(ミルズ役)
├モーガン・フリーマン(サマセット役)

デヴィッド・フィンチャー監督とブラッド・ピットは会話しているが、モーガン・フリーマンは別撮りの音源を彼らの会話の合間に挟んでいるというちょっと特殊な音声解説。

「エイリアン3(1992)」で失敗したデヴィッド・フィンチャー監督が本作にかけた思い、単なる娯楽作にはしたくないというブラッド・ピットの思いがプラスに働いたことが伝わって来る。終盤の車内での会話シーンでの演技をブラッド・ピットが後悔している話は興味深かった。

また、モーガン・フリーマンは演技に臨む上での準備の話など興味深かっただけに、彼だけで別に通しで解説してほしかったものだ。

【音声解説2】


参加者
├リチャード・ダイアー(学者)
├アンドリュー・ケビン・ウォーカー(脚本)
├リチャード・フランシス=ブルース(編集)
├マイケル・デルーカ(ニュー・ライン・シネマの社長)
├デビッド・フィンチャー(監督)

ストーリーに関連するスタッフそれぞれの別撮りの音声を繋ぎ合わせた音声解説。脚本家がどういう思いで本作のストーリーを作り上げていったのかを聞くことができる。

【音声解説3】


参加者
├ダリウス・コンディ(撮影)
├アーサー・マックス(プロダクション・デザイン)
├リチャード・フランシス=ブルース(編集)
├リチャード・ダイアー(学者)
├デビッド・フィンチャー(監督)

映像に関連するスタッフそれぞれの別撮りの音声を繋ぎ合わせた音声解説。映像面も大きな注目を集めた本作。ロケハンから、小道具などの美術、照明の当て方、追加撮影時の苦労など、ここまで細かく触れて話を聞くことができるのも珍しい。これを聞いたうえで再見したいと思えるほどの音声解説だった。

【音声解説4】


参加者
├レン・クライス(サウンド・デザイナー)
├ハワード・ショア(音楽)
├リチャード・ダイアー(学者)
├デビッド・フィンチャー(監督)

音に関連するスタッフそれぞれの別撮りの音声を繋ぎ合わせた音声解説。特にレン・クライスとハワード・ショアがメインで話している。レン・クライスは音響を作り上げる過程、ミスした箇所への言及、音響の素晴らしい好きな映画への話などフランクに、そして丁寧に話してくれる。

また、ハワード・ショアは普段の映画音楽を作る際のアプローチ方法、過去の作曲を担当した作品との違いなどを話してくれる。また、この音声解説の本編にはセリフがなく、音響や音楽だけが聞こえるように工夫されている。部分的にではあるが、セリフなしで映画を見るという珍しい体験ができる。強いて言うなら音響と作曲の話は別々のトラックで聞きたかった。



取り上げた作品の一覧はこちら



【配信関連】

 

<Amazon Prime Video>

 

言語

├オリジナル(英語)

 

【ソフト関連】

 

<BD>

 

言語

├オリジナル(英語)

├日本語吹き替え

音声特典(音声解説1)

├デビッド・フィンチャー(監督)、ブラッド・ピット(出演)、モーガン・フリーマン(出演)による音声解説

音声特典(音声解説2)
├リチャード・ダイアー(学者)、アンドリュー・ケビン・ウォーカー(脚本)、リチャード・フランシス=ブルース(編集)、マイケル・デルーカ(ニュー・ライン・シネマの社長)、デビッド・フィンチャーに(監督)よる音声解説

音声特典(音声解説3)
├ダリウス・コンディ(撮影)、アーサー・マックス(プロダクション・デザイン)、リチャード・フランシス=ブルース(編集)、リチャード・ダイアー(学者)、デビッド・フィンチャー(監督)による音声解説

音声特典(音声解説4)
├レン・クライス(サウンド・デザイナー)、ハワード・ショア(音楽)、リチャード・ダイアー(学者)、デビッド・フィンチャー(監督)による音声解説

映像特典
├プロダクション・デザイン
├スチール・コレクション:ジョン・ドゥが撮った写真/ビクターの腐敗していく写真/警察の現場写真/プロモーション用スチール/ジョン・ドゥのノートブック
├未公開映像集
    ├削除されたシーン/未使用カット:/オリジナル・オープニング/ストーリーボードによるオリジナル・オープニング/“大食”の現場から戻る車の中で/小銭くれ!/私の未来/トレーシー目覚めのあと/ビクターのアパートへ/“高慢”
    ├もうひとつのエンディング:製作段階のオリジナル・エンディング/もうひとつのエンディング(ストーリーボード)
├マルチアングルでみるオープニングタイトル
├プロモーション用映像
├ホームシアター向けマスター制作作業
    ├オーディオ・マスタリング ブラント・ビルズ&ロバート・マーゴウレフト(オーディオ・デザイナー)による音声解説
    ├ビデオ・マスタリング ステファン・ナカムラ(カラーリスト)、エヴァン・エデリスト(ニューライン・シネマ ビデオ制作部門バイス・プレジデント)による音声解説
    ├カラー・コレクション ステファン・ナカムラ(カラーリスト)による実演と音声解説
├テレシネ・ギャラリー
    ├シーン1:雨の中の“大食”殺人現場前
    ├シーン2:“大食”殺人現場
    ├シーン3:ラストシーン
├オリジナル劇場予告編

 

 

<BD(コレクターズBOX)>

 

言語

├オリジナル(英語)

├日本語吹き替え

音声特典/映像特典

├上記BDと同様

封入特典

├コミックブック(232P)

 

【音楽関連】

 

<CD(サウンドトラック)>

 

収録内容

├16曲

 

【グッズ関連】

 

<ポスター>

 

サイズ

├20cm×30cm

├30cm×45cm

├40cm×60cm

├50cm×75cm

├60cm×90cm