【作品#0729】ザ・キラー(2023) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

ザ・キラー(原題:The Killer)

【Podcast】

Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。

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【概要】

2023年のアメリカ映画
上映時間は118分

【あらすじ】

殺し屋のクリスチャンはパリでの暗殺に失敗し、ドミニクの隠れ家に戻ると恋人が入院するほどの大怪我を負わされてしまう。クリスチャンはその復讐を決意する。

【スタッフ】

監督はデヴィッド・フィンチャー
脚本はアンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
音楽はトレント・レズナー/アッティカス・ロス
撮影はエリック・メッサーシュミット

【キャスト】

マイケル・ファスベンダー(クリスチャン)
アーリス・ハワード(クレイボーン)
ティルダ・スウィントン(エキスパート)
チャールズ・パーネル(ホッジス)

【感想】

デヴィッド・フィンチャー監督が前作「Mank/マンク(2020)」に続いてNetflix映画として撮った一本。フランスの同名グラフィックノベルの映画化でデヴィッド・フィンチャー監督は20年以上も映画化を考えていたプロジェクトである。また、アンドリュー・ケヴィン・ウォーカーは、クレジットされた作品としては「セブン(1995)」以来となるデヴィッド・フィンチャー監督作品の脚本作品となった。そして、マイケル・ファスベンダーにとって映画出演は「X-MEN:ダーク・フェニックス(2019)」以来、4年ぶりとなった。2023年9月にヴェネツィア国際映画祭で上映され、10月には一部劇場にて一般公開され、そして11月にNetflixで全世界向けに配信となった。

プロットだけ見れば、ありふれた作品であり、なんならB級アクション映画でよく見かけるものである。殺し屋の男が暗殺に失敗し、そのせいで恋人が重傷を負わされ、その復讐に走るというもの。こんなありふれたプロットでもデヴィッド・フィンチャー監督らしい魅力ある一本に仕上げるんだから素晴らしい。映像作家のデヴィッド・フィンチャーらしく、冒頭のクレジットが表示される際の映像も洒落ている(一コマずつ確認して見たいほど)。

本作はコメディとして製作した一面もあるように思う。冒頭から主人公クリスチャンのナレーションで映画は進んでいく。クリスチャンの仕事ぶりを見せつつ、ナレーションでクリスチャンの仕事に対する姿勢、生き方が垣間見える。かつての名選手の通算打率を引き合いに出して、自分の仕事の成功率は10割だと言っている。そして、その後に向かいのホテルにいる標的を射殺しようとしたら手前にいた娼婦に命中する。ここまで振りに振って盛大に失敗する。まるで娼婦によるSMプレイから標的を救ったようにさえ見えてしまう。この娼婦の撃たれっぷりも見事である。また、この振りに振って失敗するところは、北野武監督版の「座頭市(2003)」のラストなんかをちょっと思い出す。自分は天才でも特別でもないと言いながらも自分の仕事の実績を語るあたりに、相当な自信とプライドを持っていることは分かる。

そんな本作も一番ハラハラするところが、編集などの感じからして犬に追いかけられる場面である。暗殺者の映画で一番ハラハラさせる演出をしているのがここなんだからコメディ映画の側面もやはり強いだろう。また、ホッジスの遺体を大きなごみ箱に入れてエレベーターに乗ると、途中で乗って来た男が「死体の処理かい」と聞いてくる。そこでドロレスは笑い出したのか泣き出したのかわからんような声を上げて、その男が不思議そうな顔で見つめるショットがある。笑うに笑えない非常にブラックユーモアたっぷりな場面である。それから、大ボスのクレイボーンをクリスチャンが発見する場面。超高級マンションの駐車場前に車が待機しておりクレイボーンが乗り込むのだが、車後方のナンバープレートには思いっきり「クレイボーン」と書いてある。こういったコメディセンスは絶妙だったと思う。

そして、クリスチャンは仕事が殺しであることを除けば割と普通の人間である。いざ仕事となれば心拍数は上がるし、集中するために音楽を聴く。愛する人を傷つけられたらキレる。「計画通りにやれ。予測しろ。即興はするな」と何度も言い聞かせてることで安心したいのである。

終盤にティルダ・スウィントン演じるエキスパートが食事をするテーブル席に座ると、そのエキスパートからわざわざ目の前に現れたのは失敗した自分を安心させたいからでしょうと言われてしまう。そこでクリスチャンは「会話に飢えてる」と返しており、それもある意味事実だろうが、安心したかったのは間違いなく図星だったはずだ。殺しの仕事をしながらもそのリスクを負う以上はある程度は自分なりのもしくは殺し屋なりのルールに従って行動しており、水回りはかならず消毒液を流し、スマホや武器だけでなく貸しガレージでさえもいくつも所有している。この準備にどれだけの時間と労力を割いているのかと考えるとそれだけでこっちの頭が痛くなってくる。

主人公のクリスチャンは殺しのプロであり、仕事に対しても真面目である。全世界の人口と何人の人が生まれて死ぬのかの具体的な数字まで知っており、自分の暗殺がこの数値に影響を与えることはないと言っている。暗殺者が人をひとり殺したところで全世界の統計に影響を与えることはないだろうが、こんなことをわざわざ調べてまで自分に言い聞かせているのだから、良くない事だという自覚はあるのだろう。そして、この理屈で自分なりに安心感を与えているのだろう。とはいえ、暗殺失敗が原因で少なくとも6人以上は死んでいることになる。

殺し屋でありながらも実は普通の人間のように描いている本作。パリに始まり、ドミニカへ行って、アメリカを転々として最後にドミニカへ戻ってくる。世界を股にかけた殺し屋の物語だが、実にミニマムである。

仕事をする際には心拍数を60以下にするように努めており、彼の身に着けるスマートウォッチが心拍数を教えてくれる。ドミニカで殺し屋の家に向かう際にそのスマートウォッチを外している。最初は殺し屋の家に忍び込む際にピコピコうるさいから外したのかと思ったが、スマートウォッチなら音を鳴らさないように設定することもできるだろう。それでもスマートウォッチを外したのは心拍数のルールに縛られたくなかったからだろう。これが計画通りなのか即興なのかは微妙に分かりかねるところだが、おそらくは後者よりではないかと察する。また、他にもホッジスのいる事務所に乗り込む際に清掃員に化けているが、貸しガレージの中で見つけたものから清掃員に化けるアイデアを思い付いたように見える。

それから、人間以外のもの、特に犬に対する恐怖感。クリスチャンは人間相手なら何とかなると考えていそうだが、特に犬に対しては異常なまでに警戒している。暗殺に失敗した後の空港の保安検査場で探知犬が待機している。クリスチャンは暗殺失敗後に証拠となるものを捨て、髭を剃り服も着替えており、硝煙反応が出ないようにしていた。だが、いざ探知犬を目の前にして並んでいた列から離れてトイレまで行って顔を洗っている。

また、フロリダに住む殺し屋を殺しに行く際に、その殺し屋が敷地内にピットブルを飼っており、クリスチャンはスーパーで睡眠補助剤を購入し、それを忍ばせた餌をそのピットブルに食べさせている。睡眠補助剤の量も調整したようだが、ピットブルを目の前に「思ったより大きい」というようなことを言っている。ちょっと多めにしておこうとかはないんだな。あくまで眠らせるのが目的であり、殺してしまってはいけないのは分かる。この辺りの塩梅が絶妙に思う。結局、殺し屋を殺した後、ピットブルは目を覚まし、クリスチャンは追いかけられることになる。

その計画外の出来事は他にも発生する。例えば、ホッジスを追いつめてネイルガンを3発胸に撃ち込む場面。年齢と体形と非喫煙であることから7~8分もつだろうと思っていたら思っていたよりも早めにホッジスは死んでしまった。

アクションシーンと言えるのはフロリダでの殺し屋との格闘シーンくらい。1970年代のサスペンスアクション映画のよう。非常に暗い家の中での格闘シーン。本作がネオノワールの一作と言われるのも頷ける要素であった。

会話シーンにおける役者、カメラ、脚本から判断して、クライマックスはクリスチャンがティルダ・スウィントン演じるエキスパートとのシーンだろう。中でも猟師と熊の話は印象に残るものがある。

その後、クリスチャンの恋人に暴行を加えることを結果的に指示したことになるクレイボーンとクリスチャンの会話シーンになる。あらゆる手口を使ってクレイボーンの高級マンションにあっさりと忍び込んだクリスチャンは、クレイボーンを殺すのかと思いきや殺すことはない。簡単に近づけたことを分からせたかったと言っており、まるで先のエキスパートが話していた猟師と熊の話を思わせる。次に忍び込んだ時には食器や食材に毒を忍ばせてじっくり時間をかけて殺してやると言って立ち去る。

復讐を決意してから相対した敵はすべて殺してきた。なのに、クレイボーンだけ殺さなかった。クレイボーンの話しぶりからして、クリスチャンが失敗したら彼の恋人を襲うということは全く考えていなかったようだと分かる。クレイボーンは最初から殺すつもりだったのか、確認してから決めるつもりだったのか、それとも殺すつもりはなかったのかは分かりかねるが、どうやらエキスパートの会話シーンの影響を受けたようにも見える。

結局のところ、信念をもって仕事をしてきた人間でさえも、相対した相手や経験したことから考えが変わることだってあると言いたげでもある。何かのプロフェッショナルな人間でも案外こんなもんですよと言わんばかり。暗殺に失敗して愛する人を傷つけられたが、その後の復讐に成功し、愛する人の待つ家で再び安寧の生活を取り戻しました。いや本当にそうか。実はこの主人公は相当頭が良くて、同時に頭が悪いのかなとも思えてくる。あれだけの豪邸に住めるほどの大金は持っているのだろうが、この失敗でクリスチャンは今後どうしていくのか。大ボスを殺さなかった時点でもしかしたらもしかしてもありえるぞ。

最初はクリスチャン一人しかいないフランスの寒い朝に始まった映画が、暖かいドミニカで恋人と二人で終わるんだから映像的な始まりと終わりもきれいである。

また、本作のサブテキストはデヴィッド・フィンチャー監督のキャリアについてではないかと思う。映画内では最初の殺し以外はすべて成功させている。これはデヴィッド・フィンチャー監督のキャリアについて触れているようにも思える。彼の初監督作「エイリアン3(1992)」は監督が自分の作品と認めたくないと言うくらいに、撮影中のトラブルが絶えず、批評的にも失敗した。CM撮影やミュージックビデオの監督として輝かしいキャリアを築き上げてきたデヴィッド・フィンチャー監督にとって満を持しての監督デビュー作があっけなく失敗に終わってしまった。

そんなデヴィッド・フィンチャー監督が復讐の如く次々にヒット作や話題作を世に送り出していくことになる。主人公のクリスチャンが最初に殺しをするのはドミニカの隠れ家に客を送り迎えしたタクシー運転手の男であり、車内での会話劇からデヴィッド・フィンチャー監督が失敗作「エイリアン3(1992)」の次に撮った「セブン(1995)」を思わせるところは意図的ではないだろうか(このタクシー運転手の男は仕事を家に持ち帰っていたわけだが、「セブン(1995)」でも主役の二人の刑事は家に仕事を持ち帰っている)。

新たな舞台へ行く度にクリスチャンは偽名を変えるのは、デヴィッド・フィンチャー監督が撮る映画が変わっていくところと重なっているように思える。また、計画外のことが発生することも映画撮影における定番であり、徹底した準備をしたうえで、撮影ではテイク数を重ねることで知られるデヴィッド・フィンチャー監督らしい映画内の演出ではないだろうか。

以降のクリスチャンは時にピンチに襲われながらもすべての殺人を成功させていく。これぞデビュー作以降のデヴィッド・フィンチャー監督のキャリアそのものではないだろうか。だからか、セルフオマージュも感じる箇所はある。たとえば、全編にわたって主人公のナレーションが入るとなれば「ファイト・クラブ(1999)」を思い出すし(あと、顔に痣があって他の人にその痣を見られる場面も)、クリスチャンが隠れ家に戻る際に手持ちカメラになって画面が揺れるところは「セブン(1995)」の銃撃戦のパートを思い出す。

そして、本作の映像美はやはりデヴィッド・フィンチャーらしい。特にドミニカへやって来たクリスチャンが運転する車を空撮で映すいくつかのショットは美しい。他にも、映像のどこかを切り取れば金太郎飴の如く、そのどれもがデヴィッド・フィンチャーである。

それから、クリスチャンを演じたマイケル・ファスベンダーは本作で一度も瞬きをしないくらいに心がないように描かれながらも実は人間味あるキャラクターを見事好演。彼以外には考えられないくらいにはまっていた。何といってもマイケル・ファスベンダーは「エイリアン」シリーズの「プロメテウス(2012)」「エイリアン:コヴェナント(2017)」でデヴィッドという名前のアンドロイドを演じていたのは偶然ではないだろう。

冒頭の感想の繰り返しになるが、擦り倒されたプロットでもこれだけ新鮮味ある映画体験を観客に提供できるのはまさにプロの技。幾度の視聴にも耐えうるデヴィッド・フィンチャー監督の新たな傑作スリラーだった。




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