【作品#0681】舞台恐怖症(1950) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

舞台恐怖症(原題:Stage Fright)

【概要】

1950年のイギリス映画
上映時間は110分

【あらすじ】

夫を殺してドレスが血まみれになったシャーロットは不倫相手のクーパーに助けを求める。クーパーはシャーロットの仕事用のドレスを取りにシャーロットの家に行くと、家政婦にその姿を目撃されてしまい、クーパーは旧友イヴに助けを求める。

【スタッフ】

監督はアルフレッド・ヒッチコック
音楽はレイトン・ルーカス
撮影はウィルキー・クーパー

【キャスト】

ジェーン・ワイマン(イヴ)
マレーネ・ディートリヒ(シャーロット)
マイケル・ワイルディング(スミス)
リチャード・トッド(クーパー)

【感想】

アルフレッド・ヒッチコック監督は、特例として照明の当て方についてはマレーネ・ディートリヒに一任したとされている。また、本作でマレーネ・ディートリヒが歌う楽曲にエディット・ピアフの「ラ・ヴィ・アン・ローズ」があるが、彼女たちが親しい友人だったためにエディット・ピアフは楽曲の使用を許可したとされている。

また、本作はアメリカに渡ったアルフレッド・ヒッチコック監督がイギリスで撮影した映画である。これはイギリスの学校に通っていた彼の娘との時間を作るためのものであり、さらに娘のパトリシアは本作に端役ながら出演している。

何と言っても本作はアルフレッド・ヒッチコック監督自身が冒頭の回想シーンについて間違いを犯したと認めた作品である。その事情を知らずに見ると観客によっては「どういうこと?」となってもおかしくない。つまり冒頭のシャーロットがクーパーの家に来てからの話はすべて嘘ということになる。あるキャラクターが嘘をついているという訳ではなく、映像自体が嘘というわけだ。

やはりこれは本人が認めているだけあって失敗と言わざるを得ないな。嘘の映像を流して後になって「あれは嘘でした」なんてこれは観客に対しても失礼な話である。その嘘をどう映画として見せるかが脚本家なり監督の腕の見せ所になるわけで。これならクーパーがイヴに嘘をつくだけでも良かった気はする。ただ、こういった実験的な取り組みを続けていたことは評価に値する。

また、殺人に加担したかもしれない男に対して主人公の女性がほぼ何の疑いもなく協力する流れはヒッチコック映画で言えば1930年代から何も変わっていない。いくら友人が困っていたとしてもここまでするだろうか。イヴは「もしあなたも同じ状況だったら私と同じことをする」なんて言っているが、ここまでできる人間はむしろ少ないはず。最後の最後までクーパーを信じた挙げ句、クーパーから「あれは嘘だった」と告げられ、梯子を外される結果となる。そして、イヴはクーパーをはめて映画は終わる。

そこで付き添ってくれるのは親身になってくれた警察官のスミスである。犯罪者をやっつけて、警察官が主人公に付き添ってくれる流れも「サボタージュ(1936)」「疑惑の影(1943)」と同じである。可哀想な女性に対して、犯罪者ではない警察官の男を充てがう結末は一貫しており、それと同時にやや古びている印象は受ける。たとえ女性主人公が主体的に行動したとしてもだ。

そんな本作において最も輝きを放っているのはマレーネ・ディートリッヒだろう。彼女の絶対的な存在を前に、イヴ、クーパー、スミスを演じた役者はそれぞれ打つ術がないほどに無力である(多少意図的だったとしてもだ)。彼女が舞台役者であり、役者として最後まで全うしようとする姿勢は、冒頭の回想シーンが嘘であることに観客に対して気付いてほしいというメッセージだったようにも思える。

なので、色々と思いを巡らせると、本作も決して悪い作品だとは思えない。ただ、イヴの行動原理がどうも理解しづらく、危険を犯して事件に首を突っ込んだ挙げ句、危うく共犯の疑いをかけられるところだった。スミスという善の警察官がいなければ本当に捕まっていたかもしれない。そうならなかったのは結果論であり、イヴが間抜けなキャラクターに若干見えてしまうところはある。女性キャラクターが主体的に行動さえすれば良いというわけでもないだろう。なんとも評価に困る作品。




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映像特典

├ヒッチコックと“舞台恐怖症”

├オリジナル劇場予告編