【作品#0658】かがみの孤城(2022) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

かがみの孤城

【Podcast】

Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。

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【概要】

2022年の日本映画
上映時間は116分

【あらすじ】

いじめが原因で不登校になっていた中学1年生のこころは、部屋にある鏡が突然光り中に引きずりこまれると、そこは海の中に立つ大きな城があった。

【スタッフ】

監督は原恵一
音楽は富貴晴美
撮影は青嶋俊明/宮脇洋平

【キャスト】

當真あみ(こころ)
北村匠海(リオン)
高山みなみ(マサムネ)
麻生久美子(こころの母)
宮崎あおい(喜多嶋先生)
芦田愛菜(オオカミさま)

【感想】

辻村深月(みずき)による同名小説(後に漫画化)の映画化。麻生久美子は原恵一監督のアニメ映画では4度目の起用となる。

原恵一監督の作品ではいじめっ子側や主人公を攻撃する側が映画の最後に善人になるとか、罰を受けるといったことは基本的にはない。それは「河童のクゥと夏休み(2007)」や「カラフル(2010)」でも描かれてきたことだ。アニメ映画となれば子供が見る機会も多くなるだろうが、そんな子供向けに分かりやすい勧善懲悪は用意していない。非常に現実的だと言える。

また、本作にはかがみの弧城に集まった中学生の男女がそれぞれいじめや家庭内暴力に苦しむ描写がある。いじめや暴力に加担する側の顔がぐちゃぐちゃっとなり、激しいギター音がその意地の悪さを掻き立てている。そういったトラウマを抱える子供たち、あるいは抱えていた過去のある大人たちにもある種の注意が必要な作品とも言える。

ちょっとした経験で悪の側が善人になったり、悪いことをした罰を受けて苦しみ反省したりすることは確かにあるのかもしれない。ただ、決してそんな甘っちょろいもんじゃないというのが原恵一監督のスタンスなのだと思う。本作の終盤近く、こころが向かいに住む東条萌ちゃんの家に行く場面がある。そこで萌ちゃんはいじめっ子のことについて、「あんなやつ、どこにでもいるから」と言っている。

いじめなんてそう簡単になくなるものではない。たとえどれだけ大人たちが頑張ってもいじめをゼロにすることはもはや不可能に近いことである。だからこそ、本作で終盤明らかになる同じ雪科第五中学の生徒でも(2022年時点を現代として)過去から来た子供もいれば未来から来た子供もいるところに集約されているのだろう。

いじめを受けている子供たちからすれば、「あんなやつ、どこにでもいるから」というセリフは重くのしかかるかもしれない。たとえ、環境が変わったとしても同じような奴がいればまたいじめられるかもしれないと思ってしまうはずだ。でも、「あんなやつ、いなくなればいいのに」と思ったところで何も変わらない。それが現実だ。だったら「自分が変わるしかない」のだ。あるいは、周囲の大人たちが「変われる」ように環境を整えてあげることが必要である。

最初はこころも「いじめっ子がいなくなれば良い」というのを願い事にしようとしていたが、あまりにも超個人的な願い事だったことに気付かされ反省し、最後には命を絶とうとするあきちゃんを助けるために主体的に行動していく。

そんな子供たち(大人でも良いが)が何かの共通点として繋がるのが本作なのではないかと思う。本作を見た子供たち(大人)が時を経て本作を通じて分かり合えるかもしれない。小説にしても映画にしても読まれて見られることで現在そのファン同士が繋がることができる。そして、本作公開から10年後、20年後にだって繋がることができるはずだ。まさに本作自体が誰かの「かがみの孤城」であれば本作を作った甲斐も見た甲斐もあるんじゃないだろうか。まさに本作で過去と未来の人たちが繋がったように。

本作ではかがみの弧城を通じて中学生の男女たちが出会った。彼らのほとんどが学校に通うことができない中学生である。彼らは彼らなりに様々な思いを胸に生きている。周囲からいじめられているケースがほとんどである。精神をすり減らしてでも学校へ行かなければならないのか。「カラフル(2010)」の音声解説でも原恵一監督は「学校だけじゃないよ」と言っていた。なぜ学校に行かなければならないのか。それは「義務教育だから」と言ってしまえばその通りなんだが、時に自殺に追い込まれることになるいじめのある学校へ行く必要は何なんだろうか。別にフリースクールだって構わない。

ただ、やはり子供のうちは選択肢が少ない。ある程度の年齢になれば、どの大学へ行くか、どの会社へ就職するか、どの団体に所属するかは本人の意思で決められるし、決めなければならなくなっていく。そう考えると、中学生には基本的に学校と家庭しかない。もちろん習い事や部活、その他の活動などあるにはあるだろうが、親の経済状況や教育方針に依るところが大きい。学校以外の存在を知らない中学生が、学校でいじめを受けたとして家にいるしかないのか。本作を見た子供たちにも「フリースクールがあるんだ」と知ってもらえる機会にもなっただろう。もしくは子供を持つ親が見れば、子供に対しての考え方を変えられたかもしれない。

そして、マイノリティがかつてより認められつつある現代において、「一律」の対応がもはや限界を迎えている。いじめを起こさせないために全員を「さん」付けで呼ぶとか…。その一方で人手不足の事情も抱えている。やはり誰かの力に頼るのも限界がある。

また、本作にはこころの母親は登場するが、父親は登場しない。明らかにいるのだが、画面内に姿を現さないし、声も聞こえない。おそらく娘の教育は母親に任せており、娘のこころに興味すら抱いていないのだろう。そういった家庭も全国に山ほどあるだろう。

そして、映画体験をもとにある意味での反面教師に出来るところもある。本作にはもちろん「いじめを受けた側にも原因がある」というスタンスは全くない。だが、人や社会との繋がりを構築する上で、まだ中学生の彼らが時に間違いを犯すことだってあるだろう。嘘をついたり、必要以上に関わったり…。まだまだ未熟な彼らにとってこれから大人になっていくにつれて改善していけば良い。大人になったってうまくいかない時はうまくいかない。そういった時に原因を「相手」に見つけるのではなく、「自分」の中に探すのも前向きなことだと思う。本作があくまで「自分」が変わるスタンスでもあるわけだし。だからこそ「かがみ」がキーになっているのだろう。

単に子供たちを喜ばせるために作られたアニメーション映画ではない。子供だけでなく、一緒に見に来た大人にまで気付きを与え、これほどまでに真摯に手を差し伸べる作品もない。割と日本アニメーション映画史に残る傑作だと思う。




取り上げた作品の一覧はこちら

 

 


【予告編】

 

 

【配信関連】
 

<Amazon Prime Video>

 

 

言語

├オリジナル(日本語)

 

【ソフト関連】

 

<BD(2枚組/完全生産限定盤)>

 

言語

├オリジナル(日本語)

映像特典

├プロモーション映像集

├舞台挨拶

├「かがみの孤城の前と後」

封入特典

├豪華特製ブックレット3冊
  ├ 劇場パンフレット再編集版
  ├ STORYBOARD BOOK(名シーンコンテ集)
  ├ ARTWORK BOOK(原画&入場者プレゼントイラスト集)
├封筒入り特製カードセット

 

【音楽関連】

 

<主題歌「メリーゴーランド」>

 

 

<CD(サウンドトラック)>

 

収録内容

├35曲/69分

 

【書籍関連】

 

<小説>

 

形態

├紙/電子

著者

├辻村深月

出版社

├ポプラ社

長さ

├587ページ