【作品#0649】逃走迷路(1942) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

逃走迷路(原題:Saboteur)

【概要】

1942年のアメリカ映画
上映時間は109分

【あらすじ】

バリー・ケインが働く航空機工場で破壊工作員による爆破が発生した。フライという男から手渡された消火器にガソリンが入っており、バリー・ケインは被害拡大の容疑者になってしまう。

【スタッフ】

監督はアルフレッド・ヒッチコック
音楽はフランク・スキナー
撮影はジョセフ・A・ヴァレンタイン

【キャスト】

プリシラ・レイン(パット)
ロバート・カミングス(バリー・ケイン)

【感想】

アルフレッド・ヒッチコックがかつて破壊工作について描いた「サボタージュ(1936)」の原題(Sabotage)と混同されることがあるので注意が必要である。

本作は本題に入るのが非常に早い。バリー・ケインが働く航空機工場では大きな火災が発生して、バリーは親友メイソンと現場に駆け付ける。直前に顔と名前を知ったフライという男から消火器を手渡され、その消火器を親友メイソンに手渡すと、メイソンは消火しようとして炎の中で死んでしまう。事情聴取でその事情を話すも、フライという従業員はいないことが後に判明し、バリーは破壊工作の容疑者になってしまう。

まず、このプロットが飲み込みづらい。もしメイソンが生きていればバリーが容疑者になることもなかっただろうし、最初の火災を起こしたのは誰なのかという話になる。さらには、火災の被害を大きくするために消火器にガソリンを入れたとしてもそれを手渡せば疑われる可能性がある。そんなリスクを冒す必要がない。火災が発生すれば他の誰かが勝手に消火器を取りに行くだろう。非常にスピーディーなオープニングではあるが、主人公に疑いがかけられる展開としてはあまりにも不自然である。

その後は冒頭にフライが落とした封筒に書かれた住所を頼りに、バリーはトビンという男の牧場へやって来る。たかだかほんの数秒間だけ封筒を見ただけで住所や名前まで覚えられるだろうか。さらには、ここでフライが封筒を落とすという凡ミスさえしていなければ進まなかった話である。

そこへ行ってトビンに会うも「フライなんて男は知らない」と言われる。ところが孫娘がトビンのポケットから取り出したフライからの電報には、「ソーダシティに向かう」と記載されていたのだ。偶然にしては都合のいい展開が続いていく。

そして、トビンが呼んだ警察に捕まり、バリーは護送されることになる。護送される車の中で同乗者が油断する隙に車を降りたバリーは橋の上から川へ飛び下りる。橋の上にはトビンの牧場まで車に乗せてくれたトラックの運転手の男が偶然居合わせ、追手の場所を教えてくれたことで、バリーはその場から逃げることに成功する。トラックの運転手が偶然この場所を通りかからなければバリーは逃げきれなかっただろうし、この運転手が警察に協力することなく、たかだか一度トラックに乗せた男を問答無用で支援することになる。そして、こんな調子で物語は進んでいくことになる。

警察から逃げたバリーはある家に雨宿りさせてもらうことになる。その家主マーティンは盲目であり、手錠をしているバリーにとっては都合の良い状況である。ただ、後に彼はバリーが逃亡中の身であり、手錠をしていることもすべて「音」でお見通しだったことが分かる。また、後にやってきた彼の姪パットは容疑者のバリーを警察に引き渡そうとするが、マーティンは「人を無暗に疑ってはいけない」と諭し、パットに対してバリーへ協力するように言う。手錠をした逃亡者に対して周囲の人物があまりにも親切である。

パットは協力するふりをしてバリーを警察に引き渡そうとするが、途中で匿ってもらったサーカス一座の人たちの親切さに胸を打たれ、「私が悪かった」とまで言い始める。さらには「別の場所で出会っていれば」と彼らは恋に落ちてしまう。どいつもこいつも手錠をした容疑者に親切であり、唯一警察に引き渡そうとしたパットも周囲の人物の親切さからついにバリーに協力し、バリーに惚れてしまう。やはりこの描き方だと、「正しい」女性であっても、結局は「正しくないかもしれない」男性にあっさり惚れてしまう存在として描いているように見える。当時のヒッチコック映画によく見られる女性像だが、やはり古びている。

以降は、バリーとパットは破壊工作員の連絡場所を発見し、バリーだけが工作員に成りすまして連絡場所にやってきた男たちとニューヨークへ向かう。ただ、後に警察に事情を話そうとしたパットと共に正体がバレてしまう。何とか危機を脱した二人は、戦艦の潜水式が破壊工作のターゲットになっていると知り現場に向かい、あのフライが自由の女神像から落っこちるところで映画が終わる。

本作はバリーやパットの側もいまいちだが、破壊工作する側が無能すぎる。冒頭の5分だけでフライが無能なのは上述の通りだ。また、事情を知るバリーとパットを捕まえて、どう考えても破壊工作する側が有利なのにあっさり逃がしてしまう。破壊工作による人的被害など考えない彼らが、事情を知るバリーやパットを生かしたままにしておくとも思えない。

また、逃げるバリーに対して警察以外の人間のほとんどが協力的である。観客はバリーが容疑者ではないことを知っているが、他の登場人物はその事情を知らないわけである。当時、新聞の情報がほぼ盲目的に信じられていた中で、その新聞に容疑者として顔写真まで乗っている男を「無暗に疑ってはいけない」として信用するものかね。ちょっと性善説が過ぎると思う。

やはりこの手の話にロマンスを入れるのはいささか無理がある。ヒッチコック映画は巻き込まれる男女のロマンスを割と話の中心に据えることが多いのだが、そのどれもがうまく機能しているとは言い難い。本作より以前のヒッチコック映画では「三十九夜(1935)」のようでもあり、また後のヒッチコック映画では「北北西に進路を取れ(1959)」のようでもある。プロパガンダ映画としての側面もあるが、どっちにしたって大したことはない。

 

 

 

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【配信関連】

 

<Amazon Prime Video>

 

言語

├オリジナル(英語)

 

 

【ソフト関連】

 

<BD>

 

言語

├オリジナル(英語)

├日本語吹き替え

映像特典

├メイキング・オブ・『逃走迷路』
├ストーリー・ボード
├ヒッチコックによるスケッチ
├プロダクション・フォト
├劇場用予告編

 

<4K Ultra HD+BD>

 

収録内容

├上記BDと同様