【作品#0576】西部戦線異状なし(1930) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

 

西部戦線異状なし(原題:All Quiet on the Western Front)

 

【Podcast】


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【概要】

1930年のアメリカ映画
上映時間は136分

【あらすじ】

学校で教師から戦争での勝利するために戦うことを説かれたポールらは入隊を志願するが、ろくな訓練も受けないまま戦況の悪化する西部戦線へ送られることになる。

【スタッフ】

監督はルイス・マイルストン
音楽はデヴィッド・ブロークマン
撮影はアーサー・エディソン

【キャスト】

ルイス・ウォルハイム(カチンスキー)
リュー・エアーズ(ポール)

【感想】

ドイツ人作家エーリヒ・マリア・レマルクが1929年に発表した同名小説の映画化。舞台はドイツだが、ほぼ前編英語で製作され、アカデミー賞では作品賞、監督賞の2部門を受賞した。

後に数多くの反戦映画も製作され、その基本を作ったとも言える本作だが、冒頭の字幕には「本作は誰かを批判するものではない」と記される。これは邪推かもしれないが、本作製作当時の時勢を考えると、本作で悪役のごとく描かれる比較的年上の人たちのことではなく、戦場で怖がったり、故郷に帰ってきて臆病者呼ばわりされた若者のことを批判してほしくないという意図だったのではないかと感じる。

お国のために戦うことこそが良しとされたのは当時のドイツだけではないだろう。本作では冒頭の教室の場面で戦意高揚を謳う教師に生徒たちが熱狂して次々に入隊を志願する中、ベームという男だけは同級生の説得に応じて入隊を決意する形となっている。「自分ひとりだけ入隊を志願しないわけにもいかない」空気感もあっただろうし、もし入隊を志願しなければ自分だけでなく家族も恥さらしに遭ったことだろう。

ポールらは入隊を決めると、早々に営倉入りを果たすが、想像していたものとの違いを少しずつ感じていく。さらには、たった3日前までは地元の郵便配達員として親しくしていたヒンメルストスが上官の軍曹として赴任しており、親しげに話しかけるも階級の違いからあの優しかったヒンメルストス軍曹から徹底的にしごかれることになる。そして、夜に酔っ払ったヒンメルストス軍曹をポールらは集団リンチする。この時点でポールらの戦いの矛先は外ではなく内になっている。あの教師に刷り込まれた教育は戦地に向かう前から間違っていたことが分かる。

そして、夜中に出発して戦地に向かうと、すでに前線で戦う先輩たちと合流する。その日まだ何も食べていない新兵たちがその旨伝えると、先輩たちは昨日から何も食べていないと言う。「お金なら払います」と言っても、戦場でお金が役に立つわけでもなく、お酒などの嗜好品が交換条件となっていく。

その後の最初の戦闘シーンは当時の観客を驚かせたのではないだろうか。塹壕に向かってやって来るフランス兵相手に銃を連射してやっつけるところを、カメラのドリーで右に動きながら捉えるところはなかなかの迫力である。ただ、やはり当時の演出の限界から、血しぶきが出るわけでもリアルな死にざまが描かれるわけでもなく、どこかカラッとしている。それだけ命が軽く重んじられていたとも取ることはできるが。

まともな食事にもありつけず、塹壕にいれば敵の爆撃で上から砂が落ちてきて、仲間の兵士は次々に死んでいく。中でも、足を切断させられた仲間を見舞うシーンで、ある兵士が彼のブーツを見て「譲ってくれないか」と言ってしまう場面は観ていてきついものがある。他にも足を切断させられる兵士の話が描かれる。これは「塹壕足」と呼ばれる症状で、寒くて不衛生な塹壕の中に足を長時間晒すことで引き起こされるものである。さらに傷ができるとそこから菌が入り、最終的に壊疽となり、生命維持のために切断しなくてはならなくなるのである。

そして、本作の映画的な見せ場であるのがポールが休暇で故郷に戻る場面であろう。通っていた学校に出向くと、自身を戦場へ送り出す扇動をした教師から戦場での武勇伝を話すように言われる。「戦いのために命を落とす必要はない。最初の砲撃で気付いた」と正直に話すと、生徒から臆病者扱いされ、教師からもがっかりされてしまう。長い戦場の日々で戦場で命を落とすことの無意味さを感じていたポールは戦場から離れた場所ではいまだに教師が若者を先導している様子に落胆する。さらに、酒場へ行けば戦場など経験したことのない老人たちが、地図を広げて戦略について議論し、呆れたポールは何も言わずにその場を立ち去る。帰りたくて帰って来た故郷には居場所がなく、ポールは「嘘のない」戦場に戻って来る。

仲間と再会を果たしたポールだったが、また目の前で爆撃により仲間の命を失う。最後の出撃に向かう彼らを背中から捉えるショットの背景には多くの戦没者が祀られた墓が並び、向こうへ歩いていく彼らが何人も振り返りつつ先に進んでいく。若い彼らには死しかないのだ。

映画全体として見ればシリアス一辺倒というわけでもなく、言葉の通じぬフランス人女性に現を抜かす場面や、笑いを促す場面もある。さらに、人の死に関してもリアルな表現はほとんどなく、湿っぽい表現も少ない。モノクロ映画らしい無機質さとリンクして逆にリアルな表現になっている印象さえある。また、トーキーに移行して間もない時代とあり、やや仰々しい演技や演出もないわけではない。ただ、あの得られる情報に制限のある時代だからこそ、直接的な表現が必要だったんだろうなとも思う。

【関連作品】

「西部戦線異状なし(1930)」…1930年のアメリカ映画。同名小説1度目の映画化。
「西部戦線異状なし(1979)」…1979年のイギリス/アメリカ合作のテレビ映画。同名小説2度目の映画化。
西部戦線異状なし(2022)」…2022年のNetflixオリジナルとなるドイツ映画。同名小説3度目の映画化。

 

 


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映像特典

├Turner Classic Movies司会者、映画史家ロバート・オズボーンによるイントロダクション

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├ユニバーサルの100年:よみがえる名作たち

├ユニバーサルの100年:アカデミー賞獲得の軌跡

├マイ・シーンズ