【作品#0545】アンノウン(2011) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

 

アンノウン(原題:Unknown)


【概要】

2011年のアメリカ/イギリス/ドイツ/フランス合作映画
上映時間は113分

【あらすじ】

ドイツに夫婦で学会でやってきた学者のマーティンは、タクシーでホテルに到着後、1つのバッグを空港に忘れたことに気付いてタクシーで空港に向かうが、その途中で事故に巻き込まれてしまう。

【スタッフ】

監督はジャウマ・コレット=セラ
音楽はジョン・オットマン/アレキサンダー・ルッド
撮影はフラビオ・ラビアーノ

【キャスト】

リーアム・ニーソン(マーティン・ハリス)
ダイアン・クルーガー(ジーナ)
ジャニュアリー・ジョーンズ(エリザベス・ハリス)
ブルーノ・ガンツ(ユルゲン)
フランク・ランジェラ(ロドニー・コール)

【感想】

計4度のタッグを組むジャウマ・コレット=セラ監督、リーアム・ニーソン最初のタッグ作。フランスの作家ディディエ・ヴァン・コーヴラールの小説「Out of My Head(英語タイトル)」の映画化作品である。

ブルース・グリーンウッドが主演したテレビシリーズ「Nowhere Man(1995)」や「トワイライト・ゾーン」と内容が酷似していることも指摘されているが、それ以外にもアルフレッド・ヒッチコック作品や、本作に近いところだとどう考えてもボーンシリーズからの影響は大きい。

まず、ボーンシリーズからの影響について列挙していきたい。主人公が記憶障害に陥るのはボーンシリーズの始まりである。そんな自分が誰かを問い、鏡を見る場面も良く登場し、本作でも主人公が洗面所の鏡を見て顔を洗うシーンやラストの戦いの場所にまで鏡は登場した。そして、ボーンシリーズでヒロインを演じたフランカ・ポテンテがドイツ出身であったことと同様に、本作のヒロインと言えるダイアン・クルーガーもドイツ出身である。また、舞台がベルリンであること、主人公の乗る車が橋の欄干を突き破って川に転落すること、タクシーと黒いバンのカーチェイス、足を引きずる主人公の姿あたりは、「ボーン・スプレマシー(2004)」でも似たような場面を見かけた。そして、「ボーン・アルティメイタム(2007)」のラストで主人公が「I Remember Everything(すべて思い出した)」と言っているが、本作では「忘れたのか?」の問いに対し、「I Didn't Forget Everything(すべて忘れたわけではない)」と答えており、似たようなセリフまで登場している。ポール・グリーングラスの作風のようにカメラが常に揺れることはないが、アクションシーンでのかなり細かいカット割りなどは意識しているように思える。そのアクションシーンは細かくカットを割っているだけでなく、そもそものアクションシーンの迫力には欠ける印象はある。

それから、ヒッチコックからの影響も感じられる。ヒロインのジーナも主人公が妻だと思っていた女性エリザベスも金髪の女性であり、写真展の場面なんかはヒッチコック映画らしい雰囲気が漂っていた。それに、夫が学者の夫婦が学会参加のためにベルリンにやって来るという設定は「引き裂かれたカーテン(1966)」とまんま同じである。ほかにも、主人公の言い分が周囲に信じてもらえないという展開は、「バルカン超特急(1938)」や「北北西に進路を取れ(1959)」など、ヒッチコック作品の定番であった。さらに、フランク・ランジェラはじめ本作に登場するキャストの風貌などもどこかヒッチコック映画を思わせるものがある。

情報を小出しにしながら進む本作において、事態の全容が掴めるのは終盤である。主人公はプロの暗殺集団の一員として活動しており、何か月も前からブレスラー教授の暗殺計画を準備しており、アメリカからドイツへやってきたのもこの教授を暗殺するためであったのだ。ただ、主人公の事故により主人公に代わる別の人物を急遽呼び寄せ、記憶障害になった主人公は成りすます人物の設定だけを思い出したことで、事態が複雑化していったということになる。

つまり、プロの暗殺集団の一員である主人公が空港にバッグを1つ置き忘れてくるポンコツの時点で話にならない気がする。何か月も前から暗殺計画を準備してきたような集団に所属する人物なら、こんなうっかりミスはしないだろう。物語を進める上だとしても、そのバッグの中に主人公を証明するパスポートが入っていたり、主人公の妻とされるリズに一言も告げずにタクシーで空港に戻ったり、その道中でリズに連絡しようとして携帯電話の通信状況が悪かったりと、どうも主人公を不利な状況に持っていくためだけに無理やり作られた設定が多すぎる(その割にはお金は多少持ち合わせている)。また、そもそも主人公が荷物の確認をしていれば、また不運な事故に巻き込まれなければこんなことにはならなかったお話である。

それに、ジーナの知り合いのビコが巻き込まれた末に殺される展開は不要だっただろう。関係のない民間人まで殺されるとなるとそこまでして話を作らなくてもと思うし、このビコが殺されることがジーナの行動原理になっているのだとしたらそれはそれでどうかと思う設定である。

また、記憶障害である主人公が自分を学者だと思い込んでいるのに、殺し屋を格闘の末やっつけたり、車を自由自在に操れるテクニックがあったりすることに対して特に何の疑問も抱いていないのも気にかかる。その設定を観客に信じ込ませたいなら、「ボーン・アイデンティティー(2002)」で主人公が警官2人を相手にして簡単にやっつけることに戸惑うような演出は必要だったと思う。リーアム・ニーソンが演じているという時点でバイアスはかかっているが、「なんで俺ってこんなに戦えるんだ?」と思う場面がないことで、「どうせリーアム・ニーソン主演だしな」となってしまう。

それに、記憶障害になり面倒を起こしている主人公を始末しようとやって来る男たちも主人公と同レベルのポンコツである。素人のジーナが運転する車に男は轢かれ、またロドニーが乗る車も衝突した勢いで立体駐車場から転落してしまう。いくらでも避けようがあったように見えたが、プロの殺し屋があの程度の運転で殺されてしまって大丈夫なのかい。また、このジーナが主人公の拉致されるところや、どう考えても運転中の視野には入らない立体駐車場の上層階に主人公を拉致した車があることを発見するところなんかはご都合主義が過ぎる。ジーナが目撃していなければ事件が解決に向かわないような不安定なプロットも気がかりである。

それから、暗殺者であることが判明した主人公は自身が仕掛けた爆破テロを防ごうと奔走することになる。もし自分が他の誰かに成りすまして誰かを殺そうとすることを思いとどまるという設定にするのなら、記憶をなくす前に主人公が人として良いという部分を少しでも出しておく必要があったと思う。本作では主人公が妻と愛し合っていて、本当の夫婦なんだと観客に思い込ませるところが優先されているのがもったいない。これならごくごく普通の夫婦で主人公の人となりをさりげない描写で入れるべきだったと思う。

結局、核となる設定だけがあって、そこから逆算するように物語が作られたのだと思う。鑑賞中にでも疑問点が湧いてくる時点で、練り込み不足と言わざるを得ない。物語の推進力やアクションシーンに目を見張るものがあれば、細かいことを気にせず見られるが、それほどのパワーもない。




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【配信関連】

 

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├オリジナル(英語/ドイツ語/トルコ語/アラビア語)

 

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【ソフト関連】

 

<BD>

 

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映像特典

├リーアム・ニーソン:アクション・スターの証明

├キャスト&スタッフによる作品紹介