【作品#0349】波止場(1954) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

 

波止場(原題:On the waterfront)

 

【Podcast】

Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。


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【概要】

1954年のアメリカ映画
上映時間は108分

【あらすじ】

元ボクサーで落ちぶれた生活を送っているテリーは、地元ギャングのジョニーの命令で友人を屋上に呼び出したことで間接的に殺人に関与してしまう。

【スタッフ】

監督はエリア・カザン
脚本はバッド・シュールバーグ
音楽はレナード・バーンスタイン
撮影はボリス・カウフマン

【キャスト】

マーロン・ブランド(テリー)

エヴァ・マリー・セイント(イーディ)
リー・J・コッブ(ジョニー)
カール・マルデン(バリー神父)
ロッド・スタイガー(チャーリー)


【感想】

アカデミー賞では作品賞含む計8部門を受賞した作品。アカデミー賞主演男優賞初ノミネートになった「欲望という名の電車(1951)」以来、4年連続でノミネートされていたマーロン・ブランドにとって初のオスカー受賞となり、30歳での主演男優賞受賞は当時史上最年少になった。

エリア・カザン監督本人は否定しているようだが、当時彼に起こっていた出来事を想起せずにはいられない内容になっている。特に戦後、マッカーシーによる赤狩りは映画界もその矛先が向けられていた。かつて共産党員だったエリア・カザンもその嫌疑がかけられ、一切の証言を拒否して収監されるか、同胞の名前を当局に売って映画界で活動を続けるかの二択を迫られ、彼は後者を選択した。証言を拒否した映画人たちは、契約を打ち切られたり、会社を解雇されたりして表立った活動ができなくなった(ダルトン・トランボなど)。一方で、同胞の名前を当局に売った映画人たちは今まで通り映画界で活動することができた。ところが、同胞の名前を売ったという「密告」「裏切り」「チクリ」行為をよく思わない人も大勢いた。とはいえ、このやりすぎとも言える魔女狩りについて周囲が口を出すと、今度は「お前は共産主義者を擁護するのか。お前も仲間か」と言って自分が今度は証言させられなくなるかもしれない。共産主義という一党独裁が生み出す全体主義。それを排除しようとするあまりにも過激な活動が却って共産主義的になってしまっていたのが当時のアメリカだ。

こういう風潮自体は日本も変わらないと思う。例えば社内の不正を内部告発すればその社員は人事の査定で不当な評価を得ることもある。会社側の人間からすれば裏切り者扱いである。最近はこういった内部告発者を保護する動きもあるが、まだまだそういった人が報われる社会にはなっていない。多くの人間が事なかれ主義である。でも人生どこかの場面で戦わなければならない局面もあると思う。

テリーは波止場における労働組合を牛耳るマフィアの手先だった。そんなテリーが不本意ながら友人の死に関与してしまい、その友人の妹に恋をして、彼の持っていた純粋な心が蘇ってくる。テリーガ元々は優しい人間であることを示すために、鳩を大事にしているという設定は狙い過ぎだが分かりやすい。何といっても、その鳩を鷹が狙っているなんて話も象徴的である。

元も子もない話になるが、友人に美人の妹イーディがいなければ、テリーは何も変われなかったかもしれない。実はイーディも兄が殺されたから批判こそしているが、力で劣る女性故に暴力という手段には頼れない。立ち上がろうと言う神父もやはり職業柄口八丁なところもあって、嗾けられたテリーがまんまと正直に行動してしまったようにも映る。

ジョニーはテリーの兄チャーリーにテリーを黙らせるように指示を出す。タクシー内での説得の場面が映画史に残る名場面、名台詞になっていると言われている。かつてテリーは兄のチャーリーのために八百長に加担した過去がある。テリーを説得できなかったチャーリーは見せしめの如く殺されてしまう。磔のように殺されているのも宗教的な象徴性を含んでいる。

波止場でのマフィアの実態について犯罪調査委員会で証言することになる。これで完全にテリーは自分の親とも言えるマフィアを裏切ってしまったことになる。それと同時に、マフィアに何も言えない労働組合をも敵に回してしまった。裏切ったら殺される現実を彼らは間近で見て何も言えなくなってしまっているのだ。こういう裏切り者が出れば出るほど、自分たちが肩身の狭い思いをするかもしれないと思っているはずだ。

これで完全に吹っ切れたテリーはマフィアの事務所に殴り込みをかける。立ち上がるようにと言っていたイーディですら、危ないから逃げようと言うのにそんな言葉にテリーは耳すら貸さない。イーディも正直に話すことで身の危険を感じて何もできない状態になっている。イーディを演じた女優の名前がエヴァ・マリー・セイントである。セイントは聖人を意味する言葉である。

失うものなど何もないテリーが殴り込みをかけるシーンは熱い。元ボクサーと言えど複数人相手になると勝ち目はない。このまま敗れた状態で終わっていれば、後のニューシネマ期の映画を思わせるところだ。落ちるところまで落ちた男の最後の悪あがきである。

監督の実生活での裏切り行為があまりにも作品に投影されていて、実際にあった出来事を描いたとはいえ、監督の姿とあまりにも重なってしまう。裏切り行為をした自分を主人公に重ね合わせて、ボコボコに殴られることで、監督である自分も本作の主人公のように殴られているも同然と言いたげである。しかも、物語としては友人と兄が殺されると言う出来事が起こるため、正義のために立ち上がると言うよりも個人的復讐にも見えるところは惜しいところだ。

それから何といってもマーロン・ブランドという俳優の魅力。メソッド演技の申し子である彼の演技で一番有名なのは、テリーがイーディと歩きながら会話するシーンである。イーディを演じたエヴァ・マリー・セイントが白い手袋を片方落としてしまったが、マーロン・ブランドはそのまま演技を続けて、彼女の手袋を拾ってそれを手にはめるなどした。そのアドリブ自体が映画内の出来事を象徴しており、元ボクサーの男が手袋をはめて戦いに臨むわけだし、手袋の色は「白」である。


【音声解説】

参加者

├リチャード・シッケル(評論家)

├ジェフ・ヤング(マーロン・ブランドの伝記作家)


上記2名による対話形式の音声解説。映画製作の経緯、撮影手法、マーロン・ブランドという俳優、後に与えた影響などを語ってくれる。声が重なるところや、やや懐古主義的になっているところは気にかかるが、聞き応えは十分にある。

【関連作品】

 

ロッキー(1976)」…アカデミー賞を受賞した作品。チンピラをやっているボクサーが立ち上がるというプロットは割とそっくりである。また、ロッキーがエイドリアンの唇を強引に奪うシーンも本作の終盤でのテリーとイーディのシーンとそっくりである。

「クイズ・ショウ(1994)」…ロバート・レッドフォードが監督した、勝ち上がり形式のクイズ番組の裏側を描いた作品。勝ち上がった男(ジョン・タートゥーロ)が変わり者で、そろそろ正解者を入れ替えたいと考えるテレビ局が、金と引き換えに問題をわざと間違えるように指示を出す。そこでの問題は、1955年のアカデミー賞作品賞を答えるもので、正解は「マーティ(1955)」なのに、前年の「波止場(1954)」と答えさせる。「波止場(1954)」という、元ボクサーが八百長で負けた主人公の映画を、クイズの八百長の答えとして用意しているところはなかなか皮肉が効いた話である。

 

 

 

取り上げた作品の一覧はこちら

 

 

 

【配信関連】

 

 

<Amazon Prime Video>

 

言語

├オリジナル(英語)

 

【ソフト関連】

 

<DVD>

 

言語

├オリジナル(英語)

音声特典

├リチャード・シッケル(評論家)、ジェフ・ヤング(マーロン・ブランドの伝記作家)による音声解説

映像特典

├メイキング・ドキュメンタリー
├エリア・カザン インタビュー
├フォト・ギャラリー
├フィルモグラフィ
├オリジナル劇場予告編集

 

<BD>

 

言語

├オリジナル(英語)

映像特典

├メイキング・ドキュメンタリー
├エリア・カザン インタビュー
├フォト・ギャラリー