徒然なる枕草子VII 42「徒然」(心の中へ480) | isaoのブログ

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もう50年近く長き付き合いが続く先輩と
数か月前から
「近いうちに会おう!」と言い合いながら
なかなかお互いの都合が合わず
昨日、やっと折り合いがついて
時間を忘れて雑談に耽った。
「おい山岸!お前と会うのは1年ぶりだぞ!
偉い人でもないくせに、いい加減にしろよ!」
先輩は開口一番そう言って私をどやしつけた。
先輩と知り合って、何と今年で47年目となる。
その当時は当然二人とも独身で
私はまだ社会人一年生の坊やであった。
「○○さんは元気でしょうか?」
私が聞くと、先輩は
「3年前に亡くなったよ。」と静かに応える。
「おい、○○さんはどうしている?」
先輩が聞くと、今度は
「もう10年近く前に亡くなりましたよ。」
と、ぽつり私が答える。
お互いが若かった頃から
もう半世紀近く時が過ぎているのだから
二人の会話に出て来る共通の登場人物の殆どが
既に亡くっておられるのは当然の事なのだろう。
先輩はプラモデルが趣味で
もう60年近く収集しており
蘊蓄を語らせると止まらなくなってかなり煩い。
その蘊蓄を私は今日も永遠と聞かされた。
そして先輩は先輩で
嗚咽で途中何度中断もされる
私の娘との思い出話しを
辛抱強くじっと最後まで聞き終えてくれた。
「おい、今度は来月に会うぞ!必ずだぞ!」
お互い瞳を潤ませながらそう誓い合って
喫茶店の駐車場で二人は別れた。
こんな我儘で
偏屈で理屈ばかり捏ね回す年下の私の
いったい何処を気に入ってくれたのか
私は思わず感謝の思いで
先輩の後ろ姿に胸の中で合掌した。


幕は突然降ろされて(心の中へ480)
04:17
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今月は初頭から
何だかんだと用事が重なって忙しい月となった。
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疲れていたのだろうか、
昨夜はいつもよりも早い時刻に寝てしまった。
そのお陰で今朝の目覚めは早く、
ベッドから起き上がったのは
まだ夜明け前の事だった。
今、色々な本と並行して
「毛沢東の私生活」(上・下巻)2巻
を読み返している。


著者・李 志綏は1954年から1976年、
毛沢東が死去するまで
主治医として
常に最も近い位置で毛沢東の健康管理をしていた。
当然、毛沢東の執務中、
その私生活の時間に関わらず
彼の行動の何もかもを
じっと観察・見つめているのが
李 志綏に与えられた仕事だった。
李 志綏は1988年、アメリカに亡命し
「毛沢東の私生活」を書きあげ、発刊した。
その際、李 志綏は時の中国政府から
様々な警告・脅迫を受けており
身の危険を感じていた。
そして李 志綏は言った。
「もし私が殺されてもこの本は生き続ける。」と。
そして、その不気味な予言じみた言葉通り
本書が発刊された3か月後に
彼は何故かシカゴの自宅浴槽の中で
溺死体となって発見されている。
本書の発行は1997年とあるので
私は27年前に一度この本を読んでいる。
中国最後の皇帝・毛沢東が
いったいどんな贅沢で
酒池肉林の自堕落な私生活を送っていたのか。
本書はそんな凡人が抱く好奇心が
充分過ぎるほど満たされる
贅沢な一書だった。
その次に読む予定なのは
産経新聞取材班監修
「毛沢東秘録」(上・中・下)3巻である。


私がこの本を読了したのは
2001年3月発刊の初版本であるから
今から23年前の事になる。
いかにも新聞社が刊行した本らしく
時系列で中国の今を詳しく取材していて
まるでNHKの特番を観ているかのような
錯覚を起こさせた内容の濃い本だった。

毛沢東死後の中国における苛烈な権力闘争が

映像として脳裏に浮かんで来るような

俊逸過ぎる一冊である。
そして更に次はユン・チアン著
「新説 毛沢東」(上・下巻)2巻なのだが


実はこの本、買っただけで
上巻途中で読むのを断念している。
その理由は上下巻合わせて1,489ページと、
とても長いのだ。
言い換えれば
それだけ本書が表す毛沢東の姿は
細部に渡り詳しく丁寧に描かれているのだ。
時系列かつ事実に基づいて書かれているので
読みだすと胸に浮かんだワクワク感が
徐々に満たされて行き、
とても面白い本なのであるが
仕事の休憩時間や何かの待ち時間に読むには
適していない本でもある。

じっくりと腰を落ち着けて読まねばならない。
近年、と言ってもこの20年ほどの間で
毛沢東の告発本は幾種類も刊行されており
長年隠されて来た
中国最後の皇帝・毛沢東の悪魔的な素顔が
少しづつ暴かれ始めている。
毛沢東は
人類史上最も多く自国民の人命を奪った
極悪人である。
1958年に発動された「大躍進政策」の失敗で
1959年〜1962年にかけて、
3年間も続く大飢饉を引き起こした。
その結果、最少でも
4500万人もの自国民を餓死させている。

この時期、毛沢東が発令した

まるで笑い話のような本当の命令が有名である。

何と毛沢東は「雀」撲滅令を発したのである。

農民が育てる米を啄む雀は人民の敵だ!

撲滅せよ!と大号令を発したのである。

その結果、中国大陸全土で

雀たちは10億を超える人民に追われ、罠を掛けられ

殆ど絶滅に近い状態に陥ってしまったのだった。

すると自然界の食物連鎖の秩序が崩壊し

中国全土で害虫が猛烈な勢いで増殖して

大地の緑色をした全ての植物を

食い尽くしてしまったのである。

大陸全体に及ぶ大飢饉はこうして始まった。

毛沢東が危惧した程、

雀たちは人民の米を

盗み喰いをしてはいなかったのだ。

慌ててロシアから大量の雀を仕入れて

中国大陸に放たれた雀たちは

増殖した害虫をあっという間に食い尽くした。

であるから、現在中国の木々に留まり

チュンチュンと囀っているのは

実は皆、ロシアの雀の子孫たちなのだ。

この仕事を成したのは周恩来である。
「大躍進」の失策を問われ、
毛沢東は一旦、皇帝の玉座を退いた。
しかし、一度頂点に上りつめた権力者は
その美酒の味が忘れられず、
再び権力奪取を画策するのだった。
そうして始まった政治闘争が
1966年から1976年まで長く続いた
文化大革命である。
この政治闘争で奪われた人民の犠牲者数は
約2000万人だと言われている。
私が「周恩来秘録」(上・下巻)2巻


を読んだのも20年ほど前の事だと記憶している。
周恩来は晩年、体の異変に気付き
医師の診察を受けたいと
最高権力者・毛沢東に何度もお伺いを立てている。
しかし毛沢東は、その都度周恩来の懇願を一蹴する。
病に蝕まれて行く周恩来は
医師の診察を受けられない以上
仕方なく国立図書館に通い
自力で病の根源を探し始める。
するとそれを知った毛沢東は、
今度は周恩来が出入りできない様に
国立図書館を封鎖する仕打ちを断行するのである。
「周恩来秘録」には
周恩来が毛沢東に対し
今までの自分の行いを猛省し自己批判し、
滔々と許しを請う涙の手紙を掲載している。
毛沢東よりも年上で嘗ては
上司でもあった周恩来が
年下で嘗ては部下であった毛沢東に
地面に額をこすりつけて
何度も何度も許しを乞うたのである。

これを読むと、皇帝・毛沢東の

権力の絶大さの前に舌を巻いて

ただただひれ伏すしかない

人民の厳しき現実が見えて来る。

中国においては皇帝・毛沢東以外の人間は

全て力無き人民なのである。

それはあの偉大な政治家・周恩来でさえ

例外ではなかったのである。
そして周恩来はやがて

身も心もボロボロに病に蝕まれて

絶望の中でこの世を去って行く。
周恩来逝去!

その一報を耳にした毛沢東はこの時
何と部下に命じて
大量の花火を
北京の夜空に打ち上げさせたのだった。
権力とは正に悪魔が放つ魔法である。
毛沢東とは権力欲に取り憑かれた
悪魔の化身だったのである。
因みに、習近平の父・習仲勲は文化大革命で
16年間の投獄を余儀なくされ、
幽閉同然だった姉は残酷にも餓死を遂げている。
習近平が共産党主席の座を
歴代皇帝が端座した玉座にまで押し上げようと
必死になるのも何だか
解らぬでもない同情心が湧いて来るではないか。

どうか、

本の画像撮影の不器用さをご容赦願いたい。