徒然なる枕草子VII 43「韓国から中国へ」(心の中へ481) | isaoのブログ

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10:13
先日仕事明けに、前の職場で仲良く会った友人と
モーニング珈琲を楽しんで来た。
その会社を辞めて4ヶ月が過ぎたのだけれど
聞けば現在私が知っている人で
職場に残っているのは
私を虐めた嫌な婆様二人だけだとの事だった。
勿論新人は次々と入社しているのだが
嫌な婆様二人だけはまだ在職中の様だった。
私が知っている介護現場は
多くの老人らが流す汗と涙で支えられている。
現在私は老人ホームに勤めているのだが
半数以上の職員は私より年上の老人だ。
こんな笑い話がある。
「ねえ、どの人が介護士さんなの?」
「椅子に座って
疲れた顔をしているお婆さんが介護士さんよ。
その隣で車椅子に乗っている
元気なお爺さんが入居者さんよ。」
笑えない現実だ。
だが言い換えると、
多くのご老人が居なくなると
同じ多くの老人たちが
働く職場を失ってしまう悲劇が起こるのである。
社会事情は極めて複雑である。
そして我が家にも悲劇が起こった。
実は、ひと月ほど前から

変な汗や涙を流して調子が悪かった。
だけど無情にも私はそれを承知で放置していた。
その日、モーニング珈琲を楽しんで
少し帰宅が遅れた私は
玄関扉を開けで思わず立ち尽くし、絶句した!
床が水浸しになっていて
上がれない状態になっていたのである。
長年苦楽を共にして来た
酎ハイ缶を冷やす為だけに可動していた
年代物の冷蔵庫が遂に使命を終え、
完全停止していたのである。
私は、そのまま玄関扉を閉めて車に乗り
慌てて最寄りの家電量販店に走った。
きっと今度来る冷蔵庫は
私の残り寿命よりも長く可動する事だろう。
サヨナラ、サムスン(韓国)
こんにちわ、ハイアール(中国)

幕は突然降ろされて(心の中へ481)
04:24
10:38
川柳と俳句は
同じ五・七・五のリズムを持っている。
だが、川柳は俳句と違って季語が必要ない分
自由で作りやすい。
昔々、営業で車に乗って街中を徘徊している時
車内には常にラジオが流れていた。
或る日、アナウンサーが
素人から投稿された川柳を読み上げた。
その川柳を聞いて私は肩を躍らせ爆笑した。
余りの面白さに涙が溢れ
運転が危うくなって車を路肩に止めた。
それは入れ歯を外した祖父を見た時の
孫の所作を詠った作品だった。
「目ん玉も 取って見せろと せがむ孫」
腹筋崩壊!
そして先日、
思わず唸ったサラリーマン川柳、優秀作。
「来世でね めぐりあったら ほっといて」
山田君、座布団10枚運んで!
きっと離婚した夫婦のお互いが
そう声高に叫んでいるのに違いない。
私は結婚と言う制度を作り出した人よりも
離婚と言う概念を思い付いた人の方を
尊敬している。