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ぽっぷタイムマシン

まともに働くことを拒否し、楽に稼いで早くクリエイティブワークに没頭したいと夢想する、そんな頭のおかしい僕の徒然日記(主に映画とか)。

人間を勝ち組、負け組で分けちゃうのはどうでしょう?なんて考えている人も多いことだと思う。
でもですね、負け組になるのもその所以たるものがあって負け組、負け犬になっているのであって、なんの理由もなく言ってるわけではありません。


今日本では反韓・反中的な人がネットウヨウヨしてますね。
たしかに韓国の火病ってのはかなりおかしい、というか異常だし、盧武鉉先生はもうまさに先生ですね。
大先生です、韓国的なね。


でもだからって韓国や中国を馬鹿にして、日本は凄い!って主張する奴らはどうにも解せません。

下見て自分は凄い!ってそのレベルじゃ馬鹿にしている特定アジアの馬鹿どもと一緒ですよ。
下見て俺は大丈夫、なんて思う奴が負け組・負け犬なんです。


嫌韓・嫌中の人間がよく日本の良さを引き合いにだすとき、何かの国際統計を引っ張ってきますね。
世界で最も良い影響を与える国は日本、とかそういった類のデータ。
たしかにそれはそれで事実だと思います。
Made in Japanといえばもはや世界的なブランドですから。


しかし、これはあくまでも“製品”の話です。
現代日本人の海外での振る舞いを知ったら恥ずかしくて、日本は良い国だ、なんて自信を持って言えない。


アメリカ人のつもりでいてもおまえは所詮アジア人 -NYC編-


このブログはアメリカ在住の日本語教師のブログです。
この人はワシントンD.Cとニューヨークに住んでる(住んでた)ようですが、馬鹿な日本人が多いおかげで日本も所詮は第3世界の人間だと思われてるみたいです。
世間知らず、もとい世界知らずな日本人は韓国人・中国人と同列と思われてます。


この人の指摘で正しいなと思うのは、
「日本の器では俺の大きさを受け止めきれない。俺は自由の国にアメリカでビックになるYO!」
と言ってアメリカに来る奴は、そもそも“日本ですら認めらていれない”のだからアメリカで認められるはずがない、ということ。


環境とか他人のせいにして逃げ回ってるような奴は負け組になって当然だ。
今自分の居場所でどれだけ認められる努力をするかが肝心。


嫌韓・嫌中の人間も、向こうとの違いを見せつけたいのなら、もっと自分自身を磨いて謙虚で誠実になってください。

人のことをアレコレ言うのは、それからでも遅くない。

8月15日は終戦記念日。
小泉は公約通り靖国を公式参拝して、中韓が抗議して、売国メディアが小泉を批判する。
毎年恒例の図だが、今回は少々勝手が違うような気がするのだ。

ネットメディアの発展によりマスコミの影響力低下が著しい昨今。
この国のメディア・マスコミの質の低さは先進国の中でもずば抜けて凄いのだが、そんなマスコミがプライドと自尊心(ジャーナリズム精神は皆無)をかけて靖国批判を激化させてきた。
彼らの主張はまぁ、中韓とほぼ同じだが、戦争に対する反省と隣国への配慮といったところだ。

ところが、事態は彼らの思い通りには行かなかった。
マスコミがこれだけ煽り立ててもビクともしない小泉の意志と、マスコミの意向に反して反韓、反中感情が激しくなる一般市民。
自分たちの思い通りにすべてを動かしたいと思うマスコミの野心・欲望からか、珍事態にまで発展してしまったようなのである。

私がこれに気付いたのは8月6日の広島原爆の日。
新聞のテレビ欄を見て「?」と思い、まさか15日も!?なんて考えていたら当たってしまった。

15日の新聞を見ていただきたい。
あれだけ戦争の反省とか、隣国の配慮とか、マスコミはいったい何がしたいのか・・・。
ほとんどが靖国関連のニュースと番組。

肝心の“戦争そのもの”に関するニュース番組がほとんどないのだ!!

マスコミは靖国ばかりみて頭おかしくなったのだろうか。
今までは8月15日といったら“戦争とか何か、みんなで考えよう。”みたいな番組は必ずあった。
ていうかなきゃおかしい。
問題の始まりは戦争そのものだし、それと絡めて現代起きているテロや紛争に触れなければならないのに。

靖国は60年前の戦争とは切っても切り離せない。
しかしマスコミは戦争に関する特集番組すら組まず、戦争から切り離された靖国問題は大衆の頭の中で空洞化し始める。

これでは一体、どうやって若い人たちは戦争というものを意識することができるだろう。
全くもってウマシカだなぁ、と思った。

今日劇場で『MI:Ⅲ』を観ました。
正直な感想は、MIシリーズの中では一番良い出来ではないかと思います。
ミッション・インポッシブルらしさという点では1作目のデ・パルマ版の方に軍配があがります。
しかし今の時代にマッチした映画かといわれればMI:Ⅰは“NO”でしょう。

MI:Ⅱはジョン・ウーでした。それ以外説明できません。

で肝心のMI:Ⅲは、今の時代に沿った娯楽映画です。
複雑すぎない程度のプロットの絡み具合がまた良くできていて、観客が退屈しないようしっかり練られています。

アクションも随所にありましたが、今までのMIシリーズと決定的に違う点は、銃火器の扱いが極めてリアルになっていたということです。
それはもうMI:Ⅱとは比べものにならないくらいです。
例えばトムがアサルトライフルを使用する場面がありますが、マガジンに納められている弾数以上発射されず、敵を逃してしまうシーンがあります。
今までのアクション映画ではそれこそ無制限に弾が出てきましたが、この作品ではかなり厳密な銃火器の扱いしていて、随所の台詞にもいかにリアルに扱っているかを主張するようなものも含まれています。
これはおそらく監督のこだわりでしょう。
今までのバカスカ銃撃アクション、とくに前作に対する挑戦でもあると思います。
そしてこの挑戦は私の見る限り成功していると感じます。

メディアが軍隊とともに行動する昨今。
人々は紛争や戦争の様子をリアルな映像として見ています。
そのなかで当然のように本物の銃撃戦の様子も見るわけで、これと見比べたらもはやジョン・ウーアクションがいかに時代遅れであり、そして嘘八百であるかが観客には直感的にわかってしまうのです。
リアルを知ってしまった以上、もはや観客をだませない。
そのことを監督は知っていた。

それともうひとつ。
今回アクション映画を観て気づいたことがあります。
今までいくつもアクション映画を観てきて、恥ずかしながらちっとも気付かなかったアクション映画の役割というものを今更発見したのです。

それはズバリ、「悪はこの世にいる」ということ。

このことを誰にでもわかりやすく伝えているのがアクション映画だと気付いたのです。
これってすごく単純なことだけど、日本の「みんな平等!みんないい人!」教育の中では誰も教えてくれない。
みんな平等でいい人のはずなのに、それでも世界中で戦争や卑劣極まりない犯罪が起こっている。

だからこそこういった映画が重要なんだと気付いたんです。
やはり悪はいるんです、そかもどうしようもない奴。
今回のMI:Ⅲの悪役は、まさに悪人です。
そこで気付きましたね。
やっとアクション映画の意義に。

世界が善と悪という二元論で語れないことは百も承知しております。
中には善の旗印のもと、世界に軍隊を送りつける国もあることも知っています。
それでも悪はいます。
もしかしたら善はいないかもしれません。
しかし、それでも悪はいるのです。

随分と長文になってしまいましが、兎にも角にもMI:Ⅲは期待を裏切らないでしょう。
最後の評価点として、必要以上のセックスアピールなどがなかったこと。
まずプロット、俳優、演出、舞台・・・。
セックスとクールとバイオレンスで構成された昨今のくだらんアクション映画とは違います。
これは娯楽映画です。
映画です。
ここが一番大事なポイント。

でも正直の正直、『コラテラル』の方が好きだけどね。
やっとこさ終わった世界最大の祭り。
結果はともかく、日韓大会より面白かった。

とりあえずは新しい日々が始まる、とうより勝手にそういうことにして気分新たに明日へ向かおうと思います。

最近はなんか落ちてたなぁ。
リフレッシュして再び戦場に戻れますように。
走れ、走れ、走れ。
なんか近頃考えることはサッカーのことばかり。
前よりもシステムや戦術を注視するようになり、自分の中のサッカーインテリジェンスの向上を日々感じてはいる。
しかし、こんなにも狂ったようにサッカーのことを考え始めたのは、やはりジーコジャパンの敗戦、しかもやる気のないクズゴミのような敗戦のせいなのだ。

1分2敗の結果は、W杯前から予想してた。
ただ敗れる相手がオーストラリアとは、予想外だったが。

負けるのは悔しい。
それは事実だ。

ただ負けたチームにも賞賛を与えたくなるような、そんな気迫迫る戦い方を見せてくれるのならこっちとしては負けても「よく頑張った」って声でも掛けられるからいい。

でも日本はほんとに酷かったな。
前回の記事もこんな内容だったから、これ以上書きたくないのは山々だけど、もう少しだけ言いたいことは、気迫がない、ってことだ。

ドイツならゲルマン魂。
アフリカなら、貧しい祖国の為に戦う。

今大会で僕がもっとも応援したチームはコートジボワールだ。
結果だけなら1勝2敗という結果で褒められたものではない。
しかし、試合を観た者なら誰もが、勝った相手チームよりもコートジボワールを賞賛したに違いない。
アフリカ人特有の高い身体能力だけでなく、エレファンツの異名をもつ選手たちは、最後まで諦めない魂、そして攻撃的サッカーを展開して、スタンドの観客を味方につけてしまったくらいだ。
とくにキャプテンを背負ったディディエ・ドログバの不屈の闘志には、感動すら覚える。
まさにアフリカの誇り高き戦士。
ときおりカメラは彼のクローズアップを写すが、そのときの彼の眼はまさに戦士の眼。

負けるくらいなら、死を。

そんな気迫すら感じられた。

結局背負っている者が違ったのか。
それとも、背負う気持ちが廃れてしまったのか。
かつてアフリカの雄であったカメルーンが予選落ちしてしまったのは、欧州クラブで金持ちになってしまった選手が増えたからではないだろうか。
エトーは素晴らしい選手かもしれないが、どうも彼の眼は曇っているように見える。

ドログバが見せてくれた、本当の戦士の姿。

日本が弱くなったのは、なぜだろうか。
あらゆるところから“誇り”という言葉消えていこうとしているからか。

自由自由って言う人たちは、やはり何かを勘違いしていると思う。
何か大きなものを背負っている奴らはかっこいい。
ただそれだけを子供たちに教えてあげられれば、誇りを持てると思うのですがねぇ。