書きたいこと、思っていること。
それらはみな、家に着いた瞬間に忘れる。
飯を食べたとき、忘れる。
結局何も思い出せず、何もしないで、人は一生を終えてしまうのだろうか。
以前どこかで、第二次大戦中の日本とアメリカの兵器の違いについて書かれていたことがあった。
それは、日本では鍛え抜かれた玄人たちが使いやすいように、可能な限り無駄な機能や補助機能を道具から削ってしまっていたということ。反対にアメリカは、だれでも一定の戦闘力を発揮できるよう可能な限り機械に人間のアシストをさせていたそうである。
これは初期の局地戦における日本軍の圧倒的強さと、中盤以降の持久力戦において物量にモノをいわせるアメリカ軍の強さを証明するものではないだろうか。
まぁこんなことを以前知ったのだ。
それが頭の中に残っていて、ある時日本人の道具に関する一つの考え方があることに、自分なりに気付いた。
それは前述のとおりアメリカとは反対の思想であると思う。
欧米では、人が道具を選ぶ。
日本では、道具が人を選ぶ。
例えば、日本の風呂敷と折り紙がある。
風呂敷はただの一枚の布きれである。が、かつての日本ではそれはただ包むだけでなく、結び方巻き方次第で箱から壜からスイカまで、日常にある物なんでも包み運ぶことができた。
このように風呂敷には多くの機能を内包しているが、残念なことに風呂敷を見つめていてもその機能をがどこに隠れているのか見つけることはできない。
なぜならそれは、使う人間の中にあるからだ。
物そのものには機能を導くインターフェイスはなく、ただ素地があるだけである。
折り紙も風呂敷と同じ思想の上に成り立つと思う。
これもただの紙にすぎないが、やはり折る人間の能力に応じて変化する。
これに対してアメリカなどでは、道具は人間の能力差を埋めるために存在しているように思える。
日本では食事は箸一つで済ませてしまうが、向こうではナイフ、フォーク、スプーンなどそれぞれの用途に合わせた道具が使われている。1機能に対して一つの道具という形をとることで、その道具には与えられた機能にのみ特化させることができ、結果的にさほどの修練を積むことなく容易に道具の使い方を習得できる。
こっから先は完全な推測だが、日本では、役に立たない奴というのは道具を使いこなせない人間のことで、道具が無用だと考えることはなかったのではないだろうか。
逆に、欧米では役に立たないと言ったら主にその道具が何の役に立つのかわからない、ということを意味するのではないだろうか。
自分がこんな記事を書いてる間にも、自分自身に対する疑念はあるのだが今回は、なんとなく気付いたことを書いてみた。
まったくもって説得力に欠けることは十分承知しているし、説明不足なのもわかっている。
もし機会があればより詳細なことも書くべきかもしれないが、今回はご勘弁を。
それは、日本では鍛え抜かれた玄人たちが使いやすいように、可能な限り無駄な機能や補助機能を道具から削ってしまっていたということ。反対にアメリカは、だれでも一定の戦闘力を発揮できるよう可能な限り機械に人間のアシストをさせていたそうである。
これは初期の局地戦における日本軍の圧倒的強さと、中盤以降の持久力戦において物量にモノをいわせるアメリカ軍の強さを証明するものではないだろうか。
まぁこんなことを以前知ったのだ。
それが頭の中に残っていて、ある時日本人の道具に関する一つの考え方があることに、自分なりに気付いた。
それは前述のとおりアメリカとは反対の思想であると思う。
欧米では、人が道具を選ぶ。
日本では、道具が人を選ぶ。
例えば、日本の風呂敷と折り紙がある。
風呂敷はただの一枚の布きれである。が、かつての日本ではそれはただ包むだけでなく、結び方巻き方次第で箱から壜からスイカまで、日常にある物なんでも包み運ぶことができた。
このように風呂敷には多くの機能を内包しているが、残念なことに風呂敷を見つめていてもその機能をがどこに隠れているのか見つけることはできない。
なぜならそれは、使う人間の中にあるからだ。
物そのものには機能を導くインターフェイスはなく、ただ素地があるだけである。
折り紙も風呂敷と同じ思想の上に成り立つと思う。
これもただの紙にすぎないが、やはり折る人間の能力に応じて変化する。
これに対してアメリカなどでは、道具は人間の能力差を埋めるために存在しているように思える。
日本では食事は箸一つで済ませてしまうが、向こうではナイフ、フォーク、スプーンなどそれぞれの用途に合わせた道具が使われている。1機能に対して一つの道具という形をとることで、その道具には与えられた機能にのみ特化させることができ、結果的にさほどの修練を積むことなく容易に道具の使い方を習得できる。
こっから先は完全な推測だが、日本では、役に立たない奴というのは道具を使いこなせない人間のことで、道具が無用だと考えることはなかったのではないだろうか。
逆に、欧米では役に立たないと言ったら主にその道具が何の役に立つのかわからない、ということを意味するのではないだろうか。
自分がこんな記事を書いてる間にも、自分自身に対する疑念はあるのだが今回は、なんとなく気付いたことを書いてみた。
まったくもって説得力に欠けることは十分承知しているし、説明不足なのもわかっている。
もし機会があればより詳細なことも書くべきかもしれないが、今回はご勘弁を。
自分の言葉がいつも不明瞭なのは、自分に自信がないからである、そう思っていた。
そう考えた僕は意識して、ハッキリと言葉を発してみたりもする。
しかしながら、慣れない行為には違和感が付きまとうものだ。
そんな言葉の内容にも、その言葉を発する自分自身に対しても多くの疑問が出てきてしまう。
なぜ、そこまでハッキリ言い切れるのか?
完璧なYESは、ほぼ100%の自信が無ければ言えない。しかしそんな自信も成果もましてや能力すら自分にあるとは到底思えず、したがってどこをどう捻ったって、「できました」「完成させました」「間違いありません」こんな自信に満ちた(本当に満ちているのかどうかは別として)答えを、相手に伝えることが出来ない。
必ずといっていい。僕は前述の答えの前に「おそらく・・・」「たぶん・・・」などといった曖昧な言葉が付記されてしまう。
これの原因は自分自身に自信がないこと、これは自分でも感じている。
しかし、それ以上の原因があることに気付いた。
それは、自分の目的が曖昧であり、ハッキリしていないのが原因ではないかと。
大きな人生の目標、白昼夢のような目的ならなんとなく自分の頭の中に構築することが出来ても、小さな会話や行動において目的をうまく設定することができない。
とくに会話や作文においては、どこに話を持って行くか、落ち着かせるかといった能力に著しく欠けている感が自分にはあるのだ。
おそらくのはなしだが。
眠くてこれ以上書けないからまた今度。
そう考えた僕は意識して、ハッキリと言葉を発してみたりもする。
しかしながら、慣れない行為には違和感が付きまとうものだ。
そんな言葉の内容にも、その言葉を発する自分自身に対しても多くの疑問が出てきてしまう。
なぜ、そこまでハッキリ言い切れるのか?
完璧なYESは、ほぼ100%の自信が無ければ言えない。しかしそんな自信も成果もましてや能力すら自分にあるとは到底思えず、したがってどこをどう捻ったって、「できました」「完成させました」「間違いありません」こんな自信に満ちた(本当に満ちているのかどうかは別として)答えを、相手に伝えることが出来ない。
必ずといっていい。僕は前述の答えの前に「おそらく・・・」「たぶん・・・」などといった曖昧な言葉が付記されてしまう。
これの原因は自分自身に自信がないこと、これは自分でも感じている。
しかし、それ以上の原因があることに気付いた。
それは、自分の目的が曖昧であり、ハッキリしていないのが原因ではないかと。
大きな人生の目標、白昼夢のような目的ならなんとなく自分の頭の中に構築することが出来ても、小さな会話や行動において目的をうまく設定することができない。
とくに会話や作文においては、どこに話を持って行くか、落ち着かせるかといった能力に著しく欠けている感が自分にはあるのだ。
おそらくのはなしだが。
眠くてこれ以上書けないからまた今度。
僕にとって、しゃべる言葉、書く言葉、どちらも苦手です。
とくに会話がとっても苦手。
相手に何も伝わらない。
自分の伝えたいことを、うまく言葉に出来ない。
自分の頭の中にはイメージ、ちゃんとあるのにね。
的確な言葉、話す順序、つまり会話の構成。
とっても苦手です。
とくに会話がとっても苦手。
相手に何も伝わらない。
自分の伝えたいことを、うまく言葉に出来ない。
自分の頭の中にはイメージ、ちゃんとあるのにね。
的確な言葉、話す順序、つまり会話の構成。
とっても苦手です。
やっとネットがつながりました。
借りたアパートにもともとケーブルテレビの回線があったらしく、そこから30Mbpsのネットに繋がっております。
昨今の光ファイバーに比べたら、遅いは遅いですが、もともと1M位のネット環境だったので、問題なしです。
しかし、ネットがなくても何とかなりますね。
意外と暇は感じませんでした。
かといって本を読んだり、映画を観ていたわけではないのですが。
やることがなくて(本当はあるけど)早く寝てしまっていたし。
とりあえずまたもとの生活に戻りそうです。
借りたアパートにもともとケーブルテレビの回線があったらしく、そこから30Mbpsのネットに繋がっております。
昨今の光ファイバーに比べたら、遅いは遅いですが、もともと1M位のネット環境だったので、問題なしです。
しかし、ネットがなくても何とかなりますね。
意外と暇は感じませんでした。
かといって本を読んだり、映画を観ていたわけではないのですが。
やることがなくて(本当はあるけど)早く寝てしまっていたし。
とりあえずまたもとの生活に戻りそうです。
