2024年4月7日(日)。天気晴れ。一気に上着が要らない陽気になりました。

京王線「千歳烏山駅」から京王バス「歳23千歳船橋駅行き」で、「芦花恒春園」バス停まで。

バス停近くにある「粕谷村地蔵尊」。

大きな欅並木が見えてきました。「蘆花恒春園」が近づいてきます。

「蘆花恒春園」の入口。3年ぶりの訪問になります。「恒春園」は、蘆花の命名によります。

「蘆花恒春園」の中の竹林。

ここには、小説家・徳冨蘆花が、1907(明治40)年から暮らした家がそのまま残されています。元は「近隣の大工の妾の家」だそうです。

その他、近在の農家の建物を移設して、継ぎ足しをしています。こちらは「梅花書屋」と名付けられた家屋。

そして「秋水書院」。この名前は、大逆事件で死刑となった幸徳秋水に由来しています。蘆花は、幸徳秋水助命のために立ち上がりましたが失敗しました。1911(明治41)年には、当時の第一高等学校弁論大会で「謀反論」という演説を行って、大好評を博したそうですが、一部から不敬だという批判が起き、一高校長の新渡戸稲造が譴責処分となりました。

徳冨蘆花は、1927(昭和2)年に死去しましたが、1935(昭和10)年に愛子夫人が恒春園の敷地・建物を東京府に遺贈して、現在のような公園の形に整備されました。この家屋は、遺贈後に、愛子夫人が暮らすために東京都が建てた家です。

「旧住宅」の向かいには雑木林が拡がっています。

その中にひっそりと立つ徳冨蘆花・愛子夫妻の家。徳冨蘇峰の記した墓碑(蘆花あて、愛子あてがそれぞれあるのです)の解説が掲げられていますが、蘆花の追悼文は、兄弟2人の確執を思うと、なかなか感動的なものです。

「蘆花恒春園」に隣接する「粕谷八幡神社」。

「粕谷八幡神社」の前には、老朽化で切り倒された杉の跡が残っています。ここは、「恒春園」を訪ねて来た友人・知人が帰る際に、蘆花がここまで見送って来たそうです。奥に二代目の杉の木が植えられています。

「粕谷八幡神社」の社殿。

「環八通り」に出ると、「都営八幡山アパート」が建て替えられていて高層化されていました。

「環八通り」と「八幡山アパート」の高層棟。できあがったばかりで、未だ入居していないようです。SFチックな景色だなあと思いました。

工事中の箇所は塀で区切られていて、塀際にはタンポポが咲いていました。

塀の中を覗ける所があって、塀の中を見てみました。

まだかつての団地の建物の残っている一角がありました。

京王線「八幡山駅」に出ました。