2024年3月17日(日)。天気晴れ。

昨日と同じく、「我もまた渚を枕」(川本三郎:著、晶文社、2004年)に「近未来都市と田園風景が共存する町「大宮」」という章があることから、大宮に来ました。JR埼京線「大宮駅」。

実は昨日、3月16日は、「おおみや鉄道の日」だったそうです。「鉄道のまち大宮」。
昭和の雰囲気が色濃い「大宮駅」の東口駅舎。
駅前には「髙島屋」があります。
「我もまた渚を枕」にも出てくる居酒屋「いづみや本店」。朝10時から営業しています。
東口は古い商店街(アーケード)が残っています。
「旧中山道」のバス通り。
そんな一角に、NHKの「72h」でも取り上げられた24時間営業の喫茶店「伯爵邸」があります。
大宮ナポリタンをいただきました。
JRの線路を越えて大宮の東西を結ぶ「大栄橋」。
曹洞宗の寺院「大宮山東光寺」。
立派な本堂に入っていくと、
本当に立派な仏様がいました。私は、いろいろな国・場所で仏像を見ていますが、なぜかこの仏様が光って見えました。
「武蔵国一之宮氷川神社」に向かいます。
「氷川神社」の参道は、延々と続いているのです。
途中に「氷川の杜文化館」という施設がありました。
庭は立派な竹林になっています。
いよいよ「氷川神社」に近付いてきました。
「神橋」を渡って、
「神橋」の上から「神池」を望みます。穏やかな雰囲気です。
やっと「楼門」に到着。
「氷川神社」の拝殿。府中の「大國魂神社」で行われる「くらやみ祭」の際は、「氷川神社」は「三之宮」になっています。武蔵国の「一之宮」は、多摩市の「小野神社」なのか、ここ「氷川神社」なのか定まっていないそうです。
「氷川神社」と続いている「大宮公園」に入りました。「NACK5スタジアム大宮」。現在J3所属の「大宮アルディージャ」のホームスタジアムです。
こじんまりした、しかし居心地の良い「日本庭園」があります。
「日本庭園」から眺めた「白鳥池」。
1934(昭和9)年に昭和天皇が「氷川神社」を参拝したことの記念碑です。
「大宮公園」の中には、遊園地もあります。「大宮公園児童スポーツランド」。
「舟遊池」と名付けられていますが、ボートは見当たりませんでした。
その「舟遊池」のほとりにこんなお店が!
思わず入ってしまいました。みそおでんだけ?何を飲んだかは秘密です。店内では「のど自慢」をやっていて、神野美伽が出演していました。
「舟遊池」沿いに歩いて行くと、「埼玉県立歴史と民俗の博物館」がありました。前川國男設計、1970(昭和45)年築。
屋外には、「スバル360」が展示されていました。
「ボンカレー」の広告も。女優さんは、松山容子さんです。
館内の展示も昭和の色がありました。
常設展は、縄文・弥生から始まって、丁寧に古墳時代、鎌倉時代、戦国時代、江戸時代と順を追って、埼玉県の歴史が説明されています。特に古墳時代の展示が出色でした。
横穴式石室の実物大模型がありました。こちらは皆野町で発見された円墳のものだそうです。私は、このようなものを見たのは初めてだなと思いました。
巨大な板碑なども展示されています。
「兵卒より将校 陸軍省」。
不発弾と焼夷弾。こんなものが落ちてきたら、たまらないと思いました。
1960(昭和30)年の婦人用自転車と、高度経済成長前後のトピックスの写真パネル。
1960年代の電化製品。
川越の街並みを再現しています。
企画展は、「鉢形城主 北条氏邦」でした。「鉢形城」は、現在の寄居町にあった平山城で、荒川と深沢川との合流点にある崖の上にあります。関東管領山内上杉氏の家臣だった長尾景春によって築城され、後に北条氏邦によって、武田氏との抗争に備えた拠点となり、更に上野国支配の最前線となりました。北条氏邦は、後北条氏3代目の北条氏康の五男になります。展示品は、北条氏邦が着用したと伝えられる「関東五枚胴」です。
「木造日光菩薩・月光菩薩立像」です。
「木造十二神将立像」。北条氏邦とその家臣団の信仰の厚さを示しています。
博物館の喫茶店でココアを飲んで休憩しました。
屋外には弥生時代の住居の復元模型がありました。
博物館から10分程で、東武野田線(今はアーバンパークラインとも言うらしいです)の「大宮公園駅」に出ました。ここから大宮方面に出るつもりだったのですが、春日部方面に行く電車に乗って、
春日部で東武伊勢崎線(スカイツリーライン)に乗り変えて、約1年ぶりに「新越谷駅」に来ました。
「阿波踊り」の像。
元のダイエー、今はイオンの「越谷サンシティ」。1979(昭和54)年開業です。
「南越谷第一公園」。
蒲生の象徴、「日本エレベーター製造」は健在でした。