2021年9月20日(月)。「東京ジャーミイ」を訪れた後の続きです。

東武伊勢崎線(スカイツリーライン)の「東向島駅」。1987(昭和62)年に「玉ノ井駅」から改称されましたが、地元からの反発もあったようで、駅表示には「東向島(旧玉ノ井)」と表記されています。

「東向島駅」隣接の高架下を利用して、「東武博物館」が1989(平成元)年に開業しました。

入口直ぐの所で、先ず英国ピーコック社製蒸気機関車B1形5号(国鉄5500形と同型)が出迎えてくれます。

軸配置は4-4-0、ということは、大田区の萩中交通公園で保存されている34号と同じですが、こちらは東武鉄道が久喜まで開業した1898(明治31)年に輸入したものなので、34号よりも古い世代です。

その隣には、東武鉄道最初の電車、1924(大正13)年製のデハ1型。この年まで、東武鉄道(伊勢崎線)は電化されていなかったということが意外でした。でもこの電車は、全長16mです。東武って、本格派ですよねと、何となく僻みの気分になってしまいました。京王のこの時代の代表的電車23型は、11.7mです。

デハ1型の車内。どんな人たちが乗っていたのか、想像がふくらみます。

デハ1型の運転席。シンプル。

こちらは、5700系5703号電車の前面部。貫通型です。1953(昭和28)年、ナニワ工機製で、「けごん」、「きぬ」といった特急に使用されました。元祖「デラックスロマンスカー」です。

そして、こちらは同じく5700系の非貫通・湘南型全面の通称「ネコひげ」の5701号電車。1951(昭和26)年、汽車製造製。いったん貫通型に改造されていたものの、本博物館での保存に際して、非貫通型に再改造されました。

5701号と並んで屋外で展示されている電気機関車ED10型101号。1928(昭和3)年、英国イングリッシュ・エレクトリック社製。1972(昭和47)年に近江鉄道に譲渡され、2009(平成21)年から本博物館で展示されています。

ちょっと趣を変えて、1951(昭和26)年式のキャブオーバー型バス、日産180形。車体は富士重工製。

そして、キャブオーバーの運転席。バンコクにはたくさんいましたが、日本では見たことないですね。

戦後東武の貨物用電気機関車を代表する5010形5015号。1957(昭和32)年、日立製作所製。

東上線で使用されていて、1984(昭和59)年に廃車になりました。

特急「きぬ」、「さち」のヘッドマーク。

国鉄日光線に投入されると思われた151系電車(「こだま」型)に対抗するため、1960(昭和35)年に「デラックスロマンスカー」として投入された1720系電車の模型。私は奥の玩具の「けごん」号にぐっとくるものがあります。実際に日光線に投入された電車は、157系(「日光型」)でした。

「東武博物館」では、1720系1721号の前半部が展示されていて、館内からは車内に入ることができるようになっています。日光行きの気分で座ってみました。

運転席の様子。

そして、車体の外観は、館外の公道から見ることができる構造なのですが、なんと撮り忘れてしまいました。

※撮り忘れが自分自身で許せず、汐入に行った帰りに、「東向島駅」で下車して、外観の写真を撮って来ました。1720系デラックスロマンスカー。

同じ展示の構造で、車内だけを撮影した日光軌道線200形203号。やはり、車体の外観は取り忘れました。

この車両は連接車です。

200形203号の運転席。

※やはり撮り直しをしてきた日光軌道線の連接車200形203号の外観。

もちろん鉄道模型(HO)の大型レイアウトもあります。

何となく懐かしいという気がした車内の様子。

そして、おお、こんな自動券売機があったような気が。

あまりにも見応えのあった「東武博物館」を後にします。

そして、いよいよ玉ノ井の探索に出かけます。この気の急いていたことが、1720系や200形の車体を撮り忘れたことにつながりました。。玉ノ井の真ん中を通る「いろは通り」。

この商店街の中にあった中華料理「興華楼」にて、

五目焼きそばの昼食。ここのメニューはボリュームがありました。

酒喜屋(榊屋)本店の建物。

玉ノ井の感じがする意匠の民家が残されていました。

永井荷風にラビラントと言われた路地の雰囲気が残っています。

私の朧げな記憶では、「いろは通り」に面して、稲荷神社があったような気がするのですが見当たりません。

見当をつけて路地の中に入ってみると、本当の行き止まりに見つけました。

以前はスーパーの前面が空地になっていたので、お稲荷さんにアクセスしやすかったのですが、空地もろともスーパーの敷地にマンションが建つ形となり、完全にふさがれた格好です。この「願満稲荷神社」は、日蓮宗の「啓運閣教会」の境内にあります。

そして、「啓運閣」の建物の壁面には、永井荷風が1936(昭和11)年に書いた「玉ノ井」の地図が掲げられています。これは書き写したものなのでしょうか。

帰りは現役の東武電車に乗りました。